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おはよう世界、さよなら異世界  作者: キャピキャピ次郎☆珍矛
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第104話 私達は3人揃って家族なの

 

 ーーーーーーーーああ。

 


 想い出が消えていく。頭から、嘘が消えていく喪失感を味わった。やめてくれ。嘘でも、偽りでも、楽しかったんだ。


 その願いすら本来ならば傲慢だ。

 殺したのは紛れもない自分だから。

 

 生きていた痕跡を残さずに、死のうとしないでくれ。貴女が生きていたという実感を消さないでくれよ。

 そこまで俺は望んでいない。頼むよ、頼む。綺麗に去らないでくれ。

 ーーーああ、でも。

 あれは、嘘じゃ無かったのか。


 挿し込まれた嘘は、能力者の死によって消える。書き換えられた事象は修正され、元へと還る。まるで、その人が最初からいなかったかのように、跡形も無く痕跡を消してしまうのだ。

 

 ただ、自分に優しくしてくれた記憶は、消えることは無かった。母は、本当に僕を愛していたのだ。それが、嬉しくもあり、悲しくもあった。死によってしか証明されない真実に何の価値があるのだろう。

 人として生きる事で、初めて芽生えた罪悪感の所在を、母は息子に委ねていたのだ。


 その母が、事切れてアライズメメントに突き刺さったまま、項垂れている。流れ出す血は緩やかになり、抱擁したまま、ピクリとも動かなくなった身体の冷たさを感じ、幸助はようやく親殺しを実感した。

 

 「・・・俺は・・・俺は・・・。」


 呆然とした。ほんとうに殺してしまった。


 この先、一生迷うであろう選択をした。今後も、この選択を後悔し続けるだろう。

 これで良かったなんて、思い上がる白痴を晒すつもりは無かった。自分の選択には自分で責任を持たなければならない。

 

 僕達には、血の繋がりは無かった。だが、確かに繋がっていた。

 そして、その実感が欲しくなった。幸助は、母の遺体に手を伸ばす。少しだけでいい。僕等が一緒にいたという、繋がりがーーーー

 

 

 あ。


 幸助の意識が、溶けていく。



 気を抜いた途端、どす黒い吸血衝動が湧いた。


 これは生存本能である。

 母を失った喪失感を埋めようとした。吸血行為は快楽である。

 吸血鬼として当たり前の行動である。

 腹が減ったら喰らう。生命の根源的な欲望に抗うのは、連戦による疲れを重ねた幸助には、自死を選ぶより酷い苦痛を感じた。

 昔なら、半端な吸血鬼の時ならば、おそらくは耐えられた。だが、この完璧と呼ぶに相応しい身体になってからは、幻獣そのものが持つ欲求には抗い難い。そもそも、もはや人間ですら怪しい者が、人のフリをして生きるのには限界がある。


 口元から溢れ出す血と涎。泣き腫らし充血した瞳は、無限の渇望から来る圧倒的な飢えによる血相を現していた。客観視した事実からは、本質は常に移ろいゆく。それは人も吸血鬼も変わらない。

 僕は自分に嘘はつけない。今にもこの死体を喰ってしまいたい。血を飲みたい。そうすればずっと、繋がれる。

 形だけの繋がりなんて永遠では無い。実感を持って繋がっているという事実が、飢えに苦しむ幸助の欲求を増幅させる。


 しかし、脳の奥で、警鐘を鳴らす人物がいる。想像で作られた偶像。妄念が生み出した一人格。それは、初めて自分の事を太陽だと形容した人物、師匠スレイヤーである。 

 それは、極限状態に追いやられた幸助の幻覚となって、目の前に現れる。


 「幸助。こいつの血だけは飲むな。」

 「師匠・・・でも、僕は!!」

 「言った筈だ。吸血鬼である以上、得体の知れない奴の血は飲んではいけないと。」


 「うるさい!!!!」


 柄にもなく、大声を出して、幻覚に全ての想いを込めて言い放つ。


 「勝手に死んで説教だけしやがって!!僕は貴女がいればこんな世界に戻りたいなんて思わなかった!!!!貴女さえいてくれたら全てうまくいってたかもしれないのに!!!都合の良い時だけ現れやがって!!!!」


 「・・・。」

 幻覚は口をつぐんだ。

 幸助の吐く呪いは止まらない。


 「勝手に愛して満足して死ねた貴女が羨ましかった!!!貴女が僕を吸血鬼にしたのに、何であの日僕を信じてくれなかった!?貴女の代わりなんて何処にもいなかったぞ!!!何が人間は替えが利くだぁ!?変にリアリストぶってんじゃねーぞクソが!!人は替えが利かねーんだよ!!!何が優しくあれだぁ?!!!その分別れの悲しみが強くなるだけじゃねぇかよ!!!想い出のままじゃダメなんだよ、吸血鬼のアンタだったら分かるだろ!?どれだけ血で繋がっているのが大事なのか!!!」


 「・・・。」


 「俺は貴女が好きだった!!今でもそれは変わらない!!母さんも好きだった!!俺を自殺に追いやった張本人でも、替えの利かない人だったんだよ!!ずっと達観してる態度してたけどな、あんなの嘘に決まってんだろ!!!俺だって悲しいもんは悲しい!!!受け入れ難い苦痛は無数にあるんだよ!!!我慢なんて出来るかよ!!!これは、俺の欲望なんだよ!!!」


 本能を剥き出しにした幸助の狂乱に幻覚は、黙るしか無い。

 理性の殻で必死に覆っていた幸助の本性は、現実へ抗おうとする激情である。失った者に対して、いつまでも引きずりながら未来を見据えるその精神性は、優しくて誠実という毒にも薬にもならない言葉からは想像だにつかない、常軌を逸した狂気である。

 それも含めて、スレイヤーはよく幸助を太陽のように思っていた。自分が信仰する神よりも身近に感じられる希望だったのだ。


 幻覚が消えていく。それは同時に、幸助の理性が消失した事を意味していた。

 

 脳から汁が出ているのを感じる。自律神経に作用し、正常な判断を鈍らせる麻薬である。快楽の事前準備として自我を奪う。欲望の奴隷となり、乾きを癒す最も一般的な手段。食事である。


 ああーーーごめん、母さん。

 俺はもう、耐えられない。

 家族だよな?俺達。

 なぁーーーーーー


 幸助は、口が裂けながら大口を開いた。




 「ーーーーーやめとけ幸助ェ!!」

 



 遥か上空から、龍王セトラが、龍の姿でマクガフィンを背に乗せて現れる。


 「《未去絶詩マキナシナリオ》」


 マクガフィンは、幸助を止める為に、禁じられたスキル詠唱を果たす。イロアス・アカシクの血液を飲もうとする幸助の行動は完全に想定外であった。誰一人、普通の親子関係を経験した者がいない事が、この事態に繋がっている。激闘の末、相手を喰らおうとするのは生物として当然の行為である。ましてや、血の繋がっていない母親が相手ならば、愛があったなら、当然の帰結と言えよう。


 まさか幸助が、我を忘れる程、取り乱すなんて。


 

 

 一刻を争う状況だった。

 アカシクの呪いを持つイロアスの血を飲んでしまえば、全てが終わる。ましてや、《艶素体計画プランニング》の果てに生まれた幸助のような存在は、何にでも染まりやすい、アカシクの呪いを受けてしまえば、どんな怪物になるか。誰も幸助を止められない。

 誰一人として、この結末は望んでいない。


 「やめろ幸助!!!全てを無駄にしたいのか!?」


 セトラの声は届かない。


 「ーーーーダメ!この位置じゃスキルが届かないーーーー!!!」

 マクガフィンは、絶望する。

 こんな筈じゃ、無かった。私の役目は、こんな終わりを望んでいない。

 

 誰か。彼を止めて。

 マクガフィンは、祈る。


 しかし。


 ーーーー閃光が走った。刹那、光速に達したかのような一閃が、幸助を切り裂いた。



 煉獄インフェルノ


 

 間一髪の閃光だった。衝動に駆られ、自我を失った吸血鬼の隙を付いた一撃は、幸助の首を切断するに至ったのだ。


 インフェルノは、気付いた時には身体が動いていた。アカシクの呪いを持つ者の血を吸うという行為の危機感、そして幸助という人物の余りにも救いようが無い道程に、憐憫を覚えた。

 あまりにも哀れである。

 こうなる事は、全てが運命だった。

 《自殺》の吸血鬼と宣いながら、望まない殺戮を繰り返す。だが、それらは全て、やらなければならない絶対的な使命として働き、結局のところ最善の決断となっていく。

 

 最初から詰んでいる。

 どう足掻いても、この結末は避けられないものだった。


 「ナイスインフェルノ!!」

 マクガフィンが歓喜の声を上げる。

 「・・・敵じゃないのか・・・?」

 セトラは訝しんだ。よりにもよって、勇者レーヴの姿をした彼女の心を読む事が出来なかった。そして、ネメシスの件を踏まえると、魔眼王の幹部として振る舞うレーヴの身体には、擬神が混ざっているのだと、すぐにセトラは理解した。


 ならば、幸助を止めた理由は、何だ?勇者として、助けなければとでも思ったのか?この世界を滅茶苦茶にしている連中が、そんな殊勝な事を考えるだろうか?訳が分からない。


 疑念を抱くより先に、インフェルノは行動を示す。今やるべきは、この飢えた獣を止める事。暴走した吸血鬼を止めるのは至難の業である。それに、また《アレ》を発動されたら、今度はこの世界が保たない。

 おそらく、この吸血鬼相手には、全ての攻撃が重要な意味を持たない。異世界ベータで様々な存在を喰らい、溶け合い、我が糧としてきた歴戦の記憶と蓄積が、ほぼ全てに対して適応する耐性となっている。

 唯一、通用するであろう色彩魔法の使い手もこの場にはいない。まさに最悪の状況である。


 幸助は、飛ばされた首の胴体から蔓のような触手が無数に飛び出る。血管とはまた違う肉の塊がうねり、肉を露出させた模造の顔を生成し、ゆっくりとインフェルノへ振り向いた。既に《魔眼》は顕現し、赫く光っている。

 まさに怪物である。


 獣性に身を任せた怪物は、剣と母の遺体を投げ捨て、インフェルノへと向かう。新たな獲物を見つけたのだ、無意識下で発動される《鬼血術》により、その速度は軽く音速を超え、触手から生やした新たな口で肉を喰らおうと噛み付いた。


 ーーーが、インフェルノの身体は、噛みつかれたと同時に消える。それは既に幻影と化していた。怪物の捕食は空を切る。

 マクガフィンのスキルが発動していたのだ。《未去絶詩マキナシナリオ》による力は、対象の座標位置を変えつつ、魔力による虚像をその場に浮かび上がらせる。移ろいゆく巫女の存在にあった、相手を翻弄するのに相応しい力である。


 「馬鹿インフェルノ!!アンタが喰われてもダメなんだって!!!」

 

 いつの間にかセトラの背中へ移動していたインフェルノが反抗する。


 「うるせぇ間に合っただけでも良いだろうが馬鹿女!!」

 「あぁあ!?幹部相手なら私も制約無いから、まずはアンタから殺してやろうか!?」

 「上等だイカレ女!!」

 「何っ処がイカレてんのよ私の何処が!!!」

 「行き当たりばったり過ぎるんだよテメェは!!」


 「口喧嘩してる場合じゃねぇぞ!!!」


 セトラが吼える。

 幸助が、セトラの方角に《偽創具顕現》していたのだ。作られているのは、魔王の槍である。あれを喰らえば一溜りも無い。万物を貫通し破壊するその力は、まともな対抗手段が存在しない神造兵器である。

 本来、使い捨て感覚で使われていい代物では無い。


 「ほらやべぇじゃねぇか!!」インフェルノが愚痴る。

 「何処がヤバいのよ。」マクガフィンはマウントを取り始めていた。

 「アレが飛んでくるだろうが!!」

 「いや幸助が本気だったらもう既に私達死んでるよ。」

 「じゃあどうすんだよ!!!」

 「・・・泣き落とし?」

 「ノープランかよ!!!ていうか、アイツらはーーーー」

 「大丈夫。セトラには悪いけど、既にスキルでここに移動させた。」


 マクガフィンの足元には、アライズメメントの刺さったままの遺体であるイロアス・アカシクと、精神が呆けたまま動かないAAが横たわっていた。


 インフェルノは、思い付く。


 虚魔幻刀ブレイヴォイドアライズメメント。魔王の槍と、魔剣が合わさった、現状最強に相応しい魔装具である。

 

 無限の手数を生み出す吸血鬼を相手に、勇帝は傲慢な結論に辿り着く。余りにもタガが外れた力の化身を前に、この刀であれば時間稼ぎが出来ると考えた。相手を殺せるなどとは思えなかった。

 甘えを無くした真の吸血鬼の恐ろしさは、身をもって知っている。勇者の記憶が全身の細胞を震えさせた。《鬼血術》のスキルを詠唱されたら死あるのみ。まだ魔王の槍は、優しい方だ。

 それ程までに実力差が開いているのは悔しいが事実に変わり無い。 

 というより、この世界にもはや、あの吸血鬼を越える存在は居ない。ましてや、宵撃龍のスキルまで使えてしまうとなれば、太陽が沈んだ今、安全な場所など何処にも無い。


 

 海老原栞。哀れな女だ。

 呪いから解放されたいが為に息子を利用したとも、罪悪から逃れる為の清算とも取れる最高の死を選んだ。その本心は何も明かさずに、生きる事すら放棄した。



 こんな奴に、同情すべき価値は無い。

 インフェルノは、栞の遺体から、アライズメメントを引き抜いた。粘着性のある血液がぬるりと付着している。それを乾布で跡形も無く血を拭き取り、そのままセトラの背を降りた。


 さぁ、何秒持つだろうか。


 てらてらと光沢のある黒々しく、禍々しい肉の螺旋が宙を待っている。相貌を失った怪物の涙が血となって溢れ出している。月光が反射して、黒く渦巻く形容しがたい何かは更に悍ましさを増していた。その黒の中でも、紅く魔眼が煌めいている。得体の知れない姿をした魔そのものは、遂に魔王の槍をインフェルノに向けて射出した。




 はな


 

 吐き気がする。

 何故だろう。

 思い返せば、きっとそれはーーーー


 あれ?

 何も、想い出せない。


 え?どうして?

 何で、私のお母さんの名前すら、想い出せないのーーーー



 AAは深く、暗い闇の中にいた。

 そこが自らの精神世界だと気付く。


 箱庭《樂慇亜噺つくりばなし》の作用は、記憶の中枢に新たな記憶をねじ込み、書き換える。箱庭の特性を利用した一番最悪な作用である。

 それにより、自我が崩壊し、まともな精神に戻れないようになってしまってもおかしくない。今こうして精神世界にいるという事は、現実世界ではかなりの時間が経っている筈だ。それでも、殺されていない現状を考えると、幸助が母親に勝利したと考えるのが自然だった。


 ーーーーー生きる意味を失った。


 AAは、光の見えない洞窟を歩き続ける。自らの心象風景を探る為の、魂の巡礼である。

 ここには何も無かった。

 何も、無い。

 母親を想い出せる記憶が、無い。


 ーーーあれ?

 私は、何で、今まで頑張ってきたんだっけ?


 何故、想い出せないのか、考えれば考える程、脳内で「そんな筈は無い!」と警鐘が鳴り響く。信じ難い真実から目を背け、AAは歩みの速度を早めた。だが、いつまで経っても、光は見えて来ない。


 何故だ。何故、忘れたんだ。

 私の憎しみの原点は。

 私の全ては。

 その記憶から、始まったじゃないか。

 今更引き返せないじゃないか。消えていい記憶じゃないんだ。

 じゃなければ、全て私の行為は、無駄だったって事になるーーーー


 「君がAAか。」


 目の前に幻影が現れる。

 それは、魔王そのものだった。全てを赦すような微笑みで、手を差し伸べる。出会ったばかりの魔王は、この世のものとは思えないほどに美しく、そしてーーーーー


 「ーーーま、魔王様ぁ!!」


 AAは、縋る思いでその手を取ろうとした。だが、幻影は形を持たず、触れた途端に霧となって消えていった。

 次の瞬間、ただ一人の吸血鬼に蹂躙され、なすすべもなく殺された魔王の姿が脳内で浮かんだ。


 「ーーー・・・あ」

 「・・・あああああああ」

 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」


 発狂した。

 大事にしていたものは全て、掌から零れ落ちていく。だから奪う側に回った筈なのに、全てを失った。

 哀れだ。


 「ーーー《箱庭いっしょにしのう》か、AA。」


 そう言って、燃え盛る半端な吸血鬼の幻影が目の前に現れた。

 スルースヴィル決戦・終幕に相応しい自殺行為。彼は、一才の迷いすら無く、私を打ち倒した。

 あの時、殺していれば、こんな結末にはならなかったかもしれない。


 AAは、呻き声を上げながら、幸助の首元を掴んだ。だが、力を込める事は出来なかった。やり場のない怒りを、幸助にぶつけてしまうのは、最後の砦を失うような気がしたのだ。


 彼は、敵だが理解者だった。

 常に、会う度に、私に更生を促していた。

 それに耳を貸さず、何もしなかったのは自分。分かり合えていたら、もっと違う未来があった筈だ。


 だから、燃え盛る彼の幻影を、消す事は出来なかった。

 目から溢れ出したのは、自分を産み落としたこの世への憎しみである。


 なんて、自分は、何処までも中途半端なんだろうか。

 何も得られず、何も成せず。

 生きていた理由さえ失い、過去の全ては無駄になった。


 空っぽだ。

 自分には何も無い。


 ああ。もっと早く、死ねば良かった。



 母親に何かをされたまでは覚えている。それが自分の原点で、行動理由だった。アカシクから逃げ出した理由も、それだ。いや、まさかーーー。


 それすらも、嘘だったんだ。


 母は、わざと嘘の記憶を私に挿し込んだのだ。じゃなければ、説明がつかない。私が未来の巫女になれないと分かったから、アカシクから逃げる理由を作り出して、アカシクに利用されないように逃したのか?


 もしかして、私は、愛されていた?


 いや、それともーーーーーー


 訳が分からなくなった。

 嘘を事実にする能力。それらが生み出した齟齬は、真実を不確定なものにした上で有耶無耶にする。


 そのどれもが、真実とは限らない。

 イロアス・アカシクが死んだ今、実証する手段は不可能になってしまった。嘘の記憶がこの世から消えた今、それにまつわる記憶すら思い出せないのだから。


 洞窟の旅は続く。永遠にも思えるような道程である。歩く度に後悔を重ねていく。追憶を重ねる度に喪失が増していく。

 自分の人生は何だったのだろうか。生きる意味を見つけられなくなったのと同時に、死ぬ意味すら希薄になった。何の為にここにいるのか。それすらも無意味に感じるようになってきた。

 歩く度に何度も過去の記憶を見せられた。

 弟の記憶、魔王様との記憶。戦いの記憶。最期の記憶。そのどれもが、今の自分とはかけ離れている気がしてきた。私はこれまでに何を得て、何を失ってきたのかさえ、分からなくなった。

 初めて人を殺したときの事を覚えている。


 あれは、最悪だった。


 私たちは、それまで山奥で暮らしていた。

 誰にも干渉されないように《箱庭》を形成し、外の世界は怖いから、2人だけで生きていこうと決めたのだ。

 だが。

 異世界ベータに《転移》してすぐ、世界規模の大飢饉が発生した。川は干上がり、大地は毒と砂漠と化したのだ。未曾有の食糧危機に魔族・人間問わず、ただ一つの水源を奪い合う戦争が始まった。

 その原因となったのは、後に天災として恐れられる《月隠しの女王》レギオン・ホワイリィなのだが、そいつが起こした天災地変の煽りを受ける事になってしまった。

 

 世は地獄と化した。飢えというのは、根源的な苦しみである。そんな地獄の中で、私達2人は再生能力があった。だから、暫くはお互いを喰いあって過ごした。

 肉親の血肉は不味かった。だが、腹を満たす為には、兄弟とはいえ、お互いを貪りあうしか無い。とんでもなく痛かったが、やるしか無かった。

 お父さんは、私達に自由に生きろと託してくれた。ならば、この地獄も自由を得た対価であると、自分に言い聞かせるしか無かった。お母さんから受けた××の記憶が、当時は自分を恐怖で支配していた。それに比べたらマシだと自分に言い聞かせていた。

 

 ーーー弟は、病気になった。


 弟は、あまり身体が強い方では無かった。当然、異世界の人間と比べたら圧倒的なまでに強いのだが、病気の類には耐性が薄かった。

 長く続いた飢饉は、同時に毒害と伝染病も流行させた。相次ぐ水源汚染とその利権争い、栄養失調による抵抗力低下、様々な要因が重なり、遂に弟をも蝕んだ。

 僻地の山奥で暮らしているとはいえ、異常な自然環境である異世界は、薬草とされているモノも毒を持っており、そこから必要成分だけを抽出するには多大な工程が必要だった。それらは魔法によって工程を狭める事も可能だったが、そんな理論的な知識を学ぶ場所が無く、先人が書いた根拠不明の本でしか知識を得る事が叶わない。それらも真偽不明のでまかせが書かれていたり、異世界の黎明期を生きていた私にとっては、今考えれば根拠の無い情報ばかりで信用する気になれない。

 水銀が不老不死の薬である、というようなレベルの情報がのっていたのだから。明らかに異世界全体として知識の蓄積が無かったのだ。


 だが、幼い馬鹿な私は、それを全部鵜呑みにした。


 その魔法を使う為に必要なモノの一つに、エレメシア人の血と書かれていた。


 私は山奥を出た。異世界に来てから、たった一人の家族を助ける為に、それまで避けていた他者から奪う行為を決断した。

 エレメシア人は、かねてから東部地方に位置する古代国家の人種の一つであり、精霊のような美しい長耳が特徴だった。いわゆるエルフと呼ばれる長命型の人間。

 彼らは、あまり自国から出るようなタイプでは無かった。エレメシアは、アカシクとは正反対の超自然神秘主義であり、科学的技術やテクノロジーといったものを否定し、古来からの魔法体系を引き継いでいる。それ故に、魔力の総量や魔法・スキルの特異性は突出しており、敵に回してはいけないとまで言われている国家である。

 その人種の血が必要だった。ただでさえ希少な人間。そう易々と見つかる訳がない。

 ただーーー私は、幸いにもお母さんから鍛えられただけはあった。


 

 《破練師スランバー》。

 魔力が大気に混ざる程の密度がある異世界にとって、その使い手は無限の魔力を持つに等しい力を持っている。魔力には重力が働く。幸い、その場所から高度に位置するエレメシアの中でも、標高が低い集落だった。

 そこには、当たり前のように、《箱庭》未満の《結界》が張られていた。旅人から見つからなくする認識阻害の効果が付与されたモノだ。

 私は、すぐに見破る事が出来た。


 1人だけで良かった。

 いや、1人とは言わず、少しだけ血を貰えたら満足だった。


 私は常識知らずだった。

 「すみません!!少し、血を分けていただけませんか!?」

 私は集まってきた人々に土下座する。

 《結界》を破っており、集落は混乱していた。今まで見破られた事のない《結界》破りをした少女が、血を分けて下さいと懇願している。側から見れば、恐怖以外の何物でもないだろう。


 昨今の食糧危機を考えたら、すぐに分かった筈だ。人はそこまで、優しくない。得体の知れない者に耳を貸す善意など、飢饉で更に、保守的になった種族に、残っていない。


 私は、次の瞬間に、人々から魔法の集中砲火を受けた。火、雷、氷、水、風、毒。

 様々な属性魔法が、無抵抗の少女の身体に叩き込まれた。


 何で、言う事を聞いてくれないの?


 ーーーだが。それすらも。

 母から受けた××に比べれば、生温かった。


 1人ずつ、私の言う事に反対した者から、無抵抗にした。

 誰一人逃げられないように、領域型の《箱庭》を形成した。順番に、何故話を聞いてくれなかったのか、確認して、直接触れて魔力を奪っていった。抵抗すら出来ないように搾り取って、搾り取って、身動き一つ取れないようにした。

 子供から、刃物を取り出されて刺された。歴戦の戦士から、魔装具による一撃を喰らった。だが、それでも、お互いを喰らいあってまで生き延びてきた痛みに比べたら、全部大した事は無かった。


 ーーー何で、私は殺そうとしていないのに、殺されなきゃいけないのか。

 こんなにも手加減しているのに。


 私は、時間が無かった。

 弟の苦しみを少しでも和らげなければ。


 だが、これがエレメシアにバレてしまうのは面倒だった。流石に、今している事がどれだけ国際的に危険行為であるのかは理解している。国を相手にしても戦える自信はあったが、何よりも私はそんなに好戦的では無かった。無駄な行動は取りたくない。

 だから、母さんと同じように、恐怖を与える事で、畏れられる方が楽だなと考えた。


 その為には、惨殺死体が必要だった。

 やるしか、無かった。こんな時にこそ、合理的な思考が働く自分が嫌になった。


 ーーーその日、初めて人を殺した。

 最悪の気分だった。私の童貞はそこで喪失したが、一度失えば人はタガが外れたように狂ってしまう。

 畏れられる為には、更なる恐怖が必要だった。

 

 結局、全員、殺してしまった。


 大人、子供問わず、全員だった。


 だが、それだけいっぱいの血が手に入った。それがとても、嬉しかった。

 その血を使って、私は歴史的な事件を起こした。それが異世界に伝わる《吸血鬼伝説》の一章となったのは、今にしてみれば何とも皮肉な出来事である。

 私は、誰かの為ならば、簡単に人の道を踏み外せる事を知った。その行為が果たして正当化されるべきものなのか。今になって、改めて考えてしまうのは何故だろうか。



 結論から言うと、弟は助からなかった。




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