第54話 死の宗教
暗い夜を振り払うかのような華やかかつ賑やかなパーティーは、ゆったりとした独特な時間の進みの中で滞りなく行われた。
各々が、それぞれ思いのままに過ごしているようで、ファルネスさんとミラさんは大衆の目に留まる有名な妖精剣士ということもあって、会場に来ている見るからに高貴な人達と代わる代わる談笑を交わしていた。入る前はあれだけテンションを上げていたファルネスさんだったが、今はそれが嘘のように凛とした佇まいで微笑を張り付けている。
アリシアは、大量に用意されている豪勢な食事に順々と手を付けては、至福の表情で満面の笑みを浮かべながらそれらを頬張っていた。エランスズ家というのは妖精政界の中では名が馳せているらしいのだが、人間社会の中ではそれほど浸透が無く、ネルウァやファルネスさん達のように囲まれるということはなったようだ。それはシエラに関してもほぼ同様で、妖精の王女でさえ特に人が群がることは無かった。
ただ、身動きの取りづらそうなネルウァやファルネスさん達よりも、シエラやアリシアの方が比較的好きなように楽しんでいた様子で、俺を含めた三人でご飯類の食べ比べなどをしながら自由気ままに過ごしていた。
そして、そうこうしている内にいつの間にかパーティーも終盤に。
司会の任を担っている男の人が一度場を沈め、「それでは皆様ご起立ください。本日最後の演奏となりますので、ペアをお作りになって舞踏の準備をしてくださいませ」と会場の隅々まで響き渡る声でそう告げた。
散り散りとなっていた人達は、それを聞いて一斉に二人組を作り始める。
それに伴って、シエラが俺の方へと寄ってこようとした時、その行く手を遮るように、シエラの果てしない美貌に惹かれた男達が引っ切り無しにダンスの誘いをし始めた。ここでシエラの表情が分かりやすく歪み、後ずさりしていなければ大人しく諦めて会場の片隅で眺めていたかもしれないが、
「俺の……契約だ」
誰に対してでもなくぼそっと呟き、その男達の間を縫ってシエラの目前へと進む。そして、結局はシエラにリードしてもらうんだけども、という自己矛盾を抱えながら、口を開いた。
「シエラ・アレクサンドル・イザベルさん。俺と一緒に……踊りませんか?」
あえてフルネームで呼称し、気恥ずかしいながらも、後ろで怪訝な顔をしている男達に見せつけるようにわざと仰々しく手を差しだす。シエラの姿を見て王女だと気付かなかった者達も、さすがにその名前には聞き憶えがあるようで、その場が一時的の騒めいた。
しかし、当のシエラはそんなことに一切気を向けず、碧く澄んだ瞳で真っ直ぐに俺を捉え、柔らかい笑みを浮かべながら、
「えぇ、喜んで」
清々しいくらいに快く了承を貰った俺は、シエラの華奢な手を引いて、純白の大理石の上に立った。
そして、黙ったまま視線を交わして周囲の人々が位置に着くのを待つ。オーケストラの指揮者が場を確認した後、指揮棒を空気の波に辿らせてユラユラと動かし始める。その優雅で美麗な演奏に体を合わせて踊り始めようとしたその時、どこからか怒声が響き渡った。
「おい!ここは関係者以外立ち入り禁止だぞッ!」
どうやら怒声の正体は外で警備をしていた人の叫び声のようで、その方向を見やると、入り口の扉が勢いよくバンッと開かれた。
「あぁぁぁああッ!!神よ!天の命に背いた我らをお許しくださいませ!」
肌色が悪い上半身裸の男性九人が、止めようとしている警備の者を、所持している刃物で斬りつけながら押しのけて会場へと強行的に入ってくる。その男性達は、総じて身体の隅々が擦り切れたような傷跡で埋まっており、極めて醜怪な状態となっていた。
麗しい雰囲気で包まれていた会場は一気に騒然となり、悲鳴があらゆる箇所で轟く。その中心で、上半身裸の男達は、傷付いている自身の身体に更に鞭のような紐状のような物を容赦なく叩きつけて、「神よ!神よ!」と同じようなことを嘆き叫んでいた。
「シエラ!!」
何が何なのか一つとして理解できる部分は無いが、だからと言ってこの状況を見過ごすわけにもいかない。
速やかに制圧するべく霊剣抜刀をしようとしたその時、
「待て」
「……ッ!何ですかミルザさんこの状況で!」
「君達が出る幕じゃない。ほら見るんだ、この街に従事する近衛騎士がもう既に止めている」
動き出そうとした俺の腕を力強く引き制止させたミルザさんは、平然とした様子でそう言った。
確かに複数人の、甲冑を着用した騎士たちが見る間もなく男達を取り押さえており、俺やファルネスさん──妖精剣士の出る幕は無くなっていたが、何故こんなにもミルザさんは冷静なのだろうか?いや、それよりも──
「あれは……何なんですか?」
「疫病が蔓延したことによって、感染者や一部の少なくない数の人間の中で新たな思考の集合体、つまり新宗教が爆発的に流行し始めた。あれは感染者で、その宗教に浸った者達の何人かだろうな」
「新しい宗教……ですか」
「そうだ。謎に包まれた疫病が、罪深い人間達による現世を罰する神の意向だと考え、この街の娯楽施設や、良い暮らしをしている人を襲ったりする質の悪い連中さ」
「さっきの自傷行為もそれに関連してるんですか?」
「あぁ。私には微塵も理解できないが、奴等は自身を痛めつけるという苦行を示すことで、神への贖罪と救いを求める行為だと本気で信じている。街中の公衆の面前で、血が噴き出て死ぬまで痛めつけたりするとかな」
「死ぬことが救い……そんなわけが……」
ミルザさんが淡々と話している内容は、俺が今まで培ってきた価値観と遠く離れた決して理解のし難いものだった。生きる救いを求めた行為で死んでしまうなんて、それこそ神の存在自体に疑いの亀裂が入るじゃないか。
「宗教とはね、元来そういうものなんだよ。良くも悪くも、人間の価値観を歪める。これは、言い方を変えれば思考の操作だ。だからこそ政治に利用しやすい」
近衛騎士達が取り押さえてる現場を見つめながら、言い聞かせるように言葉を吐くミルザさん。言っていることは間違ってないのかもしれないが、本当に宗教とはそういうものなのだろうか。少なくとも、ヴィル=マニギア大聖堂の荘厳なパイプオルガンの響きに俺は、言葉にはならない確かな救いを感じたのだが。
恐らくこの先も答えが出ないであろう疑問に、俺の思考は完全に持っていかれる。心に引っかかる違和感の正体を探っていると、一度目とは比較にならない大声量の悲鳴が近衛騎士達に向けて響き渡り、沈んでいた意識が引っ張りあげられた。
視線を外した僅かの間に何があったのかは分からないが、取り押さえていた騎士達の首が甲冑ごと吹き飛んでいたり、胴体に風穴が開けられていたりと、見るに堪えない凄惨な状況となっていたのだ。そして、その場で蠢く人では無い──無くなったが正しいであろう、気色の悪い物体。
傷だらけの腹部に、人の顔面のような見た目をした空洞を有している人では無い何か。いや、魔族だとしてもこんな形態は見たことがない。ただ一つ確実なのは、これは妖精剣士が対処しなければならない領分だということだけ。
「契約抜刀!来いっ、シエラディオス!」
既に戦闘を開始しているネルウァやファルネスさんに続いて、飛び出しながら霊剣抜刀した俺も異形の存在へと刃を向けたのだった。