第25話 霊剣抜刀
赤黒い血液が、今までに見たことがないほど大量に自身の体外へ放出される。
こんな状況ながら不覚にも、あぁ俺の体にはこんなにも多くの血が流れているんだなと、そんな呑気なことが頭によぎる。
抉られた部分は、突き刺すような熱さによって痛みという感覚が麻痺しており、朦朧とした意識の中で非情に突き付けられた現実的な死だけが今生きていることを俺に実感させた。
「な、何で……」
感情を失ったかのような声音でポツリとそう言ったシエラは、地面に膝をつき一滴、また一滴と涙を零れ落とす。
「アハハハ!本当にあなた達って不思議な種族なのね!せっかく生存の道を譲ってもらったのに、庇って自ら死ぬなんて!ここまでいくと、もはや愚かとかそういう次元を超えているわ!」
魔人は心底愉快そうに高笑いしている。
俺に意識があることはまだ気付いていないのだろうか?まぁ、確かにもうじき息絶えるし同じか。
自分がした行いがどれだけ愚かで救いようのないことなのかなんて、コイツに言われなくても俺自身が一番理解している。
俺の命に代えてシエラを救ったなんていう高尚なもんじゃない。シエラ自身もそんなことを望んでいないのは分かっているし、正真正銘完全に俺のエゴ。
シエラを見殺しにして自分だけ生き残った後、毎晩のように今日のこの光景を思い出して死にたくなる衝動に駆られるのが怖くて俺はそれから逃げたのだ。その衝動を、一国の王女として覚悟を決めて首を差し出した気高き少女に押し付けて。
——ほんと、俺はどこまでいっても魔人の手の平の上なんだな。
もはや呆れるのも烏滸がましい愚行を俺自身自覚していた為、シエラから何を言われようが、どれだけ恨まれようが受け入れようと思っていた。
いや、むしろこんな汚い方法で逃げて、シエラを絶望させたのだから、人格を真っ向から否定するくらいの罵詈雑言を浴びせられるのが当然の報いだ。
だが、シエラは酷い暴言を吐くわけでもなく、また、俺の愚行を責めるわけでもなく、横たわっている俺の手を優しく握りしめ、今まで溜め込んでいた何かが破裂したかのように大きな声で泣いている。そこには、今まで見てきた気高い王女の姿は片鱗もなく、ただひたすらに妖精の少女が映っている。
「何で、何でッ!……何で、私なんかのためにッ!」
「…………」
言葉を発せようとしても上手く声帯が機能しない。
か細い消え入りそうな呼吸で息を繋ぎながら、ほんの少しだけシエラの手を握り返す。
「グスッ……グスッ……また、また私は……置いて行かれるのね……」
シエラは、嘆きに近しい悲痛な声音でそう言うと、敵前だというのにも関わらず俺の体に顔を埋めてさらに泣き出す。
「あら、さっきまでの威勢はどうしちゃったのかしら?もしかして……もう壊れちゃったの?」
魔人は口角を上げながら煽りを含んだ口調で言うが、泣き崩れたまま姿勢を変えないシエラの耳にはそんな戯言が入っている様子もなく、言葉を返す仕草などは全く見受けられない。
「……はぁ、まぁいいわ。約束だし、あなたはさっさと外に出なさいな」
魔人は、全く反応が無いシエラを見てつまらなくなったのか、ただ単純に飽きてしまったのか、さっきまでの皮肉めいた楽し気な声音から一転、冷たく起伏のない声音で、鬱陶しい邪魔なゴミを払うかのような視線でシエラに指図する。
「…………」
しかし、シエラはそれさえも無視して地面に膝をついて泣き続けている。
その大粒の涙は俺の喉元に零れ落ち、頬を滴らせて、まるで俺の瞳から伝っているように見える。
「ねぇ、私興味を失ったつまらないものに対して気長に時間を使えるほど、暇じゃないの。早いところ行ってくれないかしら?」
じゃっかん苛立ちの色が透けた声で急かす魔人は、背筋が凍るような殺気でこの空間を覆うが、シエラは相も変わらず何の行動も見せない。
「持ち掛けた提案を自分の手で破るのは私の美学に反するけれど……気が変ったわ」
突っ立っていた餓狼種に指示を出す魔人。
命を受けた餓狼種は、傍目から見たら重そうな足取りでゆっくりとシエラの背後へと足を進める。
「人間もバカだったら、妖精もバカなのね。ほんと、救いようのない種族。そんな悲しまなくて大丈夫よ……今すぐ、あなたも同じ所に送ってあげるから」
餓狼種は、俺をかっ裂いた時と同様、強靭な爪が露出している手を振り上げる。
「じゃあね。知性の低い妖精さん」
「……ご、ごめ、ん……」
シエラが背中から引き裂かれようかとしたその時、洞窟の中に人間の男の声が木霊した。
その声は紛れもなく俺の声であり、言葉として発した内容は、紛れもなく俺がずっと言葉としてどうしても伝えたかったことだ。
「なッ!?有り得ない!この人間は確実に殺したはず!私の目で確認したのだから、殺り損ねているはずがないわ!」
喉の部分に感じた急な違和感と共に、今まで一文字も発せられなかった言霊を紡げたことに俺自身も驚きを隠せないが、それ以上にあの魔人は動揺している様子だ。
対面してから初めて見せる、明確な表情の変化。これさえも作り物の可能性はあるが、正直どうだっていい。
「リ……リオ?」
「シ……エラ……」
涙を流しすぎて充血した目を見開いて、弱々しい声音でぽつりと俺の名前を呼ぶシエラ。俺は、それに応えるように精一杯声を出す。
「息がある今なら……もしかしたら……」
シエラは何かを思いついたのか、一瞬ハッとした表情を浮かべたが、すぐに意を決した力強い表情に変わる。
そして、シエラは横たわり身動きのとれない俺へ、間髪入れずに距離を詰めてくる。俺とシエラお互いの顔の距離がほぼゼロになった。
「何か嫌な予感がするわ。餓狼種!今すぐそいつらを八つ裂きにしなさい!」
声を荒げた魔人は、甲高い声音で命令する。
今までにない速さで地を蹴り込み、圧迫されそうな殺気を剝き出しに本気で殺しにかかってくる餓狼種。
だが、俺とシエラを絶命させるには、ほんの少し《《遅かった》》。
「な……何を……」
シエラは俺の唇に自身の唇を重ね接吻を交わし、口元の切れた部分から止めどなく流れる血を舐めとった。
そしてその瞬間、俺とシエラを包むように金色の障壁が展開され、餓狼種はその障壁へと爪を立てて突っ込むが、貫通するどころか爪が割れそのまま折れる。
「これは……」
金色の障壁に包まれている俺の体は、みるみるうちに傷が修復され力が入るようになってきた。
唇を俺から離したシエラは、口角に血を付着させながら優しく微笑み、
「儀式の、その始まり」
「い、いや……シエラにとって契約は、何にも代えがたい大事なもののはずだ。俺には君と契約を結ぶ資格なんてない」
「だから……だから、あなたなのよ……リオ。私は、あなたに命を預けたい。……それに、これを見て」
そう言い、自身の手の甲を見せてくれる。そこには、シエラの妖精紋が激しく輝いているのが確認できる。
「……俺の妖精紋も」
俺の手の甲に刻まれている妖精紋も、焼けるような熱さと共に発光しているのが分かる。
「私は……あなたの剣になりたい。後は、あなたの返事次第……」
目の前にいる崇高な妖精と契約を交わす資格がないことも理解しているし、ここで妖精剣士になったとしても立ちはだかる魔獣と魔人を討伐して外に出ることは絶望的だろう。
──だけど、それでも……ッ!
「シエラ。俺の……俺の剣になってくれ!!」
周りを覆っていた金色の障壁が紛散する。
そして、妖精の体は光の粒子として形を変えた。
「霊剣抜刀」
反響する言の葉。
人、妖精、そして魔族。全ての者たちの運命を狂わせる、時代をも掌握する妖精剣士とその剣が、今ここに降誕した。
「神剣……シエラディオス」