第63話 最強の青髪
紅の神剣を顕現させた瞬間、その周囲を轟々《ごうごう》と滾る爆炎が踊り狂った。先程まで目の前にいたはずのミラさんの姿は消え、ファルネスさんの手には煌々と光る一本の妖精剣がその剣先を光らせている。
「号令を出したら、君達はその空いた穴に向かって走り出すんだ。私がそこを吹き飛ばすから、そのまま中央ラジウムへ目指しなさい。覚えているかい?この街に来た日に行われたパーティー会場の」
「はい、覚えてます。でもあの場所も既に敵に囲まれているんじゃ?」
「あぁ、間違いなく囲まれてるだろうな。ただ、あの場所を取り囲んでいるのは恐らく一般のヒューマン達だ。今の君達でも十分に殺せるさ」
「一般の……ヒューマンですか。分かりました」
「とは言っても当然武装はしている。だからこれを持っていきなさい」
そう言ってファルネスさんが指差した先には、いつ用意されたのか分からない二本の鉄剣が置かれていた。
その二本をそれぞれ手にした俺とネルウァ。切れ味も剣としての質も妖精剣にはまるで劣るのに、重みだけはズシンと肩に乗っかかり、違和感と共に緊張感が全身を支配する。
──これで、俺はまた人間を斬るのか。
あの時から拭えないこの重圧感は、これからの確定している殺人を忘れさせようとしているのか、それとも……
「……では行くぞ。カウントダウン、三……」
俺達を囲んでいる異形変異種が、四方八方からにぎり寄ってきている。人間の体から発される奇怪な呻き声は、鼓膜から体の底まですんなりと侵入し、内部から蝕まれているような感覚に陥った。
「二……一、作戦開始!」
ファルネスさんの合図と共に、思い切り踏み切って前に進む俺とネルウァ。
「焼き尽くせ、炎龍の彷徨!」
恐らく魔術文言であろうそれが唱えられた瞬間、俺達の間を目視できない程の速さで通過する何かが。
「ナッ!?」
刹那。目前で漂っていた異形変異種の群れが部屋の壁もろとも物凄い轟音を轟かせながら消失し、その代わり黒ずんだ炭とメラメラと滾る炎が。
「行けッ!」
開かれた大穴から、速度を一切落とさずに飛び出る。とは言え、外も逃げ場がない程に異形変異種だらけで、燻ぶっていた化け物共は檻から解き放たれた猛獣のように飛びかかってきた。
「リオ君!!」
「あぁ!」
互いに目配せし、その一瞬で離脱経路を断定する。そしてそのまま、民家の窓枠に向かって飛び跳ね、突出している部分に足をかけ屋根へと登った。
「……ッ!霊剣抜刀していないと、やはり体が重いね。分かってはいたけど、いつもの戦闘感覚ではダメみたいだ」
「だけど、あいつらも元は人間。そう簡単にここには……」
ズドンという重い響きと共に、地面が揺れた。軽く後ろに視線を送ると、そこには三体の異形変異種の姿があった。
「忘れたかい?あいつらの異常な身体能力を」
「あーそうだった。こいつら人間の片鱗一ミリも無いんだった」
「しかしマズイな。これじゃ早々に追いつかれる。とにかく走るしかないけどね」
しかしどれだけ全速力で駆けようとも、生物としての差がありすぎるため、異形変異種の気配は急速に接近する。いや、もう真後ろであろう。
だが、俺はファルネスさんの言った言葉を信じている。あの人は俺達を逃がすと言った。だからこそ、俺は絶対に後ろは振り返らない。
「そもそも振り返ったところでどっちにせよ死ぬしな」
ぼそっと空に呟く。まぁ、ここで死ぬならそこまでだろう。だが──
「お願いしますね、ファルネスさん!!」
「もちろんさ」
ほんの瞬きの一瞬。どこからともなく聞こえたファルネスさんの声が空気に消え入る頃、後ろから背中を突き刺していた不快な殺気は消滅し、青色の髪の毛が視界の端に映った。
「もう疲れたかい?」
「まだまだ!!」
心なしか軽くなった足を大股に開き、速度を更に加速させる。
「ファルネスさん、もう全滅させたんですか?」
「もういないよ。多分残りを斬りに戻ったんだと思う」
「はっや……」
助けに入ってくれた時もそうだが、いくら能力を解放している妖精剣士とは言えその気配を微塵も追えないのは、自分が霊剣抜刀していないという理由だけではないだろう。あの速さは、妖精剣士という常軌を逸した存在の中でも群を抜いて逸脱している。
「最強の妖精剣士……か」
改めて理解させられる。俺が越えようとしている存在の壁の高さが、簡単にそれを口にできない程に高く、そして果てしなく分厚いのを。そして、それ以上と本人が言うまでに強かった兄を、実質死なせてしまった自分の業の深さを。
「リオ君。そろそろ目的の場所につくよ」
「あぁ」
眼界に入るのは、壮大な建築物が多いこの街の建物の中でもひと際異彩を放っているラジウム会館。そして、
「いたぞ!対魔本部の奴隷共が!!」
「よし!ミルザさんの言った通りあの青髪の奴はいねぇ!」
「エルフのいねーガキなんざ即効でぶっ殺してやる!」
俺達の姿を見つけた瞬間喚きだす大量の民衆。その数は、行きの道中で遭遇した賊とは比べ物にもならない。
「…………」
血眼になっている顔ぶれの中には、一度見たこともある人間もちらほらと。丁寧に接待してくれた男達は、今は刃物や鈍器をこちらに向けている。
「ふっ……はは」
「……?どうしたんだい?」
「あぁいや。最高のおもてなしだなって」
「確かにとても人数の多い出迎えだ。きっとボクらを政府の重鎮か何かと勘違いしているんだろう」
「間違いないな。なぁ!そこをどいてくれる気はない?俺達急いでるんだ」
「は?何言ってんだてめぇ。今すぐ殺してやるからそこで待っとけよ!いくぞお前らぁッ!!」
「そうか、なら仕方ないな。言っとくけど、もうヒューマンを殺すことに何の抵抗もないからな。命乞いも聞き飽きたし」
言いながら、俺は鞘にしまっていた鉄の剣をゆっくりと引き抜く。
そして、いの一番に足場の屋根へと上ってきた人間の心臓に寸分の狂い無く真っ直ぐに突き刺した。
「皆殺しだ」