第17話 燃えるような紅
約、六年前。
魔族との熾烈な戦争の真っ只、この地——ローネアは、最も最前線で戦っている兵士や、妖精剣士達へと、物資を流通する為の経由地点であり、同時に調達の任を担っていた。
農業や、鉄工業、移動手段である馬の手配等、軍事的補助に特化し栄えていた街ではあるが、魔族との戦いに巻き込まれることもなく、居住していた人間達は比較的平和な毎日を送っていた。忘れもしない、あの日までは。
地上を照らす月光を覆い隠すように、暗雲立ち込める、空気が冷たい夜。そう、いつも通りの夜だった。
「……助けて」
燃えて脆くなった柱や、瓦礫の下敷きになり、今にも自分の体に火が移ってしまいそうな俺は、出しうる精一杯の掠れた声で助けを乞うが、周囲からは魔獣や魔物の呻き声しか聞こえない。
横に目をやると、必死で俺のことを逃がそうとしていた両親の、哀れで血と傷まみれになった肉塊。何故、今俺がこのように息をしているのかも不思議でならないが、この一帯で生きているのは、どうやら俺だけらしい。
「父さん……母さん……」
流し続けた涙はもう枯れ、消え入りそうな声音で呟く。
時に厳しく、人としての礼節を重んじていた父親。いついかなる時も、優しい笑顔を振りまいて、たくさんの愛情を注いでくれた母親。
そういえば、今日の昼に食べた母さんの料理、今までで一番美味しかったなぁ……
切れかけの意識の中、頭に浮かんでくる、家族最後の食事風景。
これは、所謂走馬灯というやつなのだろうか。
「兄さん……ごめん……」
ふと、脳裏によぎる、今では妖精剣士として名を馳せた兄の、家を出立する時の光景。
半泣きで見送りをしていた俺の頭を、優しく撫でて、
「僕が家を空けた後は、リオ……お前と父さんで、母さんとこの家を守るんだぞ?男の子だろ、泣くなよ!そんなんじゃ、安心して任せられないな」
「俺、もう泣かないから!兄さんが家にいない間、俺がこの家守るから!」
「そうか!偉いぞー!兄ちゃん、最強の妖精剣士になるからな!」
「うん!」
満面の笑顔でそう言い放った兄さんは、意気揚々と家を出て行った。
そして、実際兄さんは、様々な戦場で戦果を挙げていたらしい。
そんな記憶に浸りながら、俺は嫌でも考えてしまう。有り得ないと分かっていても、つい願ってしまう。
——兄さんが、来てくれたら……
——この場にいるのが、俺じゃなくて、兄さんなら……
この街が魔族に襲われてから、数刻しか経ってない為、そもそも街が襲われてることすら、妖精剣士——ましてや、兄さんの耳に入ってないだろう。
何者かが、足音を立てながら、俺の方へと近づいて来る。
見た目は女性のようで、黒いドレスを着ているが、肌の色は青ざめ、見るからに人間や妖精とは思えない、魔人の姿がそこに。
「あらあら、こんな所に生きてる人間がいたのね。瓦礫の下敷きになちゃって、動けないのかしら?可哀想に」
愉快そうに、嗜虐的な笑みを浮かべたその魔人は、俺の目の前まで歩き寄ってくる。そして、頭部に足をのせ、グリグリと踏み込んでくる。
「……ッ!」
「あはははは!可愛い表情するのね。でも、ごめんなさい。あなたで遊んであげたい気持ちは山々なんだけど、生憎、向かわなきゃいけない所があるの……」
魔人は、俺の苦悶に歪んだ顔を見て、心底楽しそうに笑うっていたが、言い終わるのと同時に、寂しそうな表情を作った。
俺は、その時魔人が見せた、凍てつく死んだような目を見て、覚悟していたはずの死の恐怖が全身を巡り、生きたいという願望が体の奥底から湧き上がる。
「だ、誰か!誰か、助けて!」
「あら、今更助けを乞うの?さっきまで、あんなに可愛い顔だったのに……もう、台無しじゃない……」
声をあげる俺を煩わしく思ったのか、魔人は頭部を踏んでいる足に力を加える。
「大丈夫よ、楽に殺してあげるから。良かったわねー、見つかったのが私で。他の連中だったら、あなたお顔可愛いし、連れてかれて拷問されてるかもよ?」
終始楽しげに話す魔人は、口が地面にめり込んで話すことのできない俺を、足で撫でながら、
「それじゃあ、ばいばーい」
✳︎
体が、誰かに揺さぶられている。
小刻みに優しく揺らされ、微かだが、声も聞こえる気が。
「……ハッ!」
……ここは?
夢うつつで、起き上がった瞬間は、自分がどういう状況なのか理解できなかったが、視界に映った景色から察するに、ここはフィルニア学園だろう。
「そういえば、授業終わって、このベンチに座りながら、考え事してたんだった……いつの間に寝っちゃたのか」
冷や汗で体温が下がっている腕を触っていると、虚な頭が、昔の光景を描き出す。
……また、あの夢を見てたのか。
いつもは、見た夢の内容など、起床した時には微塵も覚えていないのだが、この夢だけは、毎回思い出したくもない映像を鮮明に映し出し、内容がしっかりと記憶される。
「痛てて……」
寝ていた体勢が悪かったのか、首が痛む。だが、その体勢の悪さのおかげで、悪夢を途中で切り上げることができた為、体勢悪く寝た自分へ大いに感謝した。
そういえば、悪夢の途中で起きれたのは、首の痛みもそうだが、直接的な部分は違う。誰かに揺さぶられ、声をかけられていた。でも、見える範囲で誰もいないしなぁ。
起きる時に感じたあの感覚が、とても不可解に感じ、痛む首を右へ向ける。
そして、向いた先に、不可解な感覚の張本人がいた。
「……シエラ?」
「あ、えっと……ごめんなさい。うなされて、汗もかいてたから、風邪ひいちゃうかなと思って起こしちゃった」
そこにいたのは、口をぽかんと開けて、何かに驚いたかのように目を見開いたシエラだった。
「いや、むしろ助かった。ありがとう!……まぁ、それはそうとして、なんでそんなに驚いた表情をしてるの?」
シエラは、自分がそういう表情をしていたことに気付いていなかったらしく、慌ててそっぽを向いた。
「だって……あなた、急に大きな声出して起きるし、起きたと思ったら、ぼーっとしながら、独り言呟いてるんだもの……」
「あぁ、ごめん。それで、驚かせちゃったのか」
俺がそう言うと、シエラはフリフリと首を振りながら、
「平気よ。それより、凄いうなされてたけど、大丈夫なの?あなた、私が見つけて二十分位してから、急にうなされ始めて、ほんとにビックリしたんだから!」
シエラは、随分長いこと俺のことを起こしてくれていたらしい。
「……二十分起こされてんのに、起きなかったのか俺」
「いや、ずっと起こしていたわけじゃないけれど……」
「……え?じゃあ、なんで二十分も……?」
「……ふぇ!?それは……そ、そうよ!二十分起こしても起きなかったんだから!」
何故かシエラは頬を赤らめ、アタフタと忙しないが、優しい性格であるが故に、風邪をひいてしまう可能性のある俺のことを、見て見ぬふりできなかったのであろう。俺は、貴重な時間をこんなことの為に費やさせてしまったことに対する、罪悪感と、申し訳なさでいっぱいだ。
「とにかく、起こしてくれてありがとう。まだちょっとクラクラしてるし、俺は寮に帰るよ」
「えぇ、それじゃあ。気を付けてね」
ほんわかとした空気感の中、俺が立ち上がり寮に帰ろうとした時、シエラの後ろから、全く知らない人の声が入り込んできた。
「あ、あの!シエラ様!少々、お時間よろしいでしょうか?」
顔を見たことすらない為、恐らくは別のクラスか、他学年の生徒だろう。
上擦った声で、シエラに声をかけたその男子生徒は、勢いよく腰を曲げ、頭を下げる。
「えっと……あなたは……?」
「一年の第二クラス、フューダス・ネイジャと言います!」
「それで……話というのは?」
フューダスを見たシエラは、呆れまじりの溜息を、相手には聞こえないようにそっとついた。
「それは……その、あっちの誰もいない場所で聞いてもらえると、ありがたいのですが……」
フューダスは、気恥ずかしそうに、明後日の方向を指さす。
「分かりました……」
それに応じ、ベンチを立つシエラ。
なんだか、今の声音に怒気を感じたが、シエラの表情はいつも通りだし、フューダスも気にしていなさそうだったので、俺の勘違いなのだろう。
去っていく二人の背中を見ながら、何を話すんだろうなと、興味は湧いたものの、自分には全く関係のないことなので、立ち上がり帰路につく。
グーっと背筋を伸ばし、夕日によって染まり始めた紅い空を見上げる。
「そろそろ、パートナー見つけないとなぁ……」
直面している問題を口に出してみるも、解決案などは思い浮かばず、出てくるのは溜息ばかりだ。
入学から、約一週間と少し経ったが、未だ見込みもなく、妖精紋が教えてくれると言われたものの、この期間音沙汰なしという、非情の事実。
考えれば考える程憂鬱になるが、なんだか今は、どうでもよく感じてしまう。夕日のおかげだろうか。
そして、俺はもう一度、鮮やかに紅い空を眺める。
「この紅は……凄く綺麗だな」