第26話 魔術の祖
「凄いな……完全に修復してる……」
純白に発光した光の粒子に包まれた傷は、痛みと共に傷跡一つ最初から無かったかのように綺麗さっぱり消えていた。致命傷になるはずの深い裂傷だったが、今はもうそれも見る影がない。
『良かった……ちゃんと修復されたのね……』
この場から消え去ったシエラの声が俺の脳内に直接響く。
いや、それどころか、おそらく今シエラが感じているだろう安堵の念が俺の感情にまで影響を及ぼし、心がほんのりとした温かさで満たされる。まるで、自分の心の中にもう一人の何かが住みついたかのようなそんな感覚だが、慣れないこの感覚に違和感はあるものの、まぁ悪い気分ではない。
「あぁ。おかげさまで完全復活ってところかな」
傍から見たらただ俺が一人で喋っているようにしか見えないと思うが、ここにいるのは野蛮な犬公と人の皮被った化け物だけだし、気にする必要はないだろう。
「な、何故お前が生きているんだ……ッ!それに何だこの感覚……この私が、怯えている……?そんなことがあるわけ……」
「やっと化け物らしく醜い表情になったじゃないか。何で生きてたかって?そんなの俺が聞きたいよ。お前の可愛がってるそこの餓狼種が、非力な人間可哀想ーって情でもかけてくれたんじゃないか?」
明らかに先程までとは違った表情を浮かべる魔人が面白く感じ、半笑いで嘲る。
「そんなわけがない!確実にお前の生命の色が一度は消えたのだ!この私の目で,
それを確認した!」
「なら、お前の目ん玉が節穴だったってだけだろ?良かったな答えが分かって」
「き……貴様ッ!」
『ちょ……ちょっと!それ以上は刺激しない方が良いんじゃ……』
目の色声色、そして口調をガラッと変えて騒いでいるあの魔人が可笑しくて仕方のない俺は、さらに言葉を付け加えようとしていたが、シエラから憂いを帯びた感情が伝播してきたため、喉から出かかっていた言葉達をグッと呑み込む。
契約を交わしてからというもの、精神状態がずっと異様な高揚感と安心感に支配されている俺は、何の根拠があるのかは自分でも分からない謎の余裕で、心が満ち溢れていた。
「ハッ!所詮ただの人間が新米の妖精剣士に昇華しただけじゃない!二度とその舐めた口を開けないように、即刻殺してやるわ!」
シエラに止められたからあれ以上に言わなかったんだけどな……どうやら、もう頭に血が昇りきって憤慨しているらしい。まぁ元々戦闘は避けられないんだろうけど。
血相を変えた魔人が、荒ぶりすぎて掠れた声で叫んだのに呼応して、餓狼種が先程までとは比べ物にならない勢いで踏み込み、《《今までであれば》》捉えることすらできない速さで俺の元へと飛び込んでくる。
「……なるほど」
一言、そう呟いた。
これには特に意味なんてない。ただ、呆れというか──こんなのに人生の選択を迫られていたのかと思うと、はっきり言って今までの自分がバカバカしく思える。だってそうだろう?こんなに、
「遅いんだから」
視界一面が真っ赤に染まる。
そして、バタンッと重量のあるものが、重力に抗う術を無くして地面に打ち付けられる鈍い音が響いた。
生き生きと楽しそうに人を殺めようとしていたあの餓狼種の姿はもうそこにはなく、代わりにあったのは、死んでもなお筋肉の伸縮によって手足がモゾモゾと動いている切り離された頭と胴体。つまり、ただの肉塊だ。
「ッ!?妖精剣士になったばかりの新米が、私の餓狼種を一撃……?そんなこと……有り得るはずがないわ……」
「さっきまでの余裕はどうしたんだ?」
絶剣に滴る魔獣の汚れた血液を振り払い、目の前に転がる頭部を踏みつける。
魔人は俺の問いかけには答えず、何かを考えるような姿勢で険しい表情のまま動かない。
「それに、あなたから感じる、この────」
ぶつぶつと一人で話しているが、その声は小さすぎて途中から何を言っているのかほぼ聞えない。
だが数秒もしないうちに、顔を上げた魔人は、あの澄ました表情に戻していた。
「……そろそろ整理付いたか?」
「えぇ。きっと、魔王様があえて私をここへ当てがったんだわ。この先大きな波紋を作るであろう、あなたのような害悪な芽を潰すためにッ!」
そう言うと、魔人は目を見開き蛇のような眼を見せる。そして、肌をさらに青く──もはや、緑に近い色へと変色させ、様々なものを見てきてある程度のモノなら見慣れている俺でも、ブワーっと鳥肌が立ってしまうくらい異様な姿へと変化を遂げた。
そこにはもう、女として捉えられるであろう特徴などは一切なく、いよいよ、
「化け物らしくなったじゃないか!」
『気を付けて!来るわ!』
刹那、俺の視界から魔人の姿が消える。
「……ッ!」
餓狼種とは比べるのもおこがましい、常軌を逸脱した速度で俺の頭上へと飛んでいた魔人。
「シネェェエエ!」
醜く伸びた強靭な爪で頭部を切り裂こうとしてきたのを、視野ではなく空気感で感じ取り、直撃した場合間違いなく必殺の一撃を誤差のラインで躱す。
──この尋常じゃない速さ……あまり視覚には頼れないな。
妖精剣士となり、いくら人外の力で五感が異常な発達をしているとはいえ、相手が相手だ。そう簡単にはこの超常の動きについてはいけない。
しかし、研ぎ澄まされた第六感のような感覚と、契約による爆発的な各機能の向上を併用すれば何とかならんこともない。
続けて二発、三発と立て続けに激しい攻撃がくるが、その猛撃を間一髪剣でいなしながら対応し、体勢を立て直すべく一度後方へと跳ぶ。
「何だ?あれだけ舐めた口をきいていた割には、ただ避けるだけか?言っておくが、あの程度の魔獣と私とでは、桁違いに戦闘能力の差があるからな。あの魔獣を殺したくらいで図に乗るな!」
「……ッ!小手調べだ」
「ハッ!いつまでその虚勢が続くか見ものだな!」
実際こいつの言う通り、虚勢なのは間違いないなかった。
防戦一歩で反撃の隙など与えてはくれない。
それに、今のこの状況で押し返せないのでは、正直この魔人に勝つことは到底不可能だ。何故なら、魔人にはアレが使えるから。
『リオ。分かってると思うけど、このままじゃあの魔人に魔術を使われたら、あなたの体は塵も残さずに吹き飛ぶわ……』
あぁ、分かってる。でも俺、魔術の使い方とか知らないしな……。
どうにか攻撃を受け流しながら打開する方法を考えるが、剣を振る方に全集中力を注ぎ込んでいるためマトモに思考することができない。
そんな受ける一方の戦闘を繰り広げていると、魔人は満を持したかのようにスっと攻撃していた腕を止め、まるで勝ちを確信したかのように目を細め、甲高い声かなぎり声で笑った。
「うふふ。あははははは!……やっぱり。あなた、魔術が使えないんでしょう?」
「…………」
「所詮は雑魚ね。もう終わりにしましょうか?私に魔術を発動させたことは褒めてあげる。それに評して、真っ白な美しい灰にしてあげるわ!」
醜顔の口角を二ターっと吊り上げ、自身の周りを漆黒に発光した粒子に包ませる。 それはまるで、霊剣抜刀する時に出るあの眩い光のような。
その直後、俺の足元に楕円の何かが出現した。
肌と脳にピリピリと張り付く、電流のような僅かな痛みが走る。本能から危険信号を送られているような、そんな感覚。
「これは……絶対死ぬな……」
『ねぇリオ。回路と魔力が結合してすぐだから、はっきり言って暴発して死ぬかもしれないし、発動するかは定かじゃないけど、一つ賭けてみない?』
シエラの思考が俺の頭に流れてきているため、何がしたいのかは自ずと分かる。
俺は、二つ返事で承諾した。
「……あぁ!どのみちこのままじゃ死ぬ運命だし、やってみよう!」
瞼をこれでもかと言わんばかりに強く閉じて、頭の中で描かれている夢のような───はたまた、現実のようなものを、ハッキリとした形になるように《《そうぞう》》する。
「───!消え失せろ!!」
魔人は、何か詠唱のような文言を唱え、それが言い終わるのと同時に俺の足元は激しい轟音と共に爆散したのだった。




