第39話母と娘
「二人ともどこ行ってたのよ!すっごく心配したんだから!!」
初めてメディナ様に霊剣抜刀を披露した広場で一人、もちっとした両頬をぷくっと膨らませたシエラが、軽く地団駄を踏みながら露にした怒りを体で表現していた。
そんなシエラを見て無邪気で可愛いなぁとは思いつつ、それを口に出すのは火に油を注ぐよりも酷い爆炎と化してしまうのは明らかなため口を紡ぎ我慢する。多分本気で怒ってるし。
「うふふ、お母さんにリオ君独り占めされちゃって怒ってるの~?嫉妬してるシエラ可愛い~」
「ち、違うわよ!そんなんじゃないわ!」
「えー違うの?だったら、リオ君はお母さんが貰っちゃおうかしら」
「ダメ!それはダメだから!!」
扇情的な目線でシエラをからかうメディナ様は、余裕のある微笑を浮かべながら俺の腕にくっついてくる。そして、何故だか対抗意識を剝き出しにしたシエラも、メディナ様とは反対の腕にぴとりとくっ付き、いつの間にか俺は完全なる両手に花──いや、両手にダイヤの状態となっていた。
「二人とも離れてほしいなぁ……なんて」
両方から鼻腔をくすぐる甘い香りがして脳が少しフラっときているし……
「本当に離れちゃっていいのかしら~?」
クスっと笑いながら抱きしめる具合を強くしたメディナ様。
やっぱこの人絶対俺の心見えてるよねぇ!?そりゃ絶世の美人な二人の妖精に挟まれて嬉しくない男なんていないじゃんか!?
「ちょっとリオ!何お母様を見つめながら顔真っ赤にしてるのよ!」
「してない!真っ赤にしてないから!!」
「嘘!お母様のことエッチな目で見てたもん!」
「あらあら、うふふ」
「ちょっ!本当に見てないから!ていうか、シエラも離れてよ……」
「お母様が離れたら離れるわ!」
「何で!?……メディナ様、これ以上は本当に……」
「反応が可愛かったからって、ちょっとからかい過ぎちゃったかしら?」
そう微笑みながら、素直に俺の腕から体を離してくれたメディナ様。しかし、それとは対極に、シエラの方は目の下を軽く引っ張り舌をちょこんと出しながら「べー」といじらしい仕草をして離れて行った。本人は精一杯嫌味ったらしく振舞っているつもりなんだろうけど、何をしても気品と可憐さが滲み出てしまうのがこの王女の凄いところだ。
離れた後もしばらくは、機嫌を悪くしているシエラへ楽しそうに水を差すメディナ様と何も言っていないのに巻き込まれる俺という構図が続いたが、頃合いを見たメディナ様がそろそろ王宮へ帰るとのことでその場は落ち着いた。火種をまいた張本人が鎮火するという不思議な状況だが、シエラも落ち着いたようだしさすが親子の絆というか、子供の扱いをよく理解しているというか。
ここから少し離れた場所に護衛と帰るための馬車を用意しているとのことで、最初こそ「ここからは一人で大丈夫よ」と言っていたメディナ様だったが、俺とシエラがそこまで送ると執拗に迫った結果承諾し三人で向かうことになった。
「……そういえば、霊剣抜刀してる状態で俺が気絶したけど、その間シエラはどうなってたの?」
「私も大体同じような感じだったわ。急に視界が暗転したと思ったら、次に目が覚めた時はあのドームの中で横になっていたし……何が起こったか分からない状況で私だけ取り残されていたし……」
「それは俺も被害者というか……何というか……」
「それは分かってるわ、あなたも気絶させられてるんだから。だからこそ、二人で何を話していたのかが気になるんじゃない」
「シエラにはまだ早い秘密のお話しよ。指切りげんまんだってしたんだから!ね?リオ君?約束破ったら針一万本飲むのよね?」
「……は、はい」
あれ、おかしいな。確かに約束はしたし少し子供っぽいけど指切りもした。だけど、針百本だった気が……いやまぁ、どっちも死ぬのには変わりないから誤差でしかないんだけど。
満面の笑みを浮かべながらも、目では「もし話したら本当に死ぬまで針飲ませるわよ?」と言わんばかりの冷徹な視線に晒され、引き気味に頷く。
ちなみにメディナ様と交わした約束というのは単純なもので、今日ヴィル=マニギア大聖堂で見たもの聴いたものは誰にも──もちろんシエラにも漏らさないというものだ。シエラをあの場に連れて行かなかったのは、いたら絶対に太陽の喰われた日の出来事について話せなかったということと、自分の母親が膝をついて頭を下げている姿を見せなくなかったからだそうで、俺はそれを当然快諾した。
『自分は女王としての内政や外交、政治にばかりに着手して家族を全然顧みなかった。これで母親気取りって思われちゃうかもしれないけれど、私にはこれくらいしかあの子のためにしてあげられることはない』と寂しそうにぽつりと呟いていたが、子供のために他人に──それも、十六のガキに頭を下げられる親がどのくらいいようか。ここまで素晴らしい母を見て育ったシエラだからこそ、同じように人に優しくできるのだろうと思う。
「はぁ……もういいわよ。お母様がやることなのだから、きっと意味のあることなのだろうし、これ以上は言及しないわ」
少し肩を落とし、力の抜けた笑みを浮かべるシエラ。その表情に陰りは無く、心の底からメディナ様の、自身の母のことを信頼しているのが分かる。
王宮行きの馬車を待機させている場所は、メディナ様が言っていた通りあの広場からそれほど距離は無く、他愛もない話が盛り上がってきたところで着いてしまった。
目の前には、誰が見ても力の持った貴族だということが一目瞭然な豪奢で品のある馬車と、その後ろで待機した隊列を成す物凄い数の護衛。
その中のほぼ全ての人物が、俺に対し警戒の睨みを利かせているのが分かるが、それらに気圧されないよう一生懸命に胸を張る。
「ここまで送ってくれてありがとうね二人とも。最高の休日が送れたわ!」
「ううん、私もお母様と本当に久しぶりにお出掛け出来て凄く楽しかった!ありがとう!」
「リオ君も、色々と迷惑を掛けちゃってごめんなさいね。これからもシエラをよろしくお願いします」
「俺の方こそ無礼なことばかり本当に失礼致しました。シエラさんと共に、必ず最強の妖精剣士になってみせます!メディナ様もお元気で!」
「うふふ、とても期待しておくわ。……そういえば、結局最後まで呼び捨てにしてくれなかったわね?」
「それは……また後日ということで……」
「じゃあ、それも含めて期待しておくわ」
メディナ様は楽しそうに笑いながら、馬車の方へと踵を返し歩き出した。
そんな、一枚の水性画のように美しい後ろ姿を、俺とシエラはただ茫然と眺める。
だが、直進してそのまま馬車に乗り込むと思っていたメディナ様は急にその足を止めて、振り返ると駆け足でこちらに戻って来る。そして、その勢いのままシエラに抱き着いた。
「ねぇ……最後でいいから、もう一度昔みたいに《《ママ》》って、そう呼んでくれないかしら?」
最初は突然のことに驚き立ち尽くしていたシエラだったが、うな垂れていた二の腕を徐々にメディナ様の背中へと回し、涙ぐみながら、
「ママ!ママっ!!」
「シーちゃん!!」
夕日に照らされ橙に染まったその二人の姿は、女王と王女ではなく互いに愛し合った母親と娘として輝きを帯びながら俺の目には映った。
その後、夕暮れの中晴れ渡った笑顔で歩いて行ったメディナ様は、今度はしっかりと馬車に乗り込み、護衛の群はそれを囲むように隊列を組みながらリ・ウェレンツェを後にした。
その姿が地平線に沈み見えなくなるまで見送っていた俺とシエラだったが、やがて影一つ見えなくなるとシエラは俺の方へ向き直り、
「……そろそろ、私達も帰りましょうか」
「そうだね。真っ暗になる前にはイリグウェナに着きたいし」
夕日に照らされながら、同じペースで帰路へと歩き出す。
そして、少し歩いたところで俯きながら俺の服の裾を引っ張るシエラ。
「……ねえねえ」
「……何?」
「リオの……その……手とか、繋いでも……良い?」
「良いけど……随分急だね」
「そういう気分なのっ!」
そう言い、俺の左手を握るシエラ。
俺のバクバクと鳴り止むことを知らない心臓の音が伝わってしまわないか不安だったが、次第にそんなことがどうでも良くなるくらいの幸福感が全身を支配していた。
こうして、二人歩幅を合わせながらゆっくりと、あの騒々しい街といつもの日常へ戻って行くのであった
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これにて、リ・ウェレンツェ及び妖精の女王編は終わりです!次回からは学園での物語と例の行事がついにスタートするので、魔術や剣術、美しい妖精剣での激しい剣戟を見たい方は是非ご期待ください!
それに新キャラも!なんと、新しい子はあの赤い妖精の妹!?