第103話 救いを
母
ハッピーバースデー、トゥユー。
おめでとう幸助。
貴方は今日で16歳の誕生日。
誕生日なんて正直な話、何で祝わなければいけないのかよく分からない行事だけど、毎年恒例でやってると何故か親近感が湧くというか、やらないとなんか気持ち悪くなっちゃうよね。
何にせよ、何かに託けて人を祝う行為自体は素晴らしいと思うのよ。
ハッピーバースデー、トゥユー。
本当におめでたい。
貴方と過ごした16年は、沢山色んな事があったけど、本当に楽しかった。
見てよ幸助。蝋燭が16本も。ケーキにブッ刺さってる。
毎年、一本ずつ増えていったけど、ここまで来るともう蝋燭を刺す場所が無いくらいの密度になってきたよ。
パティシエさんに頼んで、板チョコに文字書いたのよ?
これからも幸せでありますように。
英語で書いてもらったの。
貴方は、普通に大学行って就職して、色んな社会経験を積みながら生涯の伴侶を見つけて、結婚して子供を産んで欲しいなって。早く孫の顔がみたいわ。まぁ最近は多様性の社会でもあるし、そこまでステレオタイプの核家族信仰みたいなものを押し付けるつもりはないけど、楽しく静かに過ごしてくれればそれでいいわ。お母さんはそれで満足です。
大人になって暴走族壊滅とかしたら、社会的に死ぬからね?貴方、今だけ法律に守られているって事忘れないでね?
ハッピーバースデー、ディアこうすけ〜。
ね?幸助。
貴方は私の全てよ。
私には、貴方しかいないの。結局、反抗期は来なかったわよね。
貴方はこれから色んな経験をしていくと思うけど、私はもう口出しする事は無いわ。勉強もそこそこ頑張っているみたいだし、みんなから慕われているみたいだし、言う事は無いわ。
貴方は私の思う普通の子に育ってくれた。それがとても、嬉しい。
16歳になれる日は、もう来ないの
に。
あぁ、幸助、消えないで。
私の視界から消えないで。
嘘から醒さないで。嗚呼。
幸助が消えていく。
ハッピーバースデー、トゥユー。
慕情に似た祝福に歓喜しながら、私は誰もいない部屋で、貴方の遺影と共にケーキを囲った。
犯人は私。殺したのは私。
私は、貴方を祝福する資格を持ち合わせていない。
・・・ねぇ、幸助。
どうして、こんな事になったのかしらね。私は掛けるべき天秤をいつも間違える。そして、私は自分自身に抗う事が出来なかった。
アカシクの呪いのせいには出来ないわ。だって、これすらも予定調和だなんて、運命は最悪だと思わない?
私は、來るべき日の為に貴方を育てて来た。そして、異世界の危機という、予想だにしない事態がやって来た。
運命は、貴方に一度、死を通した《転移》である《転生》をさせる決断を下した。
アベルのスキル《転移》は特殊だった。何処へでも、何処からでも有機物・無機物問わず、別世界ならば未来過去問わず《転移》が可能である。
ただし、一度でも《転移》した存在は二度と《転移》が不可能。一方通行なのである。
そこで、アベルのスキルを元に、アカシクが創り出した技術は、《転生》である。
それは、《転移》の廉価版。
天上界を掌握したアカシクは、一度生物の死を通す事で、別世界への移動を可能とした。
幸助は、《転生》が可能であった。
今でもそうだけど、私が行けたらよかったと後悔している。でも、私アベルから嫌われていたのね。擬神に掛け合ってみても《転生》の適性が私には無かった。
巫女にもなれず、《転生》も出来ない。
私が唯一、アカシクの為に出来る事。それは、貴方を異世界へ《転生》させる為に、殺す事。
でも、貴方が異世界で戦うには、動機も理由も無かった。
だから、私は、私という存在を利用したのよ。
初めて、貴方に能力を使った。
周囲の人間にも短剣を挿し込んで、偽りの記憶を植え付けた。
貴方はそのイジメに抵抗出来ないように、新たに偽りの記憶と、抵抗すれば家族が危険に晒されるという脅しを与えたの。
そうすると、段々人って弱くなる。守るべきものとやらがあれば、無抵抗になっていく。
そう、私、貴方を洗脳したの。
死んだ事への罪悪感も必要だった。
だって、貴方にはまだ役目があったから。過去の巫女を見つけ出すという役目が。
だから、最後は目的を達成し、この世界に帰ってくる必要があった。
出来るだけ貴方が罪悪感の残る死に方で、追い詰める必要があった。
そして、貴方はあっけなく死んだ。
校舎から真っ逆さまに飛び降りて。
幾ら強い肉体といえど、高所から頭を突っ込んだら人は死ぬ。
ーーーーでもね。
私、貴方が飛び降りたって聞いた時、頭が真っ白になった。
本当に焦ってたんだと思う。
理解が出来なかったし、それを脳が拒んでいたの。
まさか、うちの息子が死ぬ訳ない。
本気で、そう思ったの。
ーーーでも、現場に到着して、救急車に運ばれて、心肺停止になった貴方を見て、私。
泣いたの。膝から崩れ落ちた。
私が殺したのに。
どこまで人は醜くなれるんだろうね。私は、許されちゃいけないわ。
戻ってこれる確証も無いのに。
やっぱり、あの日死ぬべきは自分だった。
【私は罪を忘れるから、被らなきゃ解らない】
大地と隔絶された宇宙空間がそこにはあった。
始まりと滅びは表裏一体の事象であり、掲げられた永劫という名の下に循環を示し、空白埋め尽くす黒と白。星の終わりと見下される銀河を引き込むブラックホール。中性子星となった巨大惑星の果てから星の始まりーーーー創世の往来する輪廻を見せ続けられる面倒さ。色彩を欠いた地上に群がる鼠の群衆。子を産み次世代へと繋ぐ生命のリレーを行い、人口ピラミッドの不和を起こし少子化を招き、飽和した社会に蔓延る多様な思想がもたらす緩やかな滅び。始まりは豊かさを起点とした渇望であった筈が、満たされると自らの種を残さないような反保存法則が働いていく。その根源はいつも傷つきたくないという保身である。始まりがあれば終わりがあるといえば簡単だ。だがその間には、数えきれない程の祝福と絶望があった。それが生と死の循環であり、生物が身近に感じる最も原始的な始まりと滅びである。鬩ぎ合う生存本能から生まれた余剰の機能・感情は、ついに人の本能を超えて様々な思想を生み出した。それが結局は生存本能から逆行し、生へと渇望を奪っていくのである。なんと皮肉か。結局の所、満たされた果ての繁栄には、余裕から生まれた感情による淘汰が始まるのだから。そんなものなら、初めからそんなものなんて、無ければ良かったのに。そう、初めから何もいらなかったのだ。だって、そうでしょう?生には苦しみが生じるもの。わたーーわたしタチはそういうカンじでプロぐらムされテいるモノ。
拡がり続ける宇宙。閉じられた《箱庭》と不釣り合いな自由と閉塞感。
空に張り付いたような星々の煌めきと、大量に群がる鼠の群れ。自転する地上を模したかのように視界は移り行く。砂の大地を塞ぐように彩られたオーロラは幻想的であり、エアーズロックにいるかのような広大さを感じる。ただ、広大なだけと言えば味気ない。大地の有限と宇宙の無限には比較しようが無い程の隔絶が生じている。その境界には地平線がいつまでも視界に残り続ける。
宇宙と一体化したかのような、不思議な感覚が幸助に宿る。視界は夢のようである。空間と同化していくような、無限の広がりを見せている。悟りに至る境地とはこのようなモノなのかと感じる程には、快楽とはまた別の気持ちよさ・清々しさのようなものを感じた。自我が溶ける、という表現の方が正しいか。それと同時に、別の記憶も混在してきているように思える。地面の鼠が鳴いている。呼応するように、幸助の名を呼ぶ声がする。
「ここにいて、正気を保てる人間は貴方だけよ、幸助。」
栞は笑う。不恰好なブルーシートから顔を覗かせながら、身体を小刻みに揺らして笑っている。その影の中には宇宙が広がっているようにも感じた。
「・・・人格や記憶を統合する《箱庭》ってところかい、母さん。」
「統合した後に、失調させるのよ。」
「待て待て待て待て。死より恐ろしい能力じゃねぇかよ!」
無理矢理記憶や整合性のない情報を無限に詰め込む事で、人格や精神に異常をきたし、内側から崩壊させる《箱庭》という訳である。
対・箱庭保持者との戦いにおいては、有利に進められる力に違いない。だが、幸助には通用しない。元よりこの男の心は壊れている。故に、完成された吸血鬼としての振る舞いが可能なのである。
殺し合いとは、いわば相手の心を折る戦いである。心そのものを崩壊させる《箱庭》ならば、戦いが有利に進むのは当然である。
「なのに、平気なのね。」
「何人も人格を従えている吸血鬼に通用する訳無いだろ。この身体になってからは、精神耐性は基本効かないと思えばいいさ。」
「未来の巫女に感謝しなきゃね。あの子を嫌ってる場合じゃないよ。いい加減自分の気持ちに素直になりなさいな。」
「・・・母さん。」
「何?」
「ごめんだけど、一緒に死のうなんて、貴女には言えない。」
「あれだけ他の人には言ってきたのに?」
「うん。貴方が本当の母親なら、分かってほしい。」
防壁陣をAAに掛けながら、幸助は刺さっているアライズメメントを引き抜いた。
「だって、明日も一緒に生きてほしかったから。」
「あらあら。もう私は過去の人?」
「貴女の望む未来を叶えてやるだけだ。」
「・・・ふふっ。ふふ。ふふふ、ふふ。あはははは!!そこまでお見通しなのね、幸助!嬉しい、嬉しいわ。」
「なら、後悔なき様。いたしましょう。」
イロアス・アカシクは、被ってあるブルーシートに短刀を刺した。
そのスキル名は、《遡皇開闢》。まさに現実を改変してしまう能力である。
物体・気体分子問わず、過去の事象を挿み込んで法則そのものを根本から覆す。限られた自由の中で、何でもありにしてしまう恐ろしい力である。
その短刀の名は、《偽典握剣》。斬られた箇所から事象をねじ込んで過去から現在に至る過程を改変し、書き換える。
刺されたブルーシートは、新たな短刀を創り出した。自身の能力で生み出した、幸助の自殺現場に残ったブルーシート。それを再び改変し、その原点となる《偽典握剣》の贋物を創り出した。
が、贋物では無く、これは事実と変わる。
どちらも本物の神剣である。
「ようは、貴女の想像力を上回れば俺の勝ちって事だろ。何でも出来る万能は、判断力を鈍らせる。考える隙を与えなければいい。」
「幸助も人の事言えないでしょ?《鬼血術》をそんなに拡張させるなんて、もはや何でもありじゃない。」
「そうだね。意表を突くのは得意だよ。」
「幸助。」
「何?」
「蟷螂の斧って知ってる?」
「ああ。異世界ではずっと挑戦者だった。その言葉は、もはや懐かしささえ感じる。」
「何歳になったんだっけ。」
「分からない。実際は7年くらいだろうけど、あの修行期間を含めるならもっとかも。少なくとも、自分を高校生だなんて言える年齢じゃないね。」
「立場が逆になっちゃったね。」
「そんな事ない。」
「ありがとう、幸助。」
「楽にしてやるよ、母さん。」
ーーーー静寂が走る。
お互いが相手を理解している。
なのに、この戦いは避けられない。
それは、お互いが決めているからに他ならない。ここで決着を着けなければならないと。生命のやり取りをしたとしても、納得の出来る最期を選ばなければならない。
まさに運命である。この親子は、いずれにしても、どんな足取りを辿っていったとしても、愛し合っていても、理解しあえていても。
最後は、同じ結末に至るのだ。
何故なのか。それは幸助が1番よく分かっている。
幸助は、母を楽にしてあげたかった。
鬼
死は救いである。その思いはいつまでも変わる事は無い。苦しみから逃れる方法、それは死を獲る事である。
死んだ方がマシだった犠牲者がいた。
死んだ方がマシだった勇者がいた。
死んだ方がマシだった魔女がいた。
死んだ方がマシだった天才がいた。
死んだ方がマシだった吸血鬼がいた。
悲しみを越えて強く生きろ、とは強者の言葉である。それを乗り越えられない者だって幾らでもいるし、ただ前を向いて歩けば良い未来が先に待っている訳では無い。それ以上の悲しみがあるかもしれない。ならば、進むのに躊躇し、立ち止まり、過去に縛り付けられる人間がいるのも仕方の無い事だ。歩けなくなった事を甘えなどと切り捨てるのは、あまりにも残酷である。
そうーーーーそもそも、残酷なのだ。
現実は非情であるのだ。
どう足掻いても、変えられない。
だから、苦しんでいる者に死を与えるのも、一つの救いとなる。それこそ救いようが無いと非難された事もあったが、その立場を崩す事が出来なかった。
それは、自らが最も、自らの死を望んでいたからである。
だから、死にたがりは何となく分かる。
どういう理由で死にたがっているのか。
解決策が無ければ、死を選ぶのも一つの手段である。
それは、相手が母親であっても関係無い。
生命の奪い合いは、死と隣り合わせで、とても楽しい。ハラハラする。絶頂しそうになる。だから、ギリギリの勝負を演じたくなる。
あえて追い詰められて、手段を封じて、限られた方法で対策し、勝利がしたい。
でも、今回は何も楽しく無かった。
相手が身内だから、だろうか。
いや、そんなのは関係無い。
これは、おそらく義務感によるものだ。
何をしているのだろうか。僕は。
存分に力を振るうだけの獣じゃないか。
いやーーー救おうとしているからだ。
なんと傲慢なのだろうか。誰も救えなかった自分が、ここにきて自らの母親を、死による救済で義務を果たそうとしている。
ーーーこんなの、つまらないじゃないか。
親とかしがらみとか関係無い。
もっと楽しもう。
初めてやる親子喧嘩だからさ。血で血を洗おう。溶け合おう。
僕達は、確かに繋がっていたじゃないか。
幸助は、完全なる吸血鬼の姿へと変化する。蝙蝠のような、堕天使のような黒き羽根を背中に生やし、不可視の触手が周囲に蠢く。無限の手数を生み出す形態へと変身を遂げ、新たに《村正》を偽創具顕現し、アライズメメントを含めた二刀をその手に携える。
対して、イロアス・アカシクは身体に烙印を走らせながら、神剣を2つ携えて笑っている。まるで、自分の意思では無いように、泣き笑っている。
明らかに、今までと違い様子がおかしかった。烙印が、意志を持っているように身体を這い、頭部を侵食している。
それが、アカシクの呪いであるのは、すぐに分かった。
諸悪の根源。生き汚なさの象徴であり、幸助の生みの親。人格に乗り移り、呪いを吐き、教唆する。アカシク復活の為ならば、どんな駒すらも切り捨てる。
イロアスがどんなに苦しんで来たのか、幸助には理解が及ばなかった。分かる筈も無いし、言い訳にしてもいけない。徐々に精神を蝕んでいく遅効性の毒に等しいそれは、クロエによれば、一度呪われてしまえば解決方法が無いそうだ。
当人の死でしか、解放は不可能。不死の紋章とはまた違う、アカシクが使命を忘れさせない為に妄念に取り憑かせる烙印。
「・・うぅぅあがぁぁぁあァァァ!!!いったぃいぃぃぃああああ!!!」
半狂乱となったイロアスの一閃を、幸助は受け止める。尋常じゃない力だった。烙印による身体能力の強化が為されており、人の身でありながら目にも止まらぬ速さで放たれた一撃は、容易く《村正》の刀心を斬り落とした。
《予測》の通りにはならなかった。幸助は、その一撃を村正で受け止められると思っていたのだ。幸助は、一寸の迷いすら無く詠唱する。
「《偽創具顕現・虚聖夢限小銃》」
距離を詰めてきたイロアスに対し、至近距離で小銃を発砲する。《箱庭》すら容易く貫通させる相克の弾丸が、イロアスの眉間を捉えた。
が、放たれた弾丸に超速で反応し、《偽典握剣》により弾丸を受け止められると同時に、その弾丸に嘘が挿し込まれた。弾丸は、起源そのものを書き換えられ、《放った本人に追尾する機能》を追加され、弾丸は瞬時に軌道を変え、幸助の身体を貫き、暴発する。この瞬間、僅か1秒に満たない超速の事象である。
暴発し、身体が散り散りと化し、嗤う幸助へ無慈悲な一閃が放たれる。幸助に挿み込まれたモノは《記憶》。どんな能力・事象を加えても、不死身に近い耐性で全てを跳ね返した吸血鬼という幻獣の最高峰に対して、今や効く手段は存在しない。紅き魔眼は、物理面に関しては最強の耐性を誇り、瞬時に再生と浄化を行う。精神に干渉するのも、自我を統合する力に長ける吸血鬼の耐性ならば、不可能である。何より、記憶を消そうものなら、この獣は確実に自分を殺すだろう。アカシクの呪いは、寄生主の生存を優先して、イロアスの自我を奪う。
呪いが出した結論。ならば、真に近い偽りの《記憶》を挿み込む事で、戦意を削ぐ手段を取る。胡乱なる想造主は姑息にも、自分の立場を利用して抗う。
何でも出来る力を持つ者が、ただ圧倒的なまでの不死性と適応力を持つ個に対して、そのような手段を取る事しか出来ない。
挿み込まれたのは、母との思い出である。愛さえ嘘で成立する。それは、どんな形であれ、美しい思い出となって醸成されていく。
一緒に遊園地に行ったり、何気ない日常の中で発生する小さな不幸を共有したり。
安寧と呼ぶに相応しい変わり映えのしない日常。そんな、当たり前の日々を幸助に挿し込んでいく。
母は、劇的なドラマ性のある想い出を挿し込めなかった。こんなとこに行って、こんな劇的な体験をしてーーーなんて、そんなものが幸せであると、イロアスは思わなかったからだ。
貴方と一緒にいるだけで幸せだった。だから、当たり前の日常しか、挿し込めない。学校帰りに疲れている私を案じて、コンビニに寄ってアイスを買ってきてくれたとか、幸助の好きな料理ばっかり作っていたらちょっと太ってきたとか、そんな嘘とも言い難い想い出を、母は挿し込んでいく。
そして、挿み込まれた現実味のある嘘を認知し、幸助は泣きそうになった。こんな慎ましやかな当たり前を大事だと思っていてくれていた事に、心が張り裂けそうな気持ちになる。
何でも出来る癖に、自分に生じたものはこんなしようもない想い出ばかり。
幸助は、予定外の精神的外傷を負う。家族を殺したく無いという、油断が生じる。
だが、幸助は異世界を生き抜いてきた。だから、すぐに意識を切り替える。冷徹な自分を取り戻した。強くなるというのは、全てに諦めを持つ事に等しい。
魔眼を発動させ、驚異的な速さで回復を遂げる。塵と化していた肉体をすぐに取り戻し、可視化された背後の触手を畝らせ、幸助はアライズメメントを持ち直して斬りかかる。
両者、譲らぬ剣戟を魅せていく。
この間、斬り合いから僅か2秒の出来事である。光速と化した能力の応酬。復活。剣戟。余りにも早く、力強い戦いは、《箱庭》の周囲全てを巻き込み、破壊しながら進んでいく。
幸助の生み出す魔装具に触れる度、《既に壊れている》事象を挿し込まれ、それでも尚己が愉しむ為、斬り合いに持ち込む為に、幸助は連続で左手に魔装具を顕現させていく。右手に握るアライズメメントは、イロアスの能力を常に否定し続け、本物のまま斬り合いを継続している。だが、いつ壊れてもおかしく無い。
無限に広がる宇宙で、殺し合う2人は同じ事を考えていた。
溶ける。融けていく。
渇きは既に癒えている。
今までありがとう。
頭に浮かぶのは、正反対の感情、感謝だった。
【樂慇は受け継がれていく】
人格は統合されていく。記憶は醸成されていく。全てに嘘をつき、真実を得た彼女が望んだものは、これ以上誰も傷つけたく無いという、優しさだった。母親というものは、必ずしも聖者とは限らない。だが、薄汚れた人間が聖者であろうとした事実は、幾ら嘘をついた所で消える事は無い。
まして、嘘をついてきた罪も同じ。
これは精算である。
だが、確かに偽りでも幸福だった。
ありがとう。
そう口にした時、決着がついていた。
幸助が持つ、アライズメメントが海老原栞の胸に突き刺さった。血が溢れ、口から血が漏れ出る。
術者の生命危機に反応した《箱庭》は崩壊を始める。宇宙は緞帳の裏方に押し込まれ、楽園の輪廻を繰り返した鼠は死滅し、劇場は崩壊していく。
嘘からでた真。
身から出た錆。
流れ落ちる血液。
途絶えていく命。
全てを終わらせてくれた息子へ。痛みと呪いにより意識が混濁した中、か細い声で、母は祈るように、歌った。
「・・ハッピー、バース・・・デー・・・トゥ・・ュ・・・」
まるで、夢の中にいるように、彼女は歌う。アライズメメントが刺さったまま、刀の鍔とくっついてしまうかのように、海老原栞は幸助に、大量の血液を散らしながら、近づいていく。深く、深く貫通し、それでも母は息子へ距離を詰める。刀越しに伝わる母の重さが、手を通し伝わっていく。
「・・母さ・・・」
幸助は、母に刺さったままの刀を離せなかった。
「・・ハ・・・ピー、バース・・・デー・・・トゥ・・ュ・・・」
「・・・あぁ・・・あ・・・。」
幸助は、ようやく自分がやった事の重みを知る。僕は、自分にとって身近で、最愛を殺してしまったのだと。
回復魔法を掛ければ、まだ取り返しがつくかもしれない。母に挿み込まれた記憶が、早くそうしろと命令する。
だが、幸助は行動に映さなかった。
何故なら、目の前の母は、血塗れだが肩の荷が降りたような表情だったから。とても、救われたような表情で。
涙が、止まらなかった。
「・・・ディ・・・ア・・こう・・・。」
母の目が霞んでいっているのを見て、幸助は母を抱き寄せる。
「・・・ここにいるよ。」
「・・・・・お、めでと・・・。」
「・・・・・・うん。」
「・・・そこ・・に、いる・・の・・・?」
「うん。」
幸助は、母を強く抱きしめる。
刺さったままの刀が更に根元まで突き刺さる。
溢れ出す血と涙。確かめ合うように反芻する。
「・・・あ・・ぁ・・・見捨て・・・ない・・・で・・・。」
「・・・逃げない。僕はもう、逃げないから。」
「・・・よか・・・った・・・ひとり・・は、い・・・や・・・だ・・から・・・。」
「僕は・・・貴女の息子で幸せでした。」
「・・・ふふっ・・・わた・・・しも・・・。」
「・・・。」
息は絶え絶えとしていた。耳元で囁かれるか細い声が、どんどん小さくなっていく。同時に、幸助にしがみつく力も減っていった。死神が近付いているのが分かる。耐えられない。
「・・・なか、ないで・・・。」
「・・・・・・無理だよ。」
「・・・・・・だめ・・・あな・・・たは・・・たいよう、だから・・・笑顔・・・忘れ・・ちゃ・・・ダメ・・・。」
「・・・うん。ありがとう。」
「・・・・・・あ・・・り・・・。」
「・・・・・・母さん。」
「・・・・・・ーーーーーー。」
イロアス・アカシクの力が抜けていく。手の中で、すぐに冷たくなっていく母の温もり。事切れた母の表情は、笑顔だった。
幸助の全ての起源は、ここで終わりを告げた。




