第24話 救いようのない自己犠牲
はちきれんばかりの集中力と共にタイミングを合わせて斬りかかった俺とシエラだったが、魔人は腕を組んだままその場を微動だにせず、それに代わって立ちはだかった餓狼種によっていとも簡単にその斬撃は止められてしまう。
「グルァガルルルッ!」
そして、守備動作から一転、瞬時に剣を受けた側とは反対側の強靭な腕を大振りし反撃に興じた魔獣によって,俺とシエラの体は宙へと飛ばされる。
「ガッ!ハァ……ッ!」
そして、地面へと飛ばされたシエラへ更に追い打ちをかけるように、殺した妖精剣士の肉片がこびりついた鋭利な爪を首筋へと放つ餓狼種。
その鋭い一撃を間一髪のところで避けたシエラとスイッチするように、俺は餓狼種の脇腹に剣先を向け、刺し貫く勢いで飛び込んだ。しかし、大柄な体躯の割に身軽な動きをするこの魔獣は、ひらりと身を翻しながらそれを躱し、体毛にべったりと血液が付着した拳によって逆に俺が反撃を受けてしまう始末だ。
「大丈夫、リオ?」
「あ、あぁ……」
剣を杖代わりに体を起こす俺に、足早と駆け寄ってくるシエラ。
その間、何故か餓狼種が連続的に攻撃を仕掛けてくる様子はなく、俺達が魔人に手出しできないようその直線状を遮って立っているだけだった。
「……なんだ、警戒しているのか?」
――見るも明らかなほどに大きな実力差があるのに?
今の状況を鑑みると違和感のあるおかしな話だが、魔獣は上位になるほど知能指数が高くなると聞くし、そういうものなのだろうか。
そんなことを考えていたら、シエラは軽く頭を横に振りながら、
「あれは、違うわ。遊んでいるのよ……私達で」
「……なるほど」
まぁ、素直に納得だな。
きっとコイツらからしたら、俺達を殺すことなど赤子の手を捻るくらいに安易でただの玩具に過ぎず、二つの生命を奪う程度のことなどもはや娯楽でしかないのだろう。
元々無謀な戦闘だということは百も承知な話だが、だったらせめて、
「……一発くらいは、当てたいよな」
「そうね。どうせ死ぬのなら、傷くらいはつけてからよね」
無理矢理口角を上げ、気持ちを奮い立たせながら体勢を立て直す。そして、頭に昇った沸騰しそうな血を、深い呼吸をしながら一度落ち着かせた。
刹那、空を裂くように踏み込んだシエラ。それに合わせて、俺の体は共鳴を見せるかの如く瞬刻に動き出した。
先程よりも断然冷静になっているからだろうか、シエラの動きを鮮明に捉えることができるし、自分がどう動くべきなのか感覚の中で分かる気がする。
流れるような斬撃による猛攻の中で、シエラが一舞し終わった瞬間に俺が次の流れを繰り出す。攻撃をされる前に手数の多さで押し、反撃の隙を与えないという単純な戦い方だが、この状況ではこれが一番の手法であり二人の動きによく馴染んでいる。
「シエラ!」
一声かけ、目線を一瞬合わせる。そうして、二人の動きの中に生じる微妙なズレを修正し、さらにもう一段階速さを向上させ感覚を研ぎ澄ませる。
「……無駄なことなのに、どうしてそこまでするのかしら?黙って命乞いだけしていば良いものを。本当に理解に苦しむわね」
遠目の見物をしている魔人は若干訝し気な声音で苦言を呈しているが、体中のあらゆる細胞が活性し極限的集中状態にいる俺の耳には、顔の周りにたかる羽虫程度の雑音でしかない。
限界に近いこの極限状態のおかげで、最初こそシエラの人間離れした速さについていくだけで必死だった俺も、餓狼種の体勢を崩すための起点を狙いに行けるくらいには、自らの剣舞を繰り出すことが可能となっていた。
薄暗い空洞の中、摩擦による耳をつんざくような激しい金切り音と、それに伴って飛び散る無数の火花。
「リオ!」
背後からシエラの叫び声が聞こえる。
俺の名前を呼ぶ為だけのたった二文字だが、呼ばれた理由を頭で考えるよりも先に体が理解しており、描かれるだろう一閃の妨げにならないよう瞬時に体を屈めた。
「ハァッ!!」
俺の頭上すれすれをシエラの刃が掠める。
不意打ちとなる死角からの一撃に、餓狼種は守備動作を入れるのが間に合わず、剣は血肉に餓えた悍ましい顔面へと刃を走らせた。
「「よし!」」
俺とシエラは互いに歓喜の声を上げる。生身で上位魔獣へ一撃入れたと、そう確信を持つほどに美しく洗練された死角からの一撃だったからだ。
しかし、さすが人智を超えた魔の者と言うべきか、予測でも見切りでもない単純な反射神経だけで、確実に間合いを
抜けるはずであったその刃を歯で受け止め、その侵攻を防いだ。
「噓でしょ……」
脳の処理が追い付かない目前の出来事に、俺とシエラはもはや苦笑を浮かべるほかない。
そんな俺達の様子を見ていた魔人は、狭い歩幅でわざと地面につく足音を出して近付いてくる。
「うふふ、やっと良い表情になってきたじゃない。あなた達のトロい動きじゃ、どう頑張ってもこの子はどうにもならないと思うわよ?」
一歩、また一歩と寄ってくる魔人。
立ち尽くす俺の前まで来た魔人は、小動物を愛でるかのような不気味で楽し気な笑顔を見せた。
一応くらいの心持ちでその首目掛けて剣を振るうが、もちろんその行動に意味はなく、人差し指と中指でピタリと止められてしまう。
そして魔人は、その体勢のままゆっくりと口を開いた。
「長いことあなた達人類と殺し合いをしていると、だんだん退屈してきちゃうのよねぇ。だから、私面白いものが見たいの」
唐突に身の上話を始める魔人だがその内容に全く興味はなく、目を細めた俺は冷めた声音で言う。
「……殺すなら、とっとと殺せ」
「そんな堅苦しいこと言わないで、ちょっとお話しましょうよ。そうだ、一つ提案があるの。あなたと今私の後ろで斬りかかろうとしてるそこの妖精、どちらか生かしてあげるわ。話し合ってどっちが生き残るのか決めなさい」
突如として選択を迫られた魔人の意味不明な提案に、俺は思考が止まってしまうが、相変わらずの冷静さを保ているシエラは、すぐに構えていた剣を退き少し考える姿勢を見せてから、言及する鋭い口調で魔人へと聞き返した。
「……それは、本当よね?」
「えぇもちろん。こうして未だにあなた達二人が生きてるのが何よりもの証拠じゃない?私が見たいのは、生死の選択を投げかけられた時のあなた達の姿なの。ちなみに、前にこの提案をした二人の人間は、生きる方を決める為に結局殺し合いまで発展して、仲良く共倒れしてたわ。ふふ、あれは今思い出しても最高に滑稽でとっても面白かったわ」
「……バケモノが」
にわかには信じがたい提案だが、まぁ本当なのだろう。この魔人が言ってる通り、殺そうと思えばいつでも殺れたこの状況であえて泳がせていたのは、この提案をするためだったと考えれば納得もできる。
それよりも俺が驚いたのは、この提案にシエラが乗ったことだ。「そんな提案に乗るわけないじゃない!」と突っぱねそうなものなのに。
「……本当に提案に乗るの?」
「この魔人がわざわざ虚言を吐く理由もないし、何よりここまでの力の差を見せつけられるとね……」
「で、でも!それじゃあ……こいつの思う壺じゃ……」
「見たいのは、生に執着した人と人の人間らしい争いなのでしょう?何故こんなにつまらない提案をけしかけてきたのか理解できないけれど、ずっと言っている通り死ぬのは私よ。ここに争いなんて生じないわ」
「それは、そういう問題じゃ……」
俺がグッとシエラに詰め寄り言葉をぶつけようとすると、遮るように煽りを入れるような口調で魔人が口を挟んでくる。
「妖精のあなた、どうせ自分だけが犠牲になればそれで良いと思っているんでしょう?残念だけれど、あなたが考えているより簡単な話じゃないわよ?」
「……なに?」
「もし、あなたをここで見捨ててこの人間が生き残ったとして、その後まともに生活を送れるのかしら?少なくとも、もう妖精剣士になるなんて絶対に出来ないだろうし、一生罪悪感と悪夢に悩まされることになるわよ。何も私は、バカが醜く争うだけが面白いものだとは思ってないわ。あなたにとってはその最期は美学かもしれないけれど、視点を変えればとっても残酷な行いよ」
「……ッ!」
不覚にも、俺が言おうとしたことをさらに詳しく分かりやすく魔人に言われてしまう。そして、皮肉にもシエラはその事実を魔の者によって気付かされコクりと黙り込む。
「まぁ、別に死ぬのはどちらでも良いのだけれど。結局生き残った方は何かを背負って生きていくわけだし。それこそ、自ら命を絶ってしまいたくなる何かを、ね」
口角を上げユラユラと嗤っている魔人。何から何までこいつの掌の上らしい。
シエラは肩を震わせ拳をぐっと握りしめると、ゆっくりと俺の方に振り返り、下唇を噛みしめた泣きそうな笑顔で、
「ねぇ……最期の最期のワガママ、聞いてくれないかしら?あなたは生きて……それで、私がこの世界に生きていた事実をずっと覚えていてほしいの。私初めてだった……他人と話していて居心地良いなって感じたり、楽しいなって思ったの。いっつも私の周りには、権力者っていう理由で集まる者と、何かしら裏を抱えて近寄ってくる者ばかりだったから。だから、生きて……。それと、ごめんなさい。本当に、本当に……ごめんなさい」
シエラの美しい瞳から堪えていたであろう涙が溢れ出し、頬を伝る。
シエラが謝る理由なんて一つとして無いのに、悲しげに笑いながらただひたすら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と言葉をつづる。
「シ、シエラ……ちょ、ちょっと待って……」
まるで助けを乞うかのように、俺は掠れた声音で必死に手を伸ばす。
しかし、その手は届かない。
伝った涙を拭い、魔人の真ん前でせめてもの強気な表情を作るシエラ。
「私を……殺しなさい。さぁ」
両手を広げたシエラは、目を瞑り首の角度を上にあげる。
「はぁ、身勝手な妖精なのね……まぁいいわ。やりなさい」
魔人は溜息混じりにそう言うと、後ろに控えていた餓狼種へ片手で指示する。
そして、命を受けた餓狼種はシエラの前までノソノソと歩き、ゆっくりと右手を上げ鋭利な爪を思いきり立てた。その爪は、不気味なまでに黒光りしている。
「さよなら」
魔人のその一言が言い終わる頃には、赤黒い血液が宙を舞い花の花弁のような広がりを見せているのであった。