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ブックマーク・評価ありがとうございます!

そして、ジャンル別日間ランキング2位(推理)をいただきました!初めての一桁に感動しています。読んでくださる皆様に感謝です!

 血管の観察は非常に難しかった。何しろ、腐敗という期限があるにもかかわらず、血管は量も複雑さも尋常ではない。個々の臓器であれば、今までのように切り取ってお酒につけておくことができたが、血管はそうもいかない。仕方がないので、私たちは臓器付近の特に太い血管のみを、手分けして写し取ることにした。臓器自体は今までの解剖で写し取った資料があるため、ある程度簡略化して描いてもそこまでの影響はない。


 それでも丸2日かかった。基本的には体内に内臓を置いたまま、見えにくい時には血管がちぎれてしまわないよう持ち上げながら写していく作業は、いつもの解剖の倍の慎重さが必要になったからだ。


 出来上がった図を一つにまとめるように並べることができたのは、翌々日の朝のことだった。



「こうして見ると、人体が一種の宇宙であることを改めて感じますね」


「ねーちゃ……ヘカテーが言っていた、川という表現も、絵におこしてみてみるとピンときます」


「ああ。まるで歯抜けになった地図のようだ。これを一つの絵にまとめ直す際には、空白の部分を無意識のうちに想像で埋めてしまわぬよう、気をつけねばならんな」



 精緻に描かれた絵の集合体を見て、持った感想は3人とも同じだった。そう、まるで地図のように思える。臓器という領地を血管という川が繋いでいるようだ。



「しかし、臓器付近の血管を写すだけでこれだけの労力がかかるとは。腹全体、更に手足や頭の構造を写すには、いったいどれだけ時間がかかることやら。ヤープとウリを仲間にしていて本当に良かった。人間の解剖が偶然できる(・・・・・)機会を待っていたのでは、書にまとめるより俺の寿命の方が先に終わってしまいそうだ」


「縁起でもないことをおっしゃらないでください……」



 ウリさんからの提供なしに遺体が手に入る機会、それはすなわち誰か……正確に言えば、ヨハン様か私が襲われ、それを返り討ちにした時だ。その前提があった上で『俺の寿命の方が先に終わる』などと言われては、聞くだけで恐ろしくなってしまう。



「悪かった。だが、今の恵まれた(・・・・)環境にあっても、その可能性は十分考慮しておかなくてはならん。今回は血管系の観察に入ってしまったが、臓器の観察はだいぶ進んだ。そろそろ冊子を出してみようかと思っている」


「分冊にするということですか」


「書ではなくあくまで冊子の話だから少し違うが、まぁそうだ。完全版を書としていきなり世に出そうとしても、それこそまとめる前に俺が殺されでもしたらすべてが無に帰す。だからこそ、最初は床屋にばら撒くごく薄い冊子で良い。小分けにして徐々に世に浸透させていきたいのさ」


「ということは、最終的には正式な書物になるのですね」


「そのつもりだ。床屋に知識がつくに越したことはないが、連中には自ら判断して治療する権限はないからな。医師を啓蒙できないことには医療を変えることなどできんよ」


「もしかして、完成形ももう思う描いていらっしゃるのですか」


「ああ。最終的には体の各部の構造と働きを中心にして、診断・薬学の巻を付したものにしようと思っている。書名は暫定だが『NOVUS ANATOMIA』だ」



 ふと見ると、ヤープが私たちの会話をきょとんとした顔で聞いていた。そういえば、この子はヨハン様の志こそ聞かされてはいるものの、根本的に学問や書物に触れる機会があるわけではない。



「ヤープ、えっとね。ヨハン様は医学の研究で得られた知識を本にまとめて世に出そうとしていらっしゃるのよ」


「うん、本自体は読んだことないけど、どういうものかはわかるよ。おれがよくわかんなかったのは、本の名前が外国語みたいだったからさ」


「ラテン語だ。単純だが『新しい解剖学』という意味だ」


「そうなんですね。わたしはこの土地で話される言葉以外の言葉を知らないのですが、床屋というのは、ラテン語というもので話すものなのですか?」


「何!?」



 ヤープの一言でヨハン様の顔色が変わった。



「……そうか。少なくとも冊子の方は普段使う言語で書かなければ意味がないな。まったく、ここのところヤープに気づかされてばかりだ」


「ラテン語で書くおつもりだったのですか?」


「その通りだ。通常、学術書とはラテン語で書くものだが、床屋はラテン語を解さない。それに、母国語でないものでは正確に伝わらない可能性がある……そんな単純なことを見落とすとは、俺も随分未熟なものだな」



 少しばつが悪そうな珍しい表情に、私たち二人はどうしてよいかわからなくなってしまった。



「ええっ、そんなことはないです……!」


「博識すぎるがゆえに庶民の感覚がわからなかっただけかと……!」



 慌てる私たちを見て、ヨハン様はふふ、と笑った。



「いや、庶民の感覚というのは重要なものだ。普段用いる言葉で書けば、床屋のみならず、民間に正しい知識を広めることができる。そうすれば間接的に医師を啓蒙する布石にもなろう。一般人が当たり前に知っていることを、医師が知らないとは言えまい。これは良い案だぞ」


「では、冊子の方はドイツ語で書かなくてはなりませんね。もしよろしければ、私もお手伝いいたします」


「そうだな、頼んだぞ」

引き続き更新頑張りますので、何卒よろしくお願いいたします!

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