婚約破棄されたので、ゴルフ行ってうどん食べますね
「リリアローズ、君との婚約を破棄したいんだ」
週末の昼下がり。食事の席で婚約者が放った言葉が理解できず、リリアローズは瞳をぱちくりとさせた。
「え? 何、どゆこと?」
リリアローズと婚約者のエディの実家は、お互いに男爵家である。そのため、二人の関係は気やすいもので、食べる事が大好きなリリアローズに合わせて二人のデートは毎回飲食店であった。
「……他に、好きな人ができたんだ」
「……それで?」
それだけでは、理由にならないだろう。貴族の結婚は、家と家同士でするもの。リリアローズはポテトをつまみ、口に入れた。
「彼女も僕を好きだと言ってくれていて、しかも伯爵家の御令嬢なんだ」
リリアローズは天を仰いだ。それではまるで勝ち目がない。
女にとっても、男にとっても。とにかく貴族の中では、格と言うものは重要である。
それがエディの実家のような「爵位を金で買った」と揶揄される、いわゆる成金一代目であるならば、尚更である。
「そっか……そう言う事なら、仕方ないね……うん」
リリアローズはエディの前に置いてある皿から、彼が残したピザの耳を回収した。
それをもそもそと口に含む。
エディは食べる前にナイフで耳の部分を切除していたのだから、唾液がどうの、はまったく関係がない。
リリアローズは、食べ物を残すのが嫌である。それが彼女の常であった。
「……それだよ」
「え?」
「僕は君の、そう言うところが嫌いなんだ」
「私だって、あいつの好き嫌いの激しいところとか、すぐに体調壊すところとか、メニュー見て高いね、ってわざわざ口に出すところとか、気にしてたけど言わなかったのにっ!!」
リリアローズは、全身全霊の力を込めてゴルフクラブを振った。そのスイングはボールの芯を捉え、白球は小気味のいい音とともにため池へ吸い込まれていった。
ここは王都の郊外、「タケモトゴルフクラブ」である。
リリアローズは父の勧めで、運動不足とストレス解消のために、この練習場へやってきた。
最近貴族男性たちの間でとてつもなく大流行している「ゴルフ」と言うものにリリアローズはまったく無関心であったが、いざやってみるとスッキリするものである。
「本当は芝の上でやるものらしいけれど、池に向かって打つ、と言うのも背徳感があっていいわね」
この練習場には普通のコースもあるが、農業用のため池に隣接しているため、この「打ちっ放しエリア」では水に沈まず浮くボールを採用している。
夕暮れ時には下働きの子供たちが、小船に乗ってそれを回収するのだ。そのさまがなんとも風情があっていいのだと、リリアローズの父は言うのだった。
「ふう、いい汗かいた」
婚約破棄のストレスからか、ここ数日の彼女はひきこもりがち、ついでに食べ過ぎであった。
(ちょっとは痩せたかしら? 今日はご褒美に、たくさん食べていいわよね)
リリアローズは身支度を整え、クラブハウスの食事コーナーへ向かった。
そこはちょっとしたレストランがあり、屋台があり、持ち込み用のテーブルがあり、ピクニックエリアありの至れり尽くせりの場所である。
「さて」
リリアローズはぐるりと、どのような食べ物があるかを観察し、一軒の店に目をとめた。
うどんである。
彼女はうどんを食べた事がなかった。なにせ花も恥じらう乙女、末席とは言え貴族令嬢、すなわち淑女である。今までは家族か婚約者同伴でしか、外食をしたことがないくらいなのだ。
別に禁止されている訳ではないが、そこはそれ、婚約者に「はしたない」と思われるのは避けたかったのだ。
(ま、そんな気にする必要もなかったって事だけど)
リリアローズは、エディの発言を思い出す。ピザの耳とか、付け合わせのパセリとか、シュリンプの尾とか、食べられる部分ならなんでも食べる、自分の残したものまで食べようとする、その「食い意地」が嫌なのだと、またリリアローズはとにかく沢山食べるので、学園の食堂に一緒に行くのが恥ずかしいとまで言った。
その他にも、美味しくもない手作りのお菓子を持ってくる、この前海辺に遊びに行った時に延々とゲテモノを食べていた……等、そこまで不満をためるぐらいならその場で言ってくれ、と耳を塞ぎたくなるほどだった。
しかし、リリアローズを最高にイラつかせたのは、最後のエディの一言だった。
「別に、君のせいじゃない。食事のマナーが悪いって話ではないから。これは、胃腸がすごく弱くて、食が細くて、好き嫌いも多いぼくのせいだって事はわかってるんだ。お互いに、食に対する向き合い方が違うと、結婚しても不幸になるだけだと思うんだ」
エディの発言は、まともに見せかけて、悪者になりたくない感丸出しの言い訳そのものであった。
「私だって、他人だったらしなかったわよ」
リリアローズはひとり呟く。そして、意を決して「うどん」と書かれたカフェカーテンをめくった。
カウンターが一列あるだけの簡素な店内だ。
席と席の間隔は狭く、いかにも職人ですと言った風情の男性がカウンターの向こうに立っている。
「1人なんですけど。あと、私、左利きで」
リリアローズはおずおずと口にする。
店主は無言で、一番左はじのカウンターを指し示す。彼女は左利きなので、このように狭い場所では、手がぶつかってしまうのだ。
隣には、見知らぬ男性がいた。黒縁のメガネを外して、「きつねうどん」を食べている。
「私も、きつねうどんを」
なんとか注文し終わると、見知らぬ男性の隣に座っている自分が、あまりに遠いところにきてしまったような気持ちになり、リリアローズは落ち着かない気持ちになる。
(隣の人だって、私が貴族だなんて思わないでしょうから、別に気にすることもないわよね)
リリアローズは平静を装うために、もう一度メニュー表に手を伸ばした。「タケモトウドン」と書いてある。
「タケモトゴルフクラブ」の「タケモト」とは人名である。
数年前、この地に突然現れた、異邦人。別の世界からの来訪者。
それが「マコト・タケモト」であった。
彼は先ほどのため池のあたりに、ゴルフクラブと共に流れ着いているのを発見された。
「家族とゴルフに来ていて、池に落ちたと思ったらここにいた」
少年はそう語り、土地の持ち主であるリヴァー伯爵に引き取られた。変わり者の伯爵は「行方不明になった1人娘の面影がある」と呟いていたそうである。
伯爵はタケモト少年の話を根気強く聞きだし、そこから知り得た知識をこの国にもたらした。
それらがうどんや和食であり、ゴルフなのである。
伯爵はタケモト少年を、名前はそのままに養子に迎え、教育を与えた。彼は非常に賢い子供ではあったものの、こちらの世界の常識には疎かったため、1年遅れで貴族学院へ入学した。
彼とリリアローズは、一応同級生という事になっているが、面識はない。なんとなく遠くから見たことがある、ぐらいである。
「へい、きつねうどん。お待たせしました」
リリアローズの前にごとん、と巨大な器が置かれた。
スープ皿と呼ぶにはあまりに大きい「どんぶり」になみなみと注がれた琥珀色の液体の中に、太めの白く輝く麺、そしておあげ。
学院の食堂で食べた「おいなり」は美味しかった、とリリアローズは思い出す。どうして「きつね」なのか彼女にはわからないが、それは些事である。
(いただきます……!)
リリアローズは、ワクワクしながら麺を口に含んだ。
「あつっ!!!!!」
予想より汁が熱かったため、リリアローズは思わず大きな声をあげた。
「このれんげで冷ました方がいいですよ」
隣の男性が、白いスプーンのようなものを指し示す。
「あ、ありがとう……ございます」
リリアローズは赤面し、ここが誰も自分を知らない所でよかったとしみじみ思うのであった。
うどんを食べ終わったらしき男性は眼鏡をかけた。リリアローズはその顔、メガネ込みの横顔に見覚えがあった。
「……タケモト君?」
「え?」
隣に座っていたのは、マコト・タケモトその人であった。
「まさか、リリアローズさんとこんな所で会うなんて」
ここに来たのは初めてだよね。そう言って、タケモトは朗らかに笑った。
「え、あ、はあ」
ここに来たのは初めてどころか、会話をしたのすら今が初めてである。まさかこんなところで、同級生に会ってしまうとは。リリアローズは冷や汗をかいた。
「今日は、エディは来ていないの?」
「……」
リリアローズが返事をしなかったので、タケモトはじっと彼女を見つめた。
「婚約破棄したの」
どうせ、すぐに広まる話なのだ。リリアローズは再びやけになり、「おあげ」にかじりついた。
「……なんだ、それ。信じられない」
失礼な事だとはわかっているが、差し支えなければ……と理由を問われたリリアローズは洗いざらい事の顛末を語った。
家族ぐるみで海辺の街に出かけた時、タコやナマコなどのいわゆる「ゲテモノ」を食べたこと、緑色のつーんとする植物の根「ワサビ」にはまって無理やりエディにすすめた事、彼が「腐った豆」と呼んで毛嫌いしていた「納豆」と生魚の取り合わせがリリアローズは特別好きな事……。
タケモトは天井を見上げた。
「この国にも、ニホンの文化が受け入れられつつあると思っていたけれど、甘かったね」
「それを広めたのは、俺と祖父だ。せっかくリリアローズさんが気に入ってくれたのに、そんな事の引き金になってしまって申し訳ない……うん、ほんとに。嫌いな人がいるのはわかっているんだけど……悲しいね、それ……本当に、ごめん」
「ううん。タケモト君は、全然悪くないから。ばくだんマグロ丼、とてもおいしかったわ。また食べるつもりなの」
「そうか」
タケモトは、ふっと切なげに笑った。
メガネの印象しかなかったが、彼はこんな顔なのだと、リリアローズは初めて認識した。
「ところで、どうして私の事を知っているの?」
「いつも、食堂でニコニコしながら沢山食べていただろ。こっちの人は、大体いつも同じものばかり食べるから、新メニューを開発してもあまり反応がなくて」
でも君は、いつも最初に気がついて、食堂のおばちゃんに感想を言ってくれていた。
そんな事を言われ、顔が赤くなる。気にされているとは思わなかったのだ。
「は、恥ずかしい〜……」
食い意地が張っていたせいで、覚えられていたとは。リリアローズは、うどんをずるずるとすすり、汁まで飲み干した。
「……美味しかった」
「ここの店主の手打ちだからね」
褒められた店主がにっこりと笑ったのでリリアローズもまた、笑い返した。
午後、リリアローズはタケモトに誘われてもう一度ゴルフの練習をする事にした。左利きと右利き、つまりリリアローズは人とは反対の向きで練習するため、自然と向かい合わせになり、会話も弾む。
「君って、絶対才能あるよ」
「そ、そうかしら」
タケモトはとにかく、リリアローズを褒めちぎった。体幹がいいとか、パワーがあるとか、体力があるとか、ゴルフには精神力が重要なんだとか、いろいろである。
リリアローズは「あの見た目でリリアローズって」とたまに揶揄されてしまう容姿であった。背が高く、太っているわけではないが骨太で、確かに体力はある方だった。
「でも貴族令嬢としては、失格なのよね、私」
「絶対に、そんな事はない! いやむしろ貴族のシステム自体が俺には納得いかない!」
タケモトは、いかに女性が健康的な方が素晴らしいのかを、熱く語った。君はそのままでいい、むしろそのままでいてほしい。そう語る彼の顔は、真剣そのものである。
それを聞いているうちに、リリアローズの自尊心は完全に復活した。
日は暮れ始めている。ゴルフ練習場は営業を終了し、夕暮れを背に、ボールを回収する人々の様子を、二人はじっと見つめていた。
「タケモト君、今日はありがとう。来てよかった。また学校でね」
帰宅しようとするリリアローズの背に、タケモトは声をかけた。
「リリアローズ……さん。よかったら、夕食でも一緒にどう? もちろん、ご家族も一緒に。うなぎがあるんだ」
その言葉に、リリアローズは勢いよく振り返った。
「うなぎって、もしかしてゼリー寄せじゃなくて「うな重」のこと?」
「ああ。御馳走する。いくらでも。今夜はうなぎパーティーをしようじゃないか」
リリアローズの心は踊った。タケモトが開発した「蒲焼」によって、うなぎは爆発的に普及した。
最近は環境保護の名目で、出荷数が制限されているため、価格が高騰している。貴族とは言え、なかなか家族全員で気軽に食べられるものではない。
「本当っ!? 嬉しい。タケモトくんありがとうっ。一度、大盛りのうな重を食べてみたかったの」
「君に食べてほしい。やっと納得のいく味のタレを開発してもらえたんだ」
「素敵……」
日は沈み始めている。リリアローズとタケモト、お互いの頬が染まっていることを、二人は知らなかった。
「いやはや、同級生なのは知っていたがリヴァー伯爵のお孫さんにご招待いただけるとは」
リリアローズの両親は、汗を拭った。
一家は王都にある小洒落たレストランに移動していた。ここもまた、伯爵家が経営する店である。
全ての客席が個室になっていて、真面目な話をするにはうってつけと言う触れ込みだ。
「お待たせしました」
タケモトが入室してきたが、その背後には伯爵がいたために、リリアローズの両親は若干小刻みに震え始める。彼はこの国指折りの資産家である。
リリアローズの実家など、その気になればゴルフボールの様に、パコーン!とはじき飛ばされてしまうのである。
父と伯爵、そしてタケモトはうなぎそっちのけで何やら小難しい話を始めている。
リリアローズは難しい話には興味がないので、うなぎを食べる。ライスを埋め尽くすほどの大きさの蒲焼。それだけではない、ライスの中にも蒲焼が挟み込まれており、いわゆるサンドイッチ状態だ。
ついでにうどんも食べる。
この、ほんのちょっと冷たいうどんがついているのが、なんとも言えず素敵なのだわ。とリリアローズは微笑んだ。
「この子はよう食べるの」
突然、伯爵がそんなことを言い、場の空気は凍りついた。なにせ「令嬢のわりに食べ過ぎる」事で婚約破棄されたリリアローズである。
「す……すいません、私」
「良い。健康的なのは、いい事じゃ」
かつてのタケモト少年は、異世界に転移したショックでほとんど何も食べられず、なんとか話を聞いて再現できたのが、うどんであったのだと言う。
「今思い返せば、もっと他にあるだろって自分でも思うんだけどね」
タケモトは苦笑し、そのあと真面目な顔になった。
「まだ以前の婚約の後処理が終わっていない状態で、このようなことを申し上げるのは迷惑だとわかっているのですが……」
リリアローズの父は、潤んだ目でタケモトを見つめた。
「お嬢さんと、婚約させてください」
その言葉に驚いたのは、リリアローズだけであった。
両親はそれを期待していたらしく、椅子から飛び上がらんばかりに喜んだのだった。
「い……いいの? 私……ライスにシチューをかけて食べる派なの」
「俺もだよ」
「卵焼きに砂糖を入れる派なの……」
「俺もだよ」
「タケモト君……」
「マコト、と呼んでくれ」
タケモトはリリアローズの手を握った。彼女もまた、その手を握り返した。
食い意地が張りすぎて婚約破棄されたリリアローズが、学園一の資産家、「彼方からの貴公子」を射止めたと言うニュースは、数日も経たないうちに広まった。
やっかむものもいたが、同級生たちは「結婚相手には家格より相性の方が重要なのかもな」と口々に言い合った。
なにせ、マコト・タケモトは変わり者である。彼は学生の身であるが資産家で、実業家で、スポーツマンで、その上食べ物に異常なまでの執着があり、次から次へと新しいものを考案してくるのだ。
その苛烈さについて行くのは、ひ弱かつ保守的な令嬢ではとても無理である。その点リリアローズはとても健康で頑丈そうで、柔軟であった。
二人は学院内の食堂で、卒業パーティーの打ち合わせをしている。ビュッフェのメニューを決める作業があるのだ。大体の話がまとまり、リリアローズは伸びをする。
「今日の晩ご飯は何にしようかしらね?」
二人のデートはやはり、食べ歩きであった。
「リリアローズ、今日はとっておきの見せたいものがある」
「えっ、何かしら?」
「新しい店だよ。「回転寿司」って言うんだ」
「何それ? 寿司が……回転?」
リリアローズは首をひねった。背後で彼らの会話を耳に入れた生徒たちもまた、首をひねった。
マコトには、彼女が喜んでくれる確信があった。リリアローズは大体、なんでも喜ぶのである。
野外でカレー作りも、船の上で釣った魚を捌くのも、馬刺しも、南国のよくわからない味の果実も。
マコトが異文化を伝えようと思っても、保守的な貴族には敬遠されがちなものを全て、リリアローズは受け入れた。
一般的な日本人の感性を持って異世界へやってきたマコトにとって、彼女の物怖じしないその様子が、とても好ましいのであった。
「なんだかわからないけど、すごく楽しそうね、それ」
リリアローズはそう答え、ふと外を見た。ガラスの向こうに、元婚約者のエディと件の伯爵令嬢が見えた。
彼女は別に二人に不幸になって欲しいとは思っていない。こっそり聞いた話によると、令嬢の家は歴史はあるが、あまり経済状況が芳しくないのだと言う。
ムカつく事はムカついたが、なんだかんだ、エディには感謝しなければいけない。あんなことがなければ、マコトと会話をすることもなかったのだから。
リリアローズは自分を眺めていた婚約者に微笑み返し、席を立つ。
「夕食前にちょっと腹ごなしに100球ぐらい打っていかない?」
「ちょうど、俺もそう思っていた」
二人はどちらともなく手を繋ぎ、ゴルフ場へ向かって歩き出した。