第34話ご主人様♡
「────~♪」
「う……うぅ……」
一切の濁りが無い澄み切ったハミングで奏でられた歌が、じゃっかん熱を帯びた俺の耳に入ってくる。
意識が明るみを取り戻すにつれて、その美声は鮮明に形取られていった。
「起きたかしら?」
開かれた視野には微笑を浮かべるシエラと、その碧さに負けず劣らずの蒼穹が。
「あなた急に倒れちゃったからビックリしたのよ?」
あー……そうだ。メディナ様とシエラの胸の中に飛び込んで、そのまま息が出来なくなったんだった。
だが、そんなことをシエラに言えるはずもなく──いや、言ったら不敬罪で捕まりそうだし、乾いた笑いでてきとうに誤魔化す。
「それより、ここは……?」
「もちろん私の膝の上よ?」
「もちろんの使い方絶対間違ってると思うんだけど……?」
「そんなの誤差よ」
そう言い、俺の唇に人差し指を当てるシエラ。
喋ることを封じられた俺は、気恥ずかしさのあまり目を背けてしまった。
張りのある心地の言い感触に、ほんのり伝わってくる体温。意識がはっきりしてきた時点で何となく察していたけど、いざ言葉として言われるとやけにむず痒いな……。
「メディナ様は?」
「お母様なら冷たい飲み物を買い行ったわ。私が行くって言ったんだけど、『あなたはリオ君のそばにいてあげなさい!』ってそのままどっか行っちゃって。お母様ったら昔っからずっとあんな感じなのよね」
シエラは嬉しそうにはにかみながら苦言を呈す。
「でも何かあったら……」
「それなら大丈夫よ。ここはヒューマン側の文化都市でエルフの女王の顔なんて知ってる人の方が少ないだろうし、三人きりって言いながらもどうせ王家専属の護衛妖精剣士を二人連れてきているんだろうし。そういうところ本当に抜け目ないから」
「そう……なんだ」
抜け目ない……か。完全にあの方の勢いに気圧されて振り回されてたけど、俺が今相手しているのは妖精の女王そのものなんだよな。
ふと、学園の誰もいない教室でひっそりと交わしたシエラとの約束が頭をよぎった。
『絶対に契約者として認めてもらう。だから、一緒に乗り切ろうシエラ』
そう大口叩いといて、今やってることと言えば女王を一人にしてシエラの膝の上でお昼寝か。情けないにも程があるな。
黙り込んで自らの思考に耽っていると、見かねた様子のシエラが俺の凝り固まった頬をこねくり回しながら、
「もう。また難しい顔してる!」
「ご、ごふぇん」
「色々考えなくちゃいけないことがあるのかもしれないけれど、とりあえず今は楽しみましょうよ?私もこんな格好にさせられちゃったしね」
はにかみながら自身の着ているメイド服を軽く引っ張るシエラ。
俺はそんなシエラを見ながら、名残惜しくもゆっくりと膝から頭を離し、勢いをつけて地面へと着地した。
「そうだね。色々気負っても空回りしそうだし」
苦笑交じりにそう言うと、シエラも立ち上がり短いひらひらとしたスカートの両端を摘みながら、
「えぇ、肩の力は抜いていきましょう。ちょっと頼りないけど優しい《《ご主人様》》」
あどけない上目遣いをしながら、悪戯な笑みを浮かべるシエラ。
──ッ!可愛すぎる!!
ただでさえ孤高の美しさを誇る妖精が、露出の激しい服であざとく決めているのだ。いつもなら当然のごとく速攻で悩殺される。
だが、今日の俺はそんな浮ついた気持ちのままではいられない。
自らの舌を噛みギリギリのところで冷静さを保つと、少し口端を上げてシエラの耳元へと寄る。
「その恰好、凄く似合ってて可愛いよ。《《俺の》》メイドさん」
「……っ!な、な……」
不意を突かれたようにハッした表情で、力が抜けたような声音を出しながら、みるみる内に顔を朱に染めていくシエラ。
そんな様子が堪らなく可愛らしかったため、一歩下がってシエラの顔を見つめていると、不服だったのか顔を俯けてしまった。
その後、タイミングを見計らっていたかのように戻ってきたメディナ様から水を頂き、際どいメイドの衣装を着た二人との、文化の街──リ・ウェレンツェの観光が始まったのだった。
ちなみに、その道中シエラはずっと俺と一定の距離を保ち、目が合ってはすぐに逸らして目が合ってはすぐに逸らしてを繰り返していたのだが、恐らく嫌われたわけではないと思う。うん、多分。