第45話 虚無病
《防壁陣》が張られたホテルには、飛蝗は侵入していなかった。
コースケによる《箱庭》の作製技術の異常さを、レーヴは感じた。害意を持つ敵からの認知をずらす結界なんて、なかなかそう簡単に作れるものではない。しかも、ああも簡単に作り上げるというのは、普通にどうかしているレベルだ。
幾ら自分が幻獣種の一種・吸血鬼だからといえど、そう簡単にポンポン張られては、レーヴもいい気はしなかった。自分が戦った際に《箱庭》を使用してこなかった時点で、完全に手を抜かれている事は明白である。しかも、女帝デスペラードとの決戦時に見せた魔装具を一度も使ってこなかったのは、レーヴのプライドをかなり傷つけていた。
私は本当に、コースケがいなくても魔王をちゃんと倒す事が出来たのだろうか・・・?
肩に乗せた人達を下ろす。時間が停止しているので、ロビーで待機させる他ない。
レーヴは、その人たちに、軽い状況説明を始めた。
「―――――という訳で、このホテルから出ないで欲しい。もしかすると、《虚無病》になるかもしれない。外の飛蝗に触れちゃ駄目だ。」
4人は、信じられないといった様子だった。それもそうだろう、この札幌で起こっている異変は余りにも非日常だ。時間の加速なんて概念を、《箱庭》として利用するなんて常軌を逸している。
働き盛りのサラリーマンに、若い金髪の女性に、主婦に、その子供。
もし、この人たちを助けられていなかったらと思うと、ゾッとする。
「――――君は何者なんだ?」
サラリーマンの男性がレーヴに訊く。
「私はレーヴ。この事態を調査しに来ました。」レーヴは、自らを勇者とは言わなかった。
「自衛隊は出動しないのかね?!」
「軍隊は来ないでしょう。今は時間を修正している最中。今日中に派遣される事は無いです。残り18時間程は、ここに避難しておいてください。」
「ねぇねぇ、おねーちゃんはあの火、どうやって出してるの?」
子供の無邪気な質問に、レーヴは優しく答える。
「これはね、私の中に流れる力を流して出しているんだよ。」
そう言って、レーヴは掲げた手のひらの上に、火の玉を作って見せた。
勇者は、剣技だけでなく、ほぼ全ての中級魔法を網羅している。どんな敵を相手にしても、勇者剣に魔法の属性を乗せる事で対応出来るように、魔法使いとしての力も鍛えられる。
《極炎斬刃》のギミックを説明するのは面倒なので、レーヴは嘘をついた。逃走しながら周囲に撒いていた炎は完全に魔装具によるものだが、それを説明してしまうと、無知な人間はその魔装具を欲する者が現れる。それを危惧して、レーヴは嘘をついた。
勇者をやる事で、こうした咄嗟に湧いてくる可能性を潰す為の嘘をつくのが上手くなっている。魔を祓う象徴として担ぎ上げられた人間が生き抜く為の処世術でもあった。
「わぁ、すごい!」その子供は喜んで、近付いた。
こうする事で、自分が特別な何かの力を持っていると4人に示しつつ、信頼を勝ち取る事が可能だ。先程の説明に信ぴょう性を増す為に、あえて自分が非現実性を提示しないと、状況を上手く読んでくれないと判断しての事だ。
レーヴは、嘘しかついていない。偶像に近い存在を演じるには、ポジショントークが破滅的に上手くなってしまうものなのだ。だから、目の前の4人を丸め込むのも容易だった。
「――――それでは、何があるか分からないので気を付けて下さい。私は、まだ外に誰かいるか確認してきますので。」
そう言って、ホテルの外に出る。フリをして、大きく跳躍し、506号にいるアイナの部屋の窓に張り付き、ノックする。
ガラガラ、と窓が開く。血だらけになったアイナが、気怠そうに窓を開けた。
「――――何よ、レーヴ。今、いいとこなのに。」
レーヴが部屋の中に入り、確認すると、ベッドの上の男性が、抵抗出来ないように縛られた状態で、手術を受けているかのように解剖されていた。
まだ、生きている。きっと痛覚を麻痺させられた上で生かされているだけの状態だというのをすぐに理解した。いや、そうであって欲しい。
「・・・何してるんだ、姫様。」
「色々、反射とか確認してみてたら、いつの間にか中身見たくなっちゃって。」
「ちゃんと元に戻しなよ。」
「それより、《虚無病》、色々分かった事があるの。」
「そうしたいのは山々だが、今外でコースケが戦っている。」
「でしょうね。」
「黒い飛蝗みたいなのが大量にいるんだ。それが、もしかしたら、《虚無病》の原因かもしれない。」
「・・・・・・へぇ。札幌、北海道に、飛蝗ね。それが、精神に影響を及ぼす《虚無病》の発生原因・・・と。成程ね、私の仮説も大方当たっているみたい。」
「嘘でしょ。」
「この《虚無病》って言うのね、これ、私のあの薬とほぼ同じよ。」
「・・・あの薬?」
「レーヴは知らないか。昨日ね、あの子にあげた奴よ。」
「・・・・・・知らない。」
「要は、この《虚無病》って奴は、精神を抜き取って、竜の因子を無理矢理適合させる状態の事なの。」




