第99話 話し合っても無駄な事はある
鬼
黒に染まった家の中を歩いていく。
つい先日まで当たり前を演じ続けた我が家は、何処から吹いてくるか分からない風が一定の周期で吹いていた。まるで廃屋にいるかのような古臭い臭いが鼻腔をついていく。経年劣化により剥がれ落ちた外壁と穴の空いた内装から風が漏れ、吹き曝されているかのようだ。
以前に見た風景とは全く違う。視界を黒に塗っただけで、こんなにも本質が明るみになるとは思わなかった。
円卓から腐れた木の臭いがする。歩く度に軋む床がいっそう現実的な非現実感を漂わせる。頼むからこれが嘘であってくれと、心の中で自然と祈るようになった。
いつも食卓を囲んでいた台所は、黒く染まっても分かるくらいには陰気で、使われたような形跡すら無く、胡乱である。
まさかここまで嘘だとは思わなかった。
最悪の想定はしていたが、実際に目の当たりにすると心に来るものがあった。
最初から、僕には自由なんて無かったのかもしれない。そうあるべくして作られた存在だと思う方が筋が通ってしまう。
「君を恵まれていると思っていた。すまない、思い過ごしだったみたい。」
あのAAすら、幸助に気を遣った。
当たり前に感じていた綺麗な家は、ハリボテだった訳である。
「俺はここで育った。筈だよな?」
幸助は虚ろに呟いた。さっきまで壊そうとした家の真実がこうも空っぽだなんて、信じたくない。
頭の中にある記憶は何なのか。
果たして、これも嘘なのか。
ーーー世界が5秒前に出来たとする仮説を否定する材料など存在しない。全てが急に用意され、過去も何もかも作られたとしたら、この世界も5秒前に生成されたといってもおかしくないのだ。
つまり、自分自身で、これを嘘なのか、真実なのかを勝手に判断する事は出来るが、真偽を確かめる事は一生不可能である。
だが、全てが嘘だと断定するのは誇大妄想狂だ。
どうしようもない。今の状況を作ったのは紛れも無く僕の母親だ。この期に及んで、僕の中の感情は、殺意よりも失望が勝っている。
・・・やめだ、やめ。
ちゃんと向き合わなければならない。
それをしなかった結果が今だ。
過去は消えない。どれだけ愚かでも、真っ直ぐに未来だけを見据えなければならない。
この時から、親殺しは僕にとって必要となった。
「良い目になったね。ちゃんと人殺しの目だ。」AAが揶揄う。
「・・・そうだな。忘れてたよ。俺は元から人殺しだった。」
幸助は、生気を宿した明るい表情で歩き出した。
・
2階に上がる。この先は幸助の部屋がある。
たとえ黒く染まった空間でも警戒を緩めない。何が起こるか分からない。色彩魔法の適用時間も、もうすぐ消える。そうなれば、また色彩魔法を駆使しなければならなくなる。
その一瞬の隙に何をしてくるかわからない。
扉の前に立った途端、幸助の《予測》が鋭敏に働いた。3秒後の未来視が未知の斬撃を予測する。その斬撃は避ける他無い類の、絶対的な概念を纏った斬撃だと気付く。
「しゃがめ!」朱き眼で死の未来を告げる。「言われなくても!」
狭い廊下で踊るような体勢になりながら、戯けるように、死の斬撃を華麗に避けていく。
その斬撃は不可視だが、確かに全てを断つ威力を保っていた。
斬撃は止まる事知らず、直線上に家の内装を裂き、風穴を開ける。
幸助の部屋の穴から、AXはヴェイルを流し込み溢れさせる。不定形の怪物は、斬撃をものともせず分裂する。そして、室内で銃を形成し、一斉に発砲する。
だが、部屋の中にいる奴が全て弾くと、唱える。
「《勇道十一番・濫葬悦》」
その声。そして、スキル詠唱を聞き、《箱庭》を発動しようとしていた幸助の集中が途切れる。
気を抜いたその瞬間、幸助の左腕が飛ぶ。
固有スキルは、小規模の《箱庭》とも称される。まして、勇者にしか保有する事を許されない《勇道》は尚更である。
どのスキルも、通常であれば10より上の拡張はなされない。炎を扱うにしても、拡張する場合には、矢の形にして放出するなど、定義を固定化しなければならない。人間の技力では、それ以上に定義付けするのは不可能である。
ーーーよって、10番台を越えると、そのスキルは《箱庭》の性質へと近付いていく。
空間に形成されたドーム状の空間は、触れた箇所の全てを自由に切り刻み切断する。部屋越しに現れたソレは、幸助の腕が空間内に触れ、範囲内のモノと認識した途端に、いとも容易く切断した。
斬られた腕は飛び散り、ドーム状の空間の中で粉々に、血飛沫を上げながら、跡形も無く切断されていく。まるでミキサーのように。
「うっわぁ・・・。」斬り刻まれ肉塊と化した腕を見て、幸助は引いていた。
「部屋の中見たけど、端的に言うわ。中にいるのは勇者レーヴ。」
「本物はもっと強いから違うな。」
冗談混じりに笑った瞬間、壁を突き破り勇帝が正体を現した。幸助の頭を掴んで握り潰し、左手に持つ勇帝剣カオスを振るい、幸助の胴体を真っ二つにする。
「あぁ!?吸血鬼紛いの雑魚が言うじゃねぇか!?」
そのまま幸助の頭を床に擦り付け、摩擦で削り上げていく。血飛沫が飛び散っていく中、吸血鬼は嗤う。
「そういうお前は何なんだ。何者でも無くなって、それでいいのか?」
「私は!!勇帝インフェルノ!!!」
そして、剣で幸助の頭を真っ二つに裂いた。紅い眼は剥き出しになり、頭蓋が開き脳みそが散らばっていく。しかし、それでも吸血鬼は嗤っていた。
再び、インフェルノの周囲にドームが形成される。その真下に横たわる幸助の胴体が粉々に切り刻まれていく。
絶対的な切断を齎す領域である。眼、鼻、頭蓋が粉々となり、幸助の身体は、凄惨な末路を迎えた。
「ーーーーすまんな、AA。これはお前のパクリだ。《鬼血術37・透河》」
幸助は、まるでヴェイルのような、不定形の身体を周囲に散らし、生きていた。
何処からか聞こえて来る声に、インフェルノは震える。それは、今まで感じたことの無い程の恐怖だった。
ただ、ひたすらに感じるのは違和感だった。魔力を感じるのに一定の周期がある。それが来るまでの間、魔力が完全に消滅する。
何が起こっているのか、理解が及ばない。
強者ほど取り乱すに違いない現象だった。まるであり得ない事が現実に生じている。
「やっぱり違うじゃないか。こいつレーヴのパチモンか。」
「何処だ!?何処にいる!?」
「初めからそうだ。今の俺は何処にでもいるし、何処にでもいない。例えば、こういう事も出来る。」
突如として、インフェルノは首元から生じる力により、呼吸が出来なくなった。
首を締め上げられているような苦しみが襲う。そのまま身体は宙に浮き、脚をばたつかせるも、目の前には誰もいない。
詠唱する事が出来なくなった。これでは、ただスキルを行使したとしても、出力不足は否めない。
「インフェルノと言ったか。魔眼軍の連中が何の様だ。俺は母さんに用があるんだよ。・・・あ、すまん。もう聞く前に殺しちゃうとこだった。ちょっと待って、おいしょっ。」
幸助は首を絞めるのを止めると、インフェルノの手と脚を拘束し、壁にめり込ませて身動きを取れなくした。更に色彩魔法の黒が魔装具に付着する事で、完全に無力化する。
「質問に答えてくれよ。答えなかったら分かってるよな?」幸助は祈るように語り掛ける。その真下で、AAが今にもヴェイルでインフェルノの身体を生命変換しようと、壁にヴェイルを這わせ、侵食寸前まで迫っていた。
「お前は何なんだ。事前情報とまるで違う。何故死なない!?」インフェルノは狼狽する。
「質問に答えろ。海老原栞は何処にいる?」
「おお、いたいた。久しぶりだな。我が弟、いや、兄さんと呼ぶべきかな、幸助。」
廊下から、見慣れた顔が現れる。
生徒会長の加賀だ。怪しげな言動と不審者的言い回しこそ気になるが、れっきとした魔力保有者。作為的な存在だ。
「生きてたのか!?」AAが叫んだ。
「おや、AXか。悪いが、私という人格には個体の連続性が無い。記録は頭にあるが、あれは私であって私ではない。残念だが別人だ。君と会った加賀はちゃんと死んでいる。」
「んな事より、加賀。久しぶりだな。」
幸助は、粉々にぐちゃぐちゃだった身体を、まるで映像を逆再生させるように復活させる。
「おお、我が兄弟。久しぶり。」
「初めて会った頃から胡散臭いとは思ってたが、残念だな。お前とは友達になりたかった。」
「君こそ、自分の事を疑うべきじゃなかったのか?類稀な身体能力、凶器を持った大人数の暴走族を相手しても一方的に病院送り。母さんも物語に苦労していたよ。普通に考えたら君が自殺する理由は無い。」
「俺を買い被り過ぎだ。」
「だから、君は母さんに能力を使わせた。君があまりに完璧だから。」
「ようやく納得したわ。通りで伊藤って奴の脳味噌を調べても、記憶に整合性が無かったのね。セトラから心を弄られた事で、過去の記憶と人格に齟齬が生じた。セトラは《洗脳》したつもりが、元の人格に戻してしまったって訳ね。となると、伊藤って奴もある意味被害者じゃん。哀れ〜。」
幸助は、AAの話を聞いて驚いた。伊藤が死んだという事実は、どうにも現実味が無かった。
「これでようやく理解したわ。イロアス・アカシクの能力は、過去を捏造する力よ。この建物が変化したのも、《元々こうだった》って事実を挿めば、そうなるの。腹立つくらい無茶苦茶な力だわ。」
「・・・なら、俺の記憶や存在だって、全部嘘の可能性もあるよな。」
「・・・コースケ?」
「元々俺は、全部が偽物だ。だから、全部が嘘であって欲しい。」
「それを聞いたら母さんはどう思うかな?」加賀は悲しげな表情を浮かべた。
「しゃらくせぇな。思い出なんて全部消えちまえ。」
幸助は、AAを引っ張って身を抱き寄せる。
「ちょ、何急にーーー!!」
「《宵撃》」
「え」
「《極黒滅塵》」
色彩魔法により、《黒》へと変わり果てた我が家を、幸助は吹き飛ばす。
これは、訣別の意思である。
自分がどうするべきか、とうに決まっている。にしても、愚かである。
自分の大切なものはいつも、滾れ落ちていく。守ろうとしたものは消えていく。
それを決めたのも自分だ。
許せない感情と、愛している感情。
これを愛憎と呼ぶのだろうか。依存と呼ぶのだろうか。どちらにせよ、無駄だ。意味のない感情だ。
勝手に信じて、勝手に裏切られている。
なんて、気分が悪く清々しい感情だろうか。なんで、こんなにも内側から鉛が迫り上がるような殺意を覚えてしまうのだろう。
偽りの虚構より、形の無い正しさだけを求めて、吸血鬼は嗤う。
もう、後戻りは出来ない。
魔眼王の問題はどうでもいい。そんなのは後回し。
僕は、母親と話をする。
真実を聞き、たとえそれに同情する余地があろうが無かろうが、殺す。
もし、それが出来なければ、一緒に死のう。ここで、もう終わらせる。
・
大爆発が起きた。
周囲一体を消滅させる超威力の爆発は、威力に比べてそれ程広範囲に及ばなかった。
吸血鬼の姿となり、羽を広げて地上に降りていき、AAを地面に下ろす。
辺り一体は綺麗な更地となった。計算されたような消滅をもたらした爆発は、全て幸助の計算通りであるかのように、跡形も無く、対象となるモノだけが消滅するように、範囲と威力を調整した代物だった。
「・・・何で、私は生かすの?」
AAは常識的な事を言いながら、常人のような情緒を含んでいた。
「保険。」幸助は平然と答える。
「保険って。」
「あと、お前は復讐者だろ。俺にはその心が欠けていた。まぁ、もういいけど。」
もういいけど、と言い放った幸助を見て、AXはいたたまれない気持ちになった。
母親を殺すとはいえ、もはや用済みの存在を助けるだけの善性はあるのだ。葛藤の末辿り着いた結論ならば、仕方が無い。仕方が無いのだ。
そして、突如として、天からタロットカードがしんしんと、降り始める。
絵柄はどれも安定しておらず、その全てが逆位置を示している。運命を表す占いにしては雑多な結論で、これからの選択によっては無限の可能性を示しているように見えた。
ーーーーそして、更地となった大地に、彼女は現れる。
青と白のクロス柄のテーブルマットを敷いた円卓に、庶民的なカップ。そこに電気ポットのお湯を注いで、市販のティーパックで煮出した紅茶を淹れる。
女は、妖しげに口を開いた。
「あら、幸助、アザレア。丁度、血のように赤いローズヒップティーを淹れたけど、呑まない?」




