第60話 悪夢の分岐点と彼の答え(弟子の安眠はマドカの膝枕)。
これは、とある分岐点の先の事。
歩んでいたかもしれない。ほんの分岐の先である。
「カ──ッ……!?」
「終わりだ」
暴走する魔導車を止めて、魔神の使者である長谷川に『煉溶岩の拳槌』の重い右ストレートを叩き込んだ。
「ま、まだ……」
だが、強化して頑丈にしてまだ粘ろうとする。
仕方ないと『煉天』の特性と『天地』の特性を合わせる事で、赤き大地の力を煉溶岩の籠手に流し込む。
赤いラインが濃くなりエネルギーが溜まっていくと、俺はその拳を構える。魔王な師匠から教わった暗黒体術。
「『獅子・業」
男の前の何もない空間を力一杯に殴り付ける。
するとオーラが赤き獅子となって咆哮が上げる。
「ッ──ゴフ!?」
男の肉体を通り抜けたが、その衝撃で内部を破壊して男は口から大量の血を吐いて倒れる。
念の為に調べるが、命までは奪ってない事を確認すると俺は縛られていた桜香を救出。籠手が邪魔なので属性融合を解錠して起こそうと何度も揺すって呼びかけた。
「起きろ桜香」
「ん……あ、あれ……刃?」
強力な薬でも飲まされたか、1〜2分ほど呼び掛け続けるとやっと起きやがった。
とりあえず意識が完全に覚醒したようなので安堵する。
すぐにマドカへ連絡をと思ったが、しまっていた《《予備の無線機》》は車両の中の戦闘で《《壊れてしまった》》。
こんな事なら前もってメタル君に金属コーティングをして貰えばよかったな。
「え、刃、刃なの!?」
「混乱しているのはよく分かるが、とりあえず危機は去った」
一旦は、と付け加えようか迷うが、今は落ち着かせるのが優先だと余計な発言は飲み込む。
視線が左右に向いて混乱は続いている様子だが、大パニックというほどではない。
実戦が多い警務部隊に入っていたお陰で想像よりメンタルも鍛えられていたらしい。少し安心した。
「そうか、私は捕まってたのか……」
「長谷川の件は一旦忘れろ。肝心の試験もだが、今は脱出を優先した方がいい」
「正直一杯問い質したいが、この状況では仕方ないか……分かった。他のチームメイトも心配だからまず上の階層を目指──ッ」
渋々納得した様子で話を終えようとした桜香が突然膝をついた。
「ッ……な、なんだ……!?」
「桜香? どうした?」
……と思えば額を触りながら何か苦しそうに声を漏らし始めた。
不審に思い同じく膝をついて顔を寄せながら視線を合わせる。……何か痛そうで苦しそうだ。
「何処か痛むのか? 痛む箇所があるなら指で教えてくれ」
「じ、じん……何か変、なんだ」
普段は毅然した彼女が声が震えている。……いや、怯えている。
「こ、怖いんだ。何か声が……き、聞こえるっ」
「声? ……どんな声だ」
「だれかの、笑い声……わたしの中でだれかが笑って……!?」
それは恐怖の色をした声音だ。
痛そうで苦しんでいたように見えたのは、全部得体の知れない恐怖が影響しているから。まさか薬の影響か?
「じんっ……どうしようぉ……?」
「大丈夫だ。心配するな」
次第に青ざめて寒そうに震えが増してく彼女。俺は優しく頬や頭を撫でながら落ち着かせようとするが、具体的な解決策は見えてこない。
どうすれば……いっそ気絶させて運ぶかと、ちょっと危ない思考を巡らせていた時だ。
「ブッ、ギザヴァァァァァァッッ! バガダァルジ二何ヴォジデルゥゥゥゥッ!」
「──ッ!」
血を吐いて戦闘不能になっていた筈の男がいつの間にか立ち上がって、こちらへ迫って来ていた。
吐き過ぎて喉が逝かれたか何喋っているか全然だったが……こっちは忙しいだよ。
「邪魔するなッ!!」
時空間から封印された神ノ刃を取り出して右手に装着される。
白金の刃が俺に呼応して光を発すると横薙をした瞬間、激しい光の衝撃波と斬撃が使者の男を吹き飛ばして斬り裂いた。
……流石に死んだかと思われたが、頑丈なだけでなくタフさも相当なようで、斬れはしたが致命傷になっておらずまた倒れて気絶するだけに終わった。
「たく、しつこい奴だな」
いい加減鬱陶しいと重いため息を吐く。
絶賛怯えて混乱中の桜香にも悪いので移動しようと殺気を消して彼女の方へ顔を向け───。
「なんて素晴らしい武器なんだ……! まさか神の聖剣をこんな風に作り変えて従わせるなんて……! 欠片でも使用されているのはきっと君程度じゃ制御どころか触るのも危険な至高の素材なのに……!」
「…………え」
いつの間にか桜香の顔色から恐怖が消えていた。
それどころか普段の彼女に似合わない知的な表情をして、学者や研究者のような目と口調で俺の神ノ刃を覗き込んでいる。
あまりの事に事態が飲み込めない。優しい手触りで刃を装着する右手に触れる彼女を止めれる事もできない。
……脳内ではさっきからずっと『逃げろ! すぐに逃げろ!』と喧しい程に警告音が響き渡っているが……。
「ん? ああ、動けなくて困惑してる? ごめんね、きっとボクの所為だ。あとボクは君の幼馴染の姿をしているけど、今表に出ているのは君の幼馴染じゃない」
あっさり認める桜香の……桜香の姿をした何かが薄く笑った。
「ゲームは終わり。さぁ、一緒に闇に堕ちる世界を見ようか」
気づいた時には俺の胸元には深くナイフが突き刺さっている。
ハッとして抗おうとするが、体が言う事を利かない。
何故だ? どうしてだ? 何処で間違えた?
桜香の姿をした彼女は笑みを浮かべて、柱に埋まっているまん丸い赤いコアへ手を向ける。
「楽しかったよ」
「うっ……よ、せ」
今さら静止を求めても無駄だった。
彼女は視線を俺からコアの方へ移す。
「その目でしっかり見るんだ。この世界の終わりを」
「や、めろ……!」
向けていた手のひらから暗黒の稲妻が放たれる。
矢のように鋭く放たれた稲妻は、一直線に柱のコアへ直撃。
ガラス細工のように赤いコアが粉々に砕け散った。
その瞬間、ダンジョンが……世界が終わりを迎えたのが分かってしまう。
全ての制御を失った事で、ダンジョンの魔物たちの本能が解放されてしまう。
間違いなく死人が出る。ダンジョンの魔物たちが取り残された学生たちに牙を剥くのも時間の問題だ。
「君にどうする事もできない。この魔物暴走はこの世界全体を侵食して、やがて他の世界を──」
……もう何もかも手遅れだ。コアが破壊された時点でそんな事は分かっているが。
「ああ……クソッタレガ」
俺の中のソレは獲物を目の前にして、見逃してやるなんて優しさは皆無であった。
「ッ……何?」
ソレは──喰い付いた。
途端、謎の拘束から解放される。
「神ノ刃……!」
「君は……!」
ソイツの喉元に掴み取り押し倒す。
ソイツも抵抗してもがくが逃さない。
「お前だけは此処で倒すッ! 絶対に好きにはさせないッ!」
「ッ癇癪を起こしたか! 救いようのないな君はッ!」
女も桜香が持っていた剣を引き抜いて俺の首を狩ろうとする。
俺も同様に掴んでいる彼女の首に刃の突き付けようと───。
「──ッッ!!」
「オワッ!?」
──決戦の前夜。
俺は封印された『千里瞑想スキル』──『神理と虚夢の世界』によって見させられた悪夢によって起床した。
「ハァ、ハァ……」
寝汗が凄い。見させられた内容が抜け落ちそうになる。夢の特徴だ。時間が経つにつれて記憶が曖昧になる。
この先起こり得る可能性を見させる凄いスキルだが、代償として自力で発動するのが難しく夢の為に記憶自体が幾つか穴が出来てしまう。
……重要な部分のみ濃く残るからまだマシな方だが。
「あ、あの……ジ、ジンさん? もう起きていいのか? というか……なんで銃を向けてんの?」
「……は? ミコ?」
そしてうっかり隣で寝ていたミコ。もう先に起床してようだが、隣にいたそいつの頭にいつの間にか取り出した銃を当てた体勢で俺も起き上がってる。…………やばいな。
「とりあえず手を上げるから撃たないでくれませんかねぇ?」
「スマン。撃たないから落ち着いてくれ」
いや、落ち着くのは俺の方か。銃をしまってミコに謝る。気付かないうちに警戒レベル最大になって側にいたミコを無意識に敵と認識してしまった。
「本当に悪い。なんかヤバいものを見てな。色々と神経質になってた」
なんて悪夢……未来を見てしまったんだ。アレも可能性の一つなのか? どうなってる?
「桜香……? アレは桜香だよな?」
もう夢を見た弊害が出ている。悪夢だったのは間違いないが、記憶の映像が不透明になりつつある。
けど何かが起きてダンジョンが滅茶苦茶になるのは分かった。何が原因かはもう肝心の記憶が怪し過ぎて確かな事は言えないが。
「……対策を取るべきか」
「何の? 隆二さんの事か? それならもう……」
「いやそっちじゃない。そっちはもう大した問題じゃない」
だが、どうする?
細かな情報が既に崩れている。選択次第であの悪夢より悪化するかも。
「予備の無線機が壊れた。何か……走ってた? 敵が居て、桜香が俺を刺した? けど違うのは……」
「おーい? ホント大丈夫か?」
大丈夫じゃないかも。あと二時間弱で作戦決行だと言うにこんな調子じゃ本当にミスる。
「残ってるのは『壊れた予備の無線機』『走ってた何かデカい物体』『俺を刺した桜香……みたいな何か』『動かない神ノ刃』『女の楽しそうな声』……」
……思い出せ。あの女はなんて言った?
記憶を刺激しろ。なんとかその部分だけ呼び起こせ。なんでもいいから捻り出せ……!
「なんて言った? アイツは……」
あの……獲物ハナンテ……イイヤガッタ?
『楽しかったよ』
……腹が立つような声音。
『君にどうする事もできない。この魔物暴走は───』
……滲み出てくるのは排除したい欲求と奴の食欲。
『さぁ、一緒に闇に堕ちる世界を見ようか』
フザケルナ……神ノ役目ヲ放棄シタ魔神風情ガ。
コノオレヲ……ダレダトオモッテイル?
俺の中のヤツが憤怒形相を見せた気がした。