第92話 全て嘘だったらいいのに
鬼
「ほら!もう起きて!学校の時間よ!」
母親がそう言って、僕を叩き起こす。
僕にとって母親とは、日常だ。
当たり前にいて、小さな頃から何かをするにも一緒だった。
だから、離婚して片親になった友達の生活を想像して、母親のいない生活ってどんなものなのだろうか、と想像して、絶望した事すらあった。
子供は庇護されるべき存在であり、当たり前に世話をしてくれる人が居ないから、という合理的な理由ではなく、いない方が不自然で、歪で、自分にとって感情を伝えやすい相手が存在しないとなれば、誰に何を話せばいいんだろう、と。
子供は、親に精神的に依存する生き物である。それが当たり前で、思春期を経て依存から脱却していくのだ。
その過程を正しく踏んだ僕は、自殺という選択肢を取ってしまった。情けない話だが、僕は恵まれた環境にいたのにも関わらず、自分勝手な結末を選んだのだ。
何故、その選択肢を取ったのか。
それは、余りにも虐めや脅迫が恐ろしかったからだ。家族や友人をダシにゆすられたら、抵抗なんて出来やしない。
僕の正義感は、あっけなく崩れ落ちた。
その日から、視界の全てが灰色に映った。
逃げる手段なら、今なら何個も思いつく。
でも、その選択肢が思いつかない程に、僕の視界は狭くなり、何も考えられなくなっていた。
今思えば、初めての挫折経験だったかもしれない。僕の人生は、それまでうまく行き過ぎていた。
側から見れば、超人のように写る事もあったかもしれない。運動神経も悪くなく、勉強もそれなりにでき、何かと目立つ人間だったのか、中学生の頃の劇では主役だった。
何かを演じるのは上手かった。それが、良くなかったのかもしれない。
異世界なんかに行かなければならなくなった。それが、悲劇の始まり。
ーーーーそんな母親も、僕がこの世界に帰って来れた時、安心して泣いてくれた。ちゃんと叱ってくれた。
だからこそ、怖いのだ。
全てが上手く出来過ぎているから。
何処から、僕は道を踏み外したのか。
いや、踏み外されたのか、分からない。
この世界にちゃんとした神様はいない。だから、運命なんてものは信じようにも信じられない。
だが、だからこそーーーー意図を感じずにはいられない。
最初から決まっていた予定調和であるかのように、この今起きている事象も、あと少しで説明が出来そうな気がする。
本当に、そうだとしたら、僕は次こそ耐えられないかもしれない。そうしたら、困る。
僕はもう自殺なんかに逃げたくないし、いよいよ逃げ場が無くなってしまう。
あの時、魔王の言っていた言葉を思い出す。
「当たり前を疑わなければいけない。何故なら、俺とお前はーーー」
普通でいたかった。
魔王なんかに、自分みたいな奴と一緒にしないで欲しかった。あの時の言葉がもし真実ならば。
それだと、自分はただの、操り人形なのでは無いか。全てが、偽りだったのでは。
そう思ってしまうのは、当然のことのように思うのだ。
煉獄
全てを断ち切る一撃は、空振りという結果に終わる。姿形を捉えられない流動となった加賀の身体は、散り散りになると霧散して消えていった。
何が起きたのか、勇帝インフェルノには理解が及ばなかった。
魔法やスキルの類で作られた幻影は、元勇者だけあって簡単に識別が可能な程には、スキルへの練度は高い自信はあった。
だが、いとも簡単に引っかかってしまった。
流石におかしいと言わざるを得ないだろう。幾ら何でも、勇者というシステムを舐めている。こんな幻術に掛かるほど、耐性が低い訳がない。
これは、現実だ。加賀という男は、煙になる前まで実在したのだ。
じゃあ、今のは何だ?
まさか、《箱庭》ーーーー!?
剣圧で校舎が崩れていく。剣の延長線上にある物体は全て断ち切る。それが、私の固有スキルである。
「《誘われし愛欲に私は蜜を注ぐ》」
何処からか、誰かの声がした。
間違いない。さっきの眼鏡男の件といい、この声の主。あの女だ。
全ての始まりにして、全てを過去にする最悪の女。過去の巫女の成り損ない。
ーーーー瞬間、天井から何者かの大斧が振り下ろされ、インフェルノの右腕を切断した。
鮮烈な痛みを感じて、インフェルノは体勢を立て直す。背後に再び大斧が迫っていた。
「ーー!!《勇道・十四》」
ーーー詠唱が、間に合わない!!
すかさず、詠唱破棄し、大斧を持つ者の脚を掛け、手先に魔力を放ち勢いをつけて、脚を起点にして回転する。下階はおろか、校舎全体を崩壊させかねない一撃が振り下ろされるが、間一髪の所で勇帝は逃れる事が出来た。そして、背後に回ると左手で勇帝剣カオスを顕現させ、切り裂いた。
ーーーが、再び霧散し、空を切る。
見ると、天井や下階すら何も無かったかのように、全てが元に戻っていた。
幻術の訳が無い。右腕は綺麗な傷口を残して、切断されたままだ。あの一撃を喰らっていれば、間違い無く死んでいた。
何が起きている?あの詠唱は、何なのだ。
スキルを発動させる為に必要なモノなのか?
インフェルノは、機械の右腕をくっつけて、魔力を流した。切断面が綺麗過ぎて難なく繋がった。擬神との混成体というのは、自分が本当に人間では無くなった事を痛感させられる。
あの女帝デスペラードと、私が本当に同一存在になったのかと、愚かにも悲しくなる。
カツッ、カツッと階段を降りてくる音が聞こえる。その足取りには余裕があった。
まるで、自分は敵では無いと宣戦布告しているようなモノだ。腹立たしい。私は、お前を殺しに来たのに。
ーーーーイロアス・アカシク。
古い文献には、IAと呼ばれていた存在。
AAや、その弟XAとの関連を匂わせる通称は、烙印の創始者ともされており、《破練師》の原点とされる。かねてより異世界の伝説である。
この街に潜伏している事は分かっていた。
だが、思っていたよりも早い登場だった。
そんなにこの学校が大事なのか。
「この街は素敵よ。《破練師》にとって、微睡む時間を与えてくれる。何しろ、この世界には、魔力が無いものね。」
IAは階段を降りながら、笑う。
インフェルノは、感じた事のない異質な雰囲気を感じた。IXはほんの数メートル先にいる。だが、何故かとても遠くにいるような感覚に陥ってしまうからだ。それが何故なのか、分かる筈も無い。
何しろ、この女は、どんな能力を持っていたか、誰も知らない。文献にも何一つ残っていないのだ。
ただ、神話的な力を持っていたとされる。
おそらく、過去の巫女と同等の存在。
この世にいてはいけない、厄災そのものだ。
「こんにちは、レーヴちゃんみたいな人。お茶しない?」
IAはニコリと笑う。
「・・・生憎、他人から出された物は食べないようにしてるんだ。」
インフェルノは冷たく突き返した。
「じゃあ、近所のスーパーに寄って食材買ってくるから、ご馳走するわよ。それなら安全でしょ。」
「はぁ?」
「私に戦意は無いわよ。だって、やろうと思えばこの隙に幾らでも殺せるから。」
「・・・。」
「魔眼王、だってね?貴女達のボスの。一度会ってみたいわ。」
「・・・・・・それは、何故だ。お」
「そんな訳無いでしょ。私はね、後悔してるのよ。それでも言いなりになるしか無いの、分かるでしょ?呪いから解き放たれたいのは、誰でもそう。でも、その結果が魔眼王を生み出した。生憎、私は姉さんみたく不死じゃないからいつでも死ねるんだけどさ。何度も試したけど、駄目。全力で私を殺せる人間じゃないと、どうやら解放はされないみたいね。」
「だから私が殺しに来た。魔眼王の頼みでな。」
「・・・ふふふふ、ははははははは!!!そうね、そうじゃなきゃ天秤が合わないもの!!!全ては均衡が保たれてなきゃいけない!!!」
IAは、狂ったように笑う。
それが、何だかとても哀れに映った。
古代都市アカシクは、その先の未来に悲劇を生み出し続けている。IAもその犠牲者と言える。
・
「ーーーだが、気を付けてくれ、レーヴ。」
「私はもうインフェルノだ。その名で呼ばないでくれ。」
「すまない。あれは本来、私が殺すべきなんだがな。憎しみに囚われた今の俺では、その役は適任と言えないだろう。」
「・・・安心してくれ。終わらせれば、全部直るんだろう?」
「・・・そうだよ。」
「分かった、分かったよ。それが世界の為なんだろ?」
「・・・ああ、やっぱり、君は、君だ。頼んだよ。・・・俺は、少し、ねむるよ。」
・
魔眼王との会話が脳裏に蘇る。
クソが。私を信用し過ぎてだっての。
こんな化物を、殺せってかぁーーー??
旧神フォーチュンと戦えって言ってるようなもんだぞ、これーーーーー。
「おい、ラヴ!!早く出てこい!!」
インフェルノは、《転移》で十ニ卍将ラヴを呼び出す。
「えー、今いいとこだったのに〜♡」
ラヴは、下半身裸の状態で現れる。
「はお前何してたんだ!?」
「あ・じ・み♡」
「ひ・み・つのリズムで言うんじゃねぇ!!力を貸せ!!」
「無理だよね〜。」
「はぁ?何言ってんだ?」
「だってもう私、死んでるよ?」
ーーーーラヴは、手に持った大斧を振り被る。




