第57話 十二卍将
レーヴは、煤けた地面に倒れたインフェルノに近付く。
―――――――カツッ、カツッ。
その炎の鎧に覆われた勇者の足音は、まるで死神が迫ってくるようだった。
「――――おっと、そこまでにしてくれないか勇者殿。夢幻なる無法者が死ぬ訳にはいかなくてね。」
寸前、目の前に新たな敵が現れる。
そいつは、スーツを着た飛蝗だった。顔の部分だけが飛蝗の顔を模したような仮面を被っており、頭には不格好な王冠が載っている。人の姿を取ったように、正装でキッチリとした身なりなので、レーヴは少し面食らった。その紳士的な振る舞いが不気味だった。
「――――お前は・・・そうか、お前が、あの飛蝗の長か。」
「我が名はアポリオンと申します。札幌全体に時間の流れを狂わせる《箱庭》を張らせていただきました。今貴方が放った魔弾によって、札幌の《箱庭》は解除されてしまいました。ですので、今こうして、私も戦う必要が出てきた訳です。」
「・・・そうか、そこまでして死にたいか。」
「計画は失敗、これは組んだ相手が悪かったとでもいうべきですかね。母上を殺すには、それなりの戦力が必要だったのですが、致し方ありません。そちら側はマクガフィンがついているようですし・・・うーん、また生まれ直して、再起するしかないかもですねぇ。」
「お前はさっきから何を言っているんだ?」
「まぁ時間稼ぎしたい所ですし、お教えしましょう。」
「やっぱりいい。お前ら、何か企んでいるな?」
「ご名答。もう済みました。アイナ姫は頂いていきます。」
レーヴは、アイナを探した。が、さっきアイナがいた所には誰もいなくなっていた。
―――――――インフェルノと戦うのに気を取られ過ぎていたか?
また新たな刺客か?さっきから考えが及ばない。
アイナ姫が消えたり、誘拐されかけたり、自分そっくりな奴がいたり――――――もう無理だ、諦めよう。
レーヴは、考えるのをやめた。これ以上何か考えても意味が無い。アイナの事を考えて行動しても、ロクな事にならないだろう。誰かを守る余裕がある訳でもないのに、余計な事に手を伸ばす必要は無い。
その極めて冷血で合理的な判断により、レーヴは一旦、アイナを諦めた。
この極限の状況下では、迷いを減らさなければいけない。
とにかく、今は目の前の敵に集中しなければならない。札幌を覆う《箱庭》が消えた今、竜を生み出す力を持つとされる人物を野放しにする訳にはいかない。
しかも、目の前で倒れているインフェルノも、まだ完全に死んでいる訳では無いのだ。
トドメを刺さなければいけない。あいつも女帝デスペラードの能力の一部を有しているのなら、回復魔法を持っていてもおかしくない。
「――――――殺す。」鎧から極楽に導く炎が放出される。
「私も最期まで抵抗させてもらおう。我は十二卍将が一人、アポリオン。かつての名を失い、求める者。《箱庭》・格納。――――――《卍面解放》・《時戒卍伝説》」
アポリオンは、その仮面を脱ぎ捨て、自らの体内に《箱庭》を格納する。
仮面を剥いだその顔を見て、レーヴは絶句する。
名前を失った怪物は、その顔すらも失っていたのだ。
のっぺらぼうに近い。顔に膜が張ってあるように、眼や鼻といった顔のパーツが全くなかった。ただそこに、喋る口だけがあり、不気味を通り越した怖れを感じさせた。
―――――ただ、何も無い筈の所に、眼や鼻の代わりだろうか。
不自然に、顔の中央に、逆十字の卍というマークが、刺青のように、象徴的に付けられていた。
―――――それでも、レーヴはそいつの正体を大方予想出来ていた。
人を竜に変える飛蝗。本質こそ大きく変わっているが、時間の流れを変えて自分の速度を飛躍的に上昇させる龍の事は、異世界の人間ならば知らない者などいない。
目の前にいるのは、時戒龍アーク。セトラやゼノンより昔から語り継がれた、伝説の龍王である。
だが、今の勇者からすれば、敵では無かった。
レーヴは再び魔弾の射出準備を済ませると、戦闘態勢に構えた。
今の彼女は誰よりも冷酷で、誰よりも理不尽に強い厄災。
その身を堕とした龍王では役不足な程に、炎の獣と化した彼女は、タガが外れた殺人鬼だった。
「――――行くぜクソ女ァ!!俺の速さについてこれるかなァ!?」
顔の無い龍王は、紳士然とした振る舞いをやめ、眼にも止まらぬ速さで動き始めた。
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宵撃龍コンフリクトを殺した後、幸助は崩れゆく《箱庭》の中で、アイナを探そうとした。が、それをすぐに諦めた。幸助が探さないと決意したのは、長年の勘だった。
敵が一人な訳が無いからだ。それは飛蝗と影の関係を考えればすぐに分かる。
他にも見えないところで、知らない能力を使って暗躍している奴がいてもおかしくない。
魔眼軍とやらの実態が全く読めない現状で、アイナだけを連れ去ろうとする敵の意図が全く分からない。あちらには既に、マクガフィンがいる筈。それより、コンフリクトが自らをアカシクの先兵がどうとか言っていた気がするが、何故今更アカシクの話が出てくるのだ。
古代都市アカシク。
それは、この世界でいう所の白亜紀よりずっと前に存在していたとされる超文明古代都市。今とは比べ物にならない技術力を持っていたが、ある時地球に落ちてきた隕石により跡形も無く消滅したとされている。が、実態は核戦争による自滅に過ぎなかった。
世界のあらゆるシステムに干渉しており、神様でさえアカシクの手中に収めたとされる。因果律を無視した超越文明。それがアカシク。
その生き残りがアイナだ。幸助自身が異世界にいた頃は、魔王軍隊長十二幻将と呼ばれる最凶の刺客に、《廃華楽土アザレア・アカシク》という者がかつて存在した。通称・AAと呼ばれていた天災だ。そいつもアカシクの生き残りとされていたが、不死の紋章を持っていた訳では無い為、既に故人となっている。
実際、アカシクは未だ謎の多い文明だった。だが、異世界で戦争が絶えなかった理由の一つとして、アカシクの遺した遺物が災禍の火種になっているのは明らかだった。
それが、また何で、こんな時に。
考えていても仕方が無い。だが、かつての女帝デスペラードは、アイナの不死の紋章を妙に欲しがっていた。それで、あんな悲劇が起きてしまった。
思考が止まらなくなる。あの時の選択は、本当に正しかったのだろうか。
今でも後悔の念は尽きない。
左胸に刺さったままの村正を引き抜き、幸助は溜息をついた。
痛みで脳が冴える事はあるが、それによって過去の過ちを考えすぎてしまう事がある。
自傷行為は諸刃の剣である。肉体的にも精神的にも、気が付かない間に追い詰められてしまう。慰めが必ずしも本人の救いになるかどうかは分からない。
幸助は、アイナの事が好きである。
それは、複雑な過程を辿った上に行き着いた感情だ。
幸助という人間は、表面上は誰とでも仲良くしようとする最低限の社交性と、自己犠牲寄りの正義感を持ち合わせている、本質はごく普通の善良な人間だ。
――――――だが、アイナに関しては、そこまで執着がある訳でもない。
好きなのに、異世界から離れる選択肢を取ったのはその為だ。
この場合は、アイナより優先すべき事があった。
アイナはどうせ死なないのだ。どんな手段を用いても、一応、不死の紋章を取る手段は無い訳だし、助けるにしても優先順位はどう考えても後だった。
しかも、今回の件は、アカシクが関係していると知れば、その生き残りであるアイナを助ける義理は無いとまで、考えてしまう。
それに、もし不死の紋章を敵に奪われたとしても、今の自分には対処手段がある。それでアイナが死んだとしても、多分俺は・・・何も感じないと思う。それはきっと、アイナも同じだ。
俺たちは、常に仮初の関係だった。
それをよく、セトラからも指摘された事がある。
『どうして、無理して一緒にいようとするんだ?』
その言葉は、核心を突いていた。女帝デスペラードの一件があるまで、幸助とアイナは一度も分かり合えた事が無い。いや、正確には、女帝デスペラードの一件を経ても、2人が本当の意味で仲良くなれた事は一度だって無い。
幸助から見ても、アイナが罪悪感で無理矢理テンションを上げて、自分に接しているのを理解していた。それが見ていて、ずっと痛々しかった。アイナも負い目を感じたのだろう。
何故なら、幸助の自殺を止め、完全な吸血鬼と化した彼を再び半吸血鬼同然の体質に戻したのは、他でもない彼女だからだ。
幸助がマクガフィンの正体を知ってなお、可哀想だとも思えないのも、きっとそれが理由なのだろう。
罪悪感という楔で繋がっているに過ぎない絆は、余りにも浅はかで、脆い。
それより、コンフリクトが死んだ事で、札幌に何か変化が起きているのか。
それを一刻も早く確かめなければならない。
幸助は、嫌な予感がしていた。
勇者レーヴを1人にして放置する危険性をよく知っているからだ。
――――札幌の状況は、ほぼ詰んでいるようなモノで、手の施しようが無い位に終わっているのは確かだけど。
そういう、どうしようも無い時に、全てを終わらせる役割は、自分がやってあげたかった。それは、この世界で生まれた自分の役目な気がするのだ。死刑執行のボタンを押す役目は、自分でいい。
「・・・すまんアイナ。・・・俺、まだお前を許せないみたいだ。」
崩れゆく《箱庭》の世界で、幸助は溜息をつきながら、本心を吐露する。
白黒の世界に色が戻り、天蓋は剥がれ落ち、空白の虚無が顔を覗かせる。
その虚無に向かって、幸助は飛び出した。
《箱庭》からの脱出方法は、《箱庭》内の壁が崩れた箇所の外に出ればいい。そうすれば、現実世界と同位置の座標へと戻る事が可能だ。
そうして、幸助は、《箱庭》を後にする。早く、勇者の元へ――――――――
――――――――が、次の瞬間、幸助の視界に入って来たのは、極楽の炎で煤けた、全てが既に終わった後の札幌だった。
補足します。
十二卍将・・・魔王軍隊長格十二幻将のように名前が似ている存在であり、現段階では実態は不明。だが、アポリオンの言動から察するに、「母親から産まれる」必要がある。そして、アポリオンはその母親を殺す事を望んでいる。現在、東京で起こっている異変と何らかの関係があるのかもしれない。
そして、アポリオンは名前こそ失っているが、彼の扱う箱庭の名前に彼の元々の名前が刻まれている。逆十字を示す卍と共に刻まれた本当の名前を思い出す事は永遠に無いだろう。




