第35話悪における裏表
「はぁ……どれも最高に美しかった!特にあの歌劇は、生涯忘れることができない程の圧巻さだったわね!」
ドーリア式の柱で支えられたドームの中で、光悦な表情を浮かべながら口早に語るメディナ様。
しかし、そんなメディナ様とは相反的に、見るからに疲労困憊といった様子のシエラは一生懸命に飲料水で喉の渇きを潤していた。
「二人とも凄いわ……芸術方面の話全然分からないから、説明されても何が何だか……」
「あら?でも、あの歌劇はとっても楽しんでいなかった?」
「演劇は私が本で読んだことあるお話だったから、それが目の前で起こっているみたいで楽しかったわ。でも、あの美術館での展示品の数々。館員の方が逐一説明してくれていたのに申し訳ないけれど、さっぱり価値が分からなくて……キャンパスにてきとうにペンキ落としたようにしか見えなかったわ……」
「確かに、シエラのお部屋昔から一つも芸術品置いていなかったものね。全く、誰に似たのかしら?」
「それは違うわお母様。本だって立派な芸術の一つよ?何十年前かに起こった芸術革命だって、その先駆けを築いたのはある作家が書いた一冊の本なんだから!」
自信満々に持てる知識を披露するシエラ。
俺と同じように読書が趣味なのは知っていたが、てっきり王族という印象から他方面の文化的財産の芸術品も好きなのかと思っていたので、シエラが美術品や彫刻をそこまで好まないのは正直少し意外だった。
「それより、リオが美術品とか歌劇についても知識が精通していることを知ったのが何よりもの驚きだわ!あなたとっても博識なのね!」
「いや、本で見たことのある有名な絵画とかがあったからたまたま知ってた」
「でもそれを言うなら、私も結構な冊数読んでいるはずなんだけれども……」
「シエラが呼んでるのは主に物語文でしょう?俺は結構いろんな類のを浅く広く読んでたから」
「だとしても、博識なのに違いはないわ!少し見直しちゃった」
「そうねぇ。全裸の女性妖精の絵を怖い顔で睨みつけてて、私が声かけた途端飛び上がって驚嘆してた時はただエッチな事を考えてるのかと思っていたけど、あれもきっと頭の中の知識と結び付けていたのよねぇ?」
ウグッ……。メディナ様とシエラが近くにいないことは確認したはずだけど、細心の注意を怠ってしまったッ!ていうか、この人めちゃくちゃニマニマしてるし、絶対分かってて言ってるでしょ……。
「え、えぇ……まぁ。はは」
口の端を無理矢理吊り上げて曖昧に返事した。シエラから冷えた視線が送られてきているが、気付いていないふりをしておこう。
メディナ様の立てた予定でリ・ウェレンツェ観光を始めた俺達は、あれから幾つかの施設へと足を運んだ。
まず初めに、『悪の表裏』という有名な小説を基にしたお話『ラグナ・プロデティール』という歌劇を観にこの街で一番大きい劇場に向かった。
『悪の表裏』という小説は、読書が好きな俺とシエラ共に一度は読んでいるためおおまかな内容は知っており、事実その通り忠実に物語は進んでいったのだが、そんな中でも目を見張った箇所が一つあった。それは、結末だけは原作とは全くの異なり方で描かれ、それなのにも関わらず美しく感動的な物語の終着をしているところだ。
このお話は、この世界が魔族に支配される前の時代──人と人が争っていた時の物語であり、一人の絶対主権の独裁者に対して、重税や貧困に苦しんでいた市民が団結して立ち上がり革命を起こすのだが、原作はこの革命には成功し独裁者を処刑したものの、結局市民の中からまた新たな派閥と権力者が出てしまい歴史と人間の醜さは繰り返される、必要悪の存在を説いて終わるという悲劇的な締められ方をしていた。しかし、『ラグナ・プロデティール』では、改心した独裁者を神の御心の元に許して、新たな時代を切り開きやがて出現する魔王と戦っていくという喜劇的な内容へと変わっていた。
大胆な路線変更だとは思うが、全く違和感を感じさせない話の構成と、何よりもそんな雑念を吹き飛ばしてしまうくらい迫力のある音楽、激情と奮い立つ演技をする演者によって『悪の表裏』とは全くの別物の作品にさえ感じてしまう。いや、俺個人が『ラグナ・プロデティール』のような結末を願っていたからそう感じるだけなのかもしれないが。
歌劇が終わった後は、歴史的・文化的価値の高い美術品が飾られている美術館に行ったり、大陸屈指の楽団によるオーケストラを聴きに行ったりとまるで貴族のような(内二人が王族なため間違いではないが)半日を過ごしていたが、実際のところは『ラグナ・プロデティール』の余韻で頭がいっぱいだったため、あまり感慨に浸ることはできなかった。いやまぁ、全裸の妖精の絵画の関してはじっくりと浸ってしまったが。
その後も幾つか転々とし、一休みするために人が全くいない座れる場所へと移動してきて今に至る。
「私も、執務外で自由に趣味を謳歌するのが久々で、はしゃぎすぎちゃったわ。息が切れるのなんていつぶりかしら」
「お母様もたまには休息を取らないと過労死しちゃうわよ?」
「破天荒な娘が、国民の悲しみを蚊帳の外から眺めていて何が王族か!って王室を飛び出して行っちゃったから、毎日色んな派閥を抑えるのに苦労してるわね」
「うぅ……ごめんなさい……」
「ふふ、冗談よ。本当はね凄く嬉しかったのよお母さん。しーちゃんが自分の意思で世界と向き合おうって頑張ろうとしていて。少し寂しいけどね」
そう言い、はにかんで見せるメディナ様。
シエラは瞳の淵をほんのり湿らせながら、
「ありがとうママ。私頑張るから!」
この場にしみじみとした雰囲気が漂う。
こんな無邪気なシエラの姿を見たのは初めてだ。俺は拳を固く握りしめて、改めて最強の妖精剣士になろうと決意を固めた。
「そういえば──」
先程までとはワントーン下げた声音で話を切り出したメディナ様。
はしゃいでいたメディナ様からは考えられない、まさに女王の貫録が乗ったその声音に俺は少々たじろぐ。
「リオ君……一度使った魔術が使えないらしいと聞いたけど、それは本当なのかしら?」
どこかのタイミングでは言われるだろうと思っていたが、最も避けたかったその話題を切り出されてしまい固唾を呑む。
「……はい」
「そう……まぁいいわ。この子を使って一度霊剣抜刀して、魔術を発動しようとしてみてくれないかしら?」
「今……ですか?」
「えぇ、今」
なるほど。最初からその目的で、人目が全くないこの場所に休憩って名目で連れてきたのか。相当念入りに調査してきてるなこれ。
とはいえ、何度試行しても魔術は発動どころか、そのイメージすら湧かなかったのだ。そもそも魔術というのは本来、使えたり使えなかったりという代物ではなく、想像の具現化なため『分からない』は使えないに等しい。報告書を拝見されたならそれは理解していると思うのだが、いまいち考えていることが掴めない。
だが、今のこの状況で断るという選択肢は存在しえないわけで。
「……分かりました」
首肯してシエラと共に立ち上がると、メディナ様から少し距離を取ってゆっくりと深呼吸をした。
武者震いなのか恐怖なのか、おそらくは後者だろうが手の震えが止まらない。
何を考えているか分からない、分からないからこそ底知れない恐怖を感じる。
緊張を殺すために奥歯を噛み締めていると、左手に心地の良い温もりが。
「大丈夫。私達なら大丈夫」
シエラの温もりとその言葉で、引いていた血の気が激流の河川ごとく循環を始め、自ずと体中が熱を帯びる。
そうだ、俺は一人じゃない。一人じゃないんだ。
「いくぞ、シエラ!霊剣抜刀!神剣シエラディオス!」




