第46話善人でもなければ、勇者でもない
馬車から降りて周りを見渡すと、にじり寄って来ていた男たちが辺りを一周囲んでいた。
気色の悪い薄ら笑いをその顔面に張り付けた二十そこらの盗賊たちは、白を基調とした制服を見てもなお、相手にしようとしているのがフィルニア学園の生徒──妖精剣士の力を有した存在だということに気付く様子はない。
「おぉ!中々上玉の女が乗ってんじゃねーかよ!それにエルフも!気持ちわりー変態貴族に売り飛ばせば良い値段つきそうだな!」
「クへへ……兄貴、その前に少しくらいコイツらで遊んでもバチは当たらんですよね!」
「ハッ!好きにしろッ!おい、そこの黒い髪のガキ!俺は今機嫌が良い!女とその馬車さえ置いてけば、テメェの命だけは勘弁しといてやるよ」
黒い髪のガキ……俺のことを呼んでいるのか。
男達の低俗で下世話な会話に耳を傾けながら、忌むべき人のゴミだとは思いつつ、今から生身の人間を自らの手で虐殺──それこそ、魔族が無抵抗の人やエルフを一方的に殺すことと、ほぼ同等のことをしようとしている自分との葛藤で、賊の党首と思われる大柄な男からの声に反応が遅れた。
「……なぁ、あんたは今まで殺めた人々の顔……覚えてるか?」
「はぁ?んなもん一々覚えてるわけねーだろ!良く分かんねーこと言ってねーで、とっと消え失せろッ!」
「そうか……そうだよな。お前らみたいなのでも、殺すのを躊躇してた俺がバカだった」
「殺すぅ?ブワハハッ!!オイガキ、てめぇ寝言は寝て言え!もういいわ。めんどくせーしここで殺しちまうか!!」
周囲の取り巻きと共に大口開けて、唾を飛ばしながら汚らしく大笑いする盗賊達。何が面白いのか良く分からないが、まぁ楽しいならそれで良かった。コイツらの人生最後の笑いなのだ、後悔しないよう今のうち精一杯笑っておくといい。
「……そろそろ笑い疲れたか?」
「……チッ!さっきからテメェのその態度どうも気に食わねーな。楽に死なせねぇぞ、たっぷり拷問して生きたまま豚の餌にしてやるから楽しみにしとけ?」
「……はぁ。シエラ、アリシア、ネルウァさん。いける?」
「えぇ。本当に救えない連中ね」
「いつでも、大丈夫です」
三人の首肯を確認し、心臓の鼓動を落ち着かせるようほんの一瞬目を瞑る。
怖いわけでは、ない。揃いも揃って同情する余地のないクズ共だし、妖精剣を握った瞬間から負けることなど万が一にもありえないのだから。
だが、ひたすらに理屈を頭の中で並べて理解しようとしても、男達がとうの昔に捨てたであろう人としての理性が、人殺しという領域に踏み込むのを必死に止めようとしてくる。そこに一歩でも浸かれば、もう後には戻れないぞ、と。
──うるさい、うるさい、うるさいッ!!
俺が妖精剣士になるために必要なことで、間違ったことをしようとなんてしていないんだ。むしろ、喜ばれ賞賛されることで、それで、それで……それで────
「殺す。殺すんだ……霊剣抜刀……」
呪言のような言霊を吐き、俺とシエラの魔術回路を結合させるための儀を行う。
それに続いて、ネルウァさんが唱えた。
「霊剣抜刀!霊剣アリシアード・ロゼ」
「神剣……シエラ、ディオス」
刹那、金色の障壁と煌々と燃える炎が唸りをあげ、飛散したシエラとアリシアの体が、それぞれ俺とネルウァさんの手に美しい文様を刻んだ一本の妖精剣として姿を変える。右手に確かな感触を感じるその剣には、先程まで隣に立っていたあの王女の面影など一切なく、刀身は神々しくも禍々しい光沢を輝かせていた。
魔術回路の合致によって、妖精剣士としての力を解放した……それ以外の部分は、姿から声音まで何一つ変化のないはずの俺だったが、途端に盗賊達は血相を変えながら青ざめて、
「……ヒィィィイイ!!コイツら、妖精剣士だったのかよッ!!に、逃げろ──ッ!!」
自分達は楽しそうに人を殺すのに、いざ殺される側に回ると急に命が惜しくなるのか。救いようのない矛盾だな。
俯瞰的にそんなことを思いながら、軽く地を蹴る。
盗賊が情けない声をあげながら馬車とは反対の方向へと身を翻した時、俺は既に先頭にいた男の進行を塞ぐように身を置き、その男が視界で捉えるよりも早く妖精剣をその頭上へと振り上げていた。
そしてそのまま縦に振り下ろそうかとした時、あれだけ気色の悪い笑みでシエラ達を視姦していたその目に絶望の色を滲ませた男が、体を縮こませて所謂土下座をしながら何かぶつぶつ呟いていた。
「助けてくださいお願いします。助けてくださいお願いします。家族を人質に取られて従うしかなかったんです。命だけは、どうか命だけは」
「…………」
これは、つまり命乞いか。
別に俺は善人でも無ければ、物語に出てくるような勇者様でもない。はっきり言ってしまえば、妖精剣がコイツの汚い血で汚れるのが嫌なくらいで、殺そうが殺すまいがどうだっていい。俺の全て奪ったのは魔族であって、盗賊じゃない。
「でも、もう止められないんだよ……」
全員が退学になってしまうからとか、悪党だからとか、さっきまで危惧していた人を殺める不安とか、そんなのがどうでも良くなってくるくらいに……
「《《高揚》》……するんだ」
握っている剣を力のままに振り下ろし、目の前の無抵抗な男を真っ二つに斬り裂いた。