1 春爛漫、かすみ草は今日も美しい。
どうしてだ。何がどうなって、こんな展開になったんだ!?がくがくと膝を震わせながら、夏希はその場にへたりこんだ。混乱する頭を抱えながら、目の前で仁王立ちする美少女・片瀬かすみを見上げる。
「私が、あなたを完璧・理想の男に変えてみせる!岡田夏希。今日から私のいいなりになりなさい!!」
指を突き立て、声高らかにかすみは叫んだ。なぜだ。なぜこうなった。どうして片瀬が俺にこんな命令をするんだ!?ぐるぐると回る思考の渦に、なすすべもなく夏希は飲み込まれていった。
―――
遡ること、約一ヶ月。
「新入生、入場!」
うららかな春。体育館の大きな窓から差し込む日差しが、椅子に座って拍手を続ける全校生徒たちを明るく照らす。
市立あすか中学校の入学式は、例年通り何の問題もなく開始した。
音楽部の奏でる軽快なマーチに合わせて、ぶかぶかの制服をきた小さな新入生たちが入場してくる。
三年生になった岡田夏希は、必死に新入生へ拍手を送りながらも時折ちらちらと左後ろに目線を送った。
音楽部の生徒たちの真ん中で、真剣な表情で指揮をとる長い髪に黒いカチューシャをつけた女の子。ぴんと伸びた背筋が、誰も寄せ付けない高潔さを表しているようだ。
(ああ、今日から片瀬かすみと一緒のクラスだなんて……)
一年生の頃から密かに憧れていたその女の子と夏希は、朝に貼り出されたクラス発表で、同じ二組になっていた。
「夏希くん!今年も一緒のクラスですよー!僕は嬉しいですぅ!」
隣で夏希の手をとって喜ぶ友達の晴彦とは対照的に、夏希はしばらくぼんやりとその場に佇んだのだった。
(ぐふふ。やっぱり、人生真面目に生きていると少しはいいことあるんですね、神様)
夏希が夢見心地で拍手をしていると、突然「ガン!」という音と共に
体を揺さぶられるような衝撃が走った。
振り向くと、後ろで遊び始めた男子生徒の足が、夏希の座るパイプ椅子に直撃したらしかった。
「いってー。マジいてぇ。ぎゃははは」
「お前、謝れって。ガン見されてんぞ」
「あ、すんませーん!」
制服を着崩した、いかにもチャラそうなその男子生徒たちは夏希を一瞥すると、また楽しげに会話し出した。
(くそ……陽キャどもめが)
心の中で毒づくと、夏希は少しずれた黒ぶちのメガネをくいっと直す。
夏希はわかっている。自分は陰キャで、いわゆる「スクールカースト」でもかなり下位のほうに位置していることを。対して片瀬かすみは成績優秀、人望も厚く友達も多い。おまけに容姿端麗と非の打ちどころがない。そんな女の子と自分は、どう考えたって現実世界で交わることはないだろう。
しかし、だからといって後ろの席にいる男子生徒のような陽キャになろうとは、夏希は思わない。彼らは総じて素行が悪く、おまけに成績もよろしくない場合が多い。そんな奴らを、あの片瀬が好いているはずはない。夏希はそう確信していた。
(片瀬から好かれたい……は高望みしすぎだが、せめて嫌われないようにしないと……)
片瀬と中学校最後の学年で同じクラスになれたのは、きっと報われない自分へ神様からのささやかなプレゼントだ。今までどおり目立たず、慎重に。傍らで片瀬を見守り続けよう……鳴り響く全校生徒の拍手の中、夏希はそう決心したのだった。
入学式が無事終わり、生徒たちはぞろぞろと各々の教室へと戻っていく。
夏希は友達の藤田晴彦と肩を並べて、三年二組の教室を目指した。
「しかし、三年連続で同じクラスになるとは奇跡ですねぇ」
もさもさな鳥の巣のような頭をした晴彦は、すきっ歯を覗かせてにっと笑った。晴彦と夏希は小学校からの長い付き合いで、お互いにある共通の趣味があることで仲良くなった。
「俺も晴彦と同じクラスでよかったよ、お前いないとぼっち確定だったかも……はは」
「そんな、夏希くんは優しいから僕がいなくても友達できますよ!」
友達になってからだいぶ経つのに、晴彦は未だに敬語で夏希に話しかけてくる。最初は夏希も気になっていたが、どうやら敬語は彼の癖らしいので最近は特に気にとめていない。
「それより、どうします?次の研究会の日程は……」
声をひそめて晴彦が尋ねる。
「教室ついちゃったから、とりあえずまたあとで話そう」
「了解です!」
ドア横に貼られている座席表を何気なくみて夏希はびくりとした。自分の座席は廊下側の前から五番目。その後ろの席に書かれた名前は……片瀬かすみだった。
「おい、後ろつかえてるぞー」
「あ、ご、ごめん……」
入口付近で呆然と立ちつくしているところに、他のクラスメイトに後ろから声をかけられ、夏希は逃げるように自分の席に着いた。
朝、初めてこの席に着いたときは気づかなかったが、夏希の後ろに座るのは片瀬だったのだ。片瀬と同じクラスになったというだけで舞い上がり、座席表をまじまじと見る余裕など夏希には無かったのだ。
(信じられない……こんな奇跡が起こるとは)
どきどきしながら待っていると、やや遅れて音楽部の部員らしき女の子たちが教室に入ってきた。その中に、片瀬かすみの姿があった。
夏希は改めて彼女の顔を見る。眉の少し上で切り揃えられた前髪。やや太めの利発そうな眉毛、光の入った輝く大きな瞳。すっと通った鼻筋、薄い桃色の唇。ゆるやかなウェーブのかかった、肩の下まで伸びる髪は周りの女の子に比べて少し明るい、栗色をしている。
完璧だ。こんなに美しい女の子を、夏希はいままで見たことがない。
片瀬が夏希のほうに向かって歩いてきた。思わず夏希は俯く。横を片瀬が通ったとき、ふわりといい匂いがした。
(ち、ちち、近い!!)
カタンと音がして、片瀬が席に着いた気配を感じた。教室の喧騒が遠く聞こえる。その時、ちょんちょんと夏希は肩を叩かれた、ような気がした。
(……?)
まさか、と思いながら振り向くと、後ろにいた片瀬が夏希の顔をじっと見ていた。
「!あ、あの……」
「岡田夏希くん」
「!!はっ、はいっ」
どうして彼女が自分の名前を知っているのだろうか。そんなことよりも、顔が近すぎる……。
慌てふためき顔を真っ赤にする夏希を見て、片瀬は少し眉をひそめて考える様子でいたが、やがて笑顔で言った。
「初めまして、よろしくね」
「あ、はい、どうぞよろしく……」
縮こまって汗をかきながらなんとか答える夏希。これが彼女との初めての会話、夏希はそう思い込んでいた。
初めまして、ねねこと申します。
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