第六話 『希望』という名の毒薬
「――マレビトよ。わしらはドラゴンと戦うべきだと思うか?」
いや、無理でしょ。
私は反射的にそう言おうとして、かろうじてその言葉を飲み込んだ。
私の周りで姫様に向かって片膝をついている兵士の一人が、ピクリと肩を揺らしたからだ。彼らは片膝をつきながらもこちらへ視線を向けていて、シンヤさんに至っては左の腰に携えた剣に手まで置いている。
下手なことを言ったら斬りかかられそう……。
「どうしたのじゃ? そう難しく考えんでもよいぞ?」
「いや……」
じゃあ、今すぐ私の周りからこの物騒な連中を退けてほしい。そしたら何も考えずに思ったことをそのまま言うのに。
「少し考える時間をください」
「ほぅ。わしらに何か知恵でも授けてくれるのかのぅ。お主らマレビトが生まれ育った日本には、この世界を遥かに凌駕する文明が発展していると聞く。ぜひ、わしらにドラゴンの倒し方でも教授願いたいものじゃ」
「いや、さすがにそれは……」
私はあくまで普通の高校二年生。当然、持っている知識は高校二年までに学校で習った範囲の、およそ一般常識とされている範囲の知識のみだ。
それこそミリタリーオタクで銃火器に詳しかったら何か力になれたかもしれないけど、趣味もこれといってなかった私にはとてもドラゴンを倒せるようなアイデアは思いつかない。
「申し訳ないけど、私は普通の女子高生だから。私にはドラゴンをどうこうできるようなアイデアを出せるほどの専門知識はないよ」
「それは残念じゃのう」
「ただ……」
「ただ、なんじゃ?」
お姫様の問いは、戦うべきだと思うかどうかという問いだった。
戦っても、きっとドラゴンには勝てない。アリアちゃんを自分たちの命を捨ててまで守るためにドラゴンと戦った彼らのように、為す術もなく一方的に殺されるのがオチだ。
なら、戦わないべきなんじゃないのか。
……私は、そうは思わない。
アリアちゃんのお屋敷に行くまでの道中ですれ違った、この国の人たちを思い出す。町には暗い雰囲気が溢れ、道行く人たちは生気を失ったかのような表情をしていた。
まるで、生きながらに死んでいるみたいに。
この国は、緩やかに滅亡に向かっている。ドラゴンと戦わずこのまま地下で隠れ住み続けていても、そう遠くない未来に死は訪れるだろう。
それなら、と私は思うのだ。
「私は、どうせ死ぬなら戦って死ぬ方を選ぶよ。何もできないまま死んでいくのは、もう二度と御免だから」
病院のベッドの上で指先一つ動かせず、ただただ死を待つことしかできなかった日々を思い出す。あんな思いをもう一度するくらいなら、ドラゴンに食いちぎられて死んだ方がずっとマシだ。
「お主は、ドラゴンに勝つつもりか?」
「そりゃ勝てるなら勝ちたいけど、勝ち負けは関係ないよ。これ、初めから尊厳とか、矜持とかの話だよね? 私は一人の人間として、どうせ死ぬならドラゴンと戦って死にたい。戦うべきかどうかじゃなくて、結局は一人一人がどう死にたいかじゃないかな」
「……なるほど、のぅ。お主の言い分は理解した。人間としての尊厳と矜持を胸に、一人一人がどうするかを選ぶべきだと、そういうことじゃな」
「うん、戦いたい人は戦えばいいし、戦いたくない人は戦わなくていいと思う」
「……やはり、マレビトは危険じゃな」
「え?」
お姫様が右手を挙げたと同時、私の周囲にいた五人が一斉に剣を抜いて私を取り囲んだ。
「……私、何か間違えたかな?」
シンヤさんは相変わらずこっちを睨みつけていて、レインさんは少し悲しそうな表情を浮かべている。お姫様はすっと目を細めて、首を横に振った。
「いいや、お主は何も間違ってはおらぬよ。お主の言う通りじゃ。自分の死に様は自分で決めるべきじゃし、この国はいずれそう遠くない未来に滅びるじゃろう。野垂れ死ぬか、ドラゴンの食べられて死ぬか、選ぶ権利は誰にでもある」
じゃが、とお姫様は続ける。王座から腰を上げ、こつこつと床の大理石を鳴らしながらこちらに歩いてくる。
「それはこの世界に何も持たない、マレビトだからこその考え方じゃ。わしには、この国を存続させ続けなければならぬ責務がある。何百年と受け継がれてきた文化や伝統を後世に残し、少しでも長くわしら人間が生き残れるよう努める義務があるのじゃ。死に方を選んでおる余裕はわしにはないし、国民はわしにとって掛け替えのない財産じゃ。むやみやたらに、死に様を選んでドラゴンに挑んで死なれては困るのじゃよ」
「……私がこの国の人たちを煽動するかもしれない?」
「わしらこの世界の人間は、お主らマレビトをこう言い表すことがあるのじゃ。……『希望』という名の毒薬、と。この世界より遥かに発展した世界からやってきて、わしらに夢を見させて破滅をもたらす存在。それが、お主らマレビトなのじゃ」
「希望って、別に私はそんな大したものじゃ……」
「お主は、人としての尊厳と矜持を説いた。人には死に様を選ぶ自由があると、のぅ。その考えはこの世界にはなかった考えじゃよ。民衆の前でわしに話したように言ってみるとよい。新たな宗教の誕生が見られるじゃろうよ。民衆は『希望』に飢えておるからの。死に様を自由に選んでいいと言われれば、民衆はそこに救いという『希望』を見いだすはずじゃ」
「そんな、大げさな……」
私はあくまで、私ならそうすると言っただけだ。ただそれだけの話が、どうして宗教なんて大きなものになってくるのか意味が分からなかった。
「それだけお主の世界が進んでいるということじゃ。お主の世界の常識が、この世界の常識とは限らぬ。お主にとっては当たり前の思想や論理も、この世界にはお主が現れるまで存在しておらなんだ思想や論理かもしれないのじゃ」
「……だから、私を殺して口封じするの?」
「殺しはせぬよ。初めに言ったじゃろう? アリアを救ってくれたこと、わしはお主に感謝していると。殺しはせぬ。じゃが、隔離はさせてもらう。悪く思わんでくれ、マレビトよ。わしはこの国と、この国に住む民を守りたいだけなのじゃ」
「…………」
剣を持った大人の男五人に囲まれていたら、もう抵抗する気すら湧いてこない。私は自分の手足に鎖付きの枷がはめられるのを、黙ってじっと見つめ続けた。