第21話引き裂かれた無惨な肉塊
「はぁ、はぁ……」
猛烈な勢いで走って行ったシエラを、追いかけるように走った俺は、追いついた頃にはゼーゼーと息を切らしていた。
この王女、知ってはいたけど、とんでもない体力の上に、足も速い。俺もそれなりに動ける方だと思っていたが、シエラは頭一つ飛び抜けた身体能力の化け物すぎる。
あれだけ突っ走っていたのに、何事もなかったように立っているシエラの後ろで、膝に手をつきながらひと休憩挟んでいると、ふいに肩を叩かれた。
「……ちょっと待って。少し休憩しないと、体力がもたない」
首だけ上に上げて休憩を挟むように頼んでみるが、シエラの耳には入っていない様子で、真っ直ぐどこかを見つめたまま口を開く。
「あれって……」
僅かに震えながら捻り出すように声を出したシエラは、ゆっくりと右手を上げて前方を指さした。
その華奢ですらっとした細い指のさした方向へと目を向ける。
「…………なッ!?」
そこには、強靭な爪で引っ掻かれたかのような傷のある、血みどろの人影——いや、もう既に肉塊となっている物体が無造作に地面に転がされていた。
抉り取られたその肉体の周りには、血飛沫で弾けた血液が池貯まりとなっており、その生臭い池には、視界でしっかりと確認できるほどに固まった肉片が無惨に暗い赤色を帯びている。あまりの生々しさに、吐き気を催されるが手で口を塞ぎなんとか堪えた。
「あれって……入り口で案内してくれた人……よね?」
仰向けに転がっているその死体の頭部に視線を移すと、それは確かに入り口で案内してくれた研究員の男性と酷似はしているが……。
「ま、まさか……ね?」
困惑と恐怖で遠のいていた意識を引き戻し、少し冷静にその肉塊と化している研究員らしき男を凝視した。
茶色の頭髪に、一般的な男性よりは長く伸ばされた髪。細身の身体と印象的なまでに不健康そうな白い肌。
——疑いようがない。これは、入り口で会った研究員だ。
「ウ……ッ!オエッ」
ギリギリで堪えていた吐き気だったが、先程話していた人間が目の前で変わり果てた死体となっていることが、今の状況により一層現実感を覚えさせ、ついには、胃の中でグツグツと煮えたぎる嘔吐感に逆らえなくなってしまう。
「オエッ!ウッ……ク……ッ!」
急いで道の傍らに避け、耐えきれなくなった吐瀉物を吐き出すが、あの死体の光景が頭から離れずより気持ち悪さが増した。
「ウプ……ッ!オエッ!……はぁはぁ」
「……大丈夫?」
憔悴しきった俺の背後に寄ったシエラは、優しくゆっくりと背中をさすってくれていた。
「う、うん……ごめん。シエラは……平気そうだね」
「……私は、王宮でこういうのを見てきたから……慣れているわけではないけれど、他の人よりは耐性があるの」
抜群の運動能力といい、こういうのに対しての耐性といい、王宮でどんな生活を送っていたのだろうかと気にはなるものの、そんなことを聞く状況でもないし、何よりも、俺の背中をさすっているシエラの指が震えているのに気付いてしまい、一瞬ピタッと思考が止まる。
きっと、二人ともパニックになってしまっては、場の収拾がつかなくなり、さらに不安を煽ることになると考えたのだろう。あの凄惨な光景を見た今も、取り乱した俺を気遣って、強がり、平然を装ってくれているのだと思う。
——情けないな、俺。
強く気高い妖精の王女とは言え、その実十六歳のいとけない少女なのだ。あれを見て何にも感じないはずがないのに、気をつかわせてしまっている。
俯瞰的に見た自分に、とんでもない虚無感を感じ、その不甲斐なさを殴ってやりたいところだが、それはこの状況をどうにかして、外に出てからにしよう。
頬を両手の平で二回叩き、シエラの方へと振り返る。
「ありがとう。それと、取り乱してごめん。もう、大丈夫だから」
一度深く深呼吸し、呼吸を整える。
心臓の鼓動は相変わらずだが、気分的には落ち着いてきた。
「……大丈夫なら、良かった」
「心配かけちゃったね。本当に申し訳ない」
シエラは、何も言わずに少し口角を上げ、首を左右に振った。
狼狽えている場合ではないのだ。命を懸けてでもシエラを生還させなければならない。身体能力は劣るが、肉壁くらいにはなるだろう。
俺が死んでも悲しむ人間はそれほどいないだろうが、シエラが死んでしまっては本当に取り返しのつかないことになってしまう。
「とりあえず、生きて地上に出て、このことを報告しないと」
「そうね。あの傷だと、私達がさっきまで倒していた魔獣とは比較にならないほど、獰猛で凶悪な別種に襲われたのは確かだし」
「あぁ。これは、絶対に学園の救済処置とは別物の……いわゆる、緊急事態だろうね。この迷宮にいたら俺達の命も危うと思うし、研究員の人を襲った魔獣は付近にいない今のうちに、早急に出口に向かおう」
視線を合わせ無言で頷いた俺とシエラは、無惨に残された死体に手を合わせ、その横を駆け抜けて、生きて地上に出るべく先へと進んだ。