隠密見習い
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それから数日後の夜。久しぶりにヤープがやってきた。
「あ、メイドのねーちゃんだ! すっげー久しぶりじゃん!」
「こら、ヨハン様の御前だろうが!」
夜になったら来るよう言われていた私がヨハン様の私室を訪れると、ヤープは私の姿を見て砕けた調子で声をかけて、さっそくラッテさんが拳骨を食らわせている。緊張感あふれる隠密の報告中にはそぐわない、のどかな光景に、思わず笑ってしまった。つられてヨハン様も苦笑している。
前にヤープにあったのは、ヨハン様に初めて会わせた時だった。あの時は冷や汗をかきながらたどたどしく応対していたのに、いつの間にかこんなに気を抜くほど馴染んでいたとは。
「久しぶり、ご報告が終わったらお話ししようね?」
小声で答えると、ヤープは殴られた頭を痛そうに抑えつつもにこにこと頷いた。
「そういえばヘカテーは前に塔を去ってからヤープに会っていなかったな。今日はラッテの報告ついでに解剖用の死体を届けてもらっただけだ。もうさほど話すこともないから気にせずとも良い」
「「ありがとうございます!」」
同時に返事をする私たちを見て、ヨハン様は少し相好を崩される。
「今後、解剖を行う際にはヤープも参加させようと思っている。お前を呼んだのは、引き合わせついでに、そのことを告げようと思ってな」
「ヤープをですか?」
ヤープは賤民だ。確かに年の割にしっかりしていて賢い少年だが、読み書きどころか言葉遣いも危うい。医学からは遠い存在に思えた。
「よく考えればこいつは皮剥ぎ人、目的は違えど刃物仕事に慣れている。作業の手伝いとしては適任だろうよ。ラッテ、解剖や医学については話しているか?」
「はい。概略しか話していないので、どこまで理解しているかはわかりませんが、ヨハン様のお志については伝えております」
「ならさっそく、明日はヤープを借りるぞ。ウリへの伝言を頼む」
「は」
「えっと、不慣れゆえ、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、頑張りさせていただきます!」
ラッテさんに仕込まれたのだろうか。まだおぼつかないところはあるものの、以前よりかなり敬語も上達しているようだ。知らぬ間にこの小さな友人が成長していたことをほほえましく思いつつも、私は少しオイレさんのことが気になった。
「確かに、皮剥ぎ人の技術は解剖に応用できそうですね。そして、解剖ということは、明日はオイレさんもいらっしゃるんですね?」
「いや、今回はあいつは呼ばない。塗り薬の時もそうだが、最近あいつに頼む仕事が少々多すぎた。自分の趣味の手伝いまで甘え続けるわけにもいかん」
「そういうことなら仕方ありませんが……」
その返答に、私はなぜか少し不安を感じた。
以前からヨハン様は、隠密の中でも特にオイレさんがお気に入りなのだろうそぶりを度々見せていたので、ご本人としては甘えすぎないように注意していらっしゃるのかもしれないが……先日のオイレさんとの会話で、彼の意図をまだ測りかねているせいだろうか。なんとなく、ヨハン様とオイレさんをあまり離しておきたくないような気がするのだ。
すると、私の悩む様子を察してか、ラッテさんが口を開いた。
「ヨハン様。失礼ながら、オイレは何かお気に障るようなことでもしでかしましたでしょうか?」
「いや、全くそんなことはないが、どうした?」
「オイレを引き入れたのは私です。あいつはヨハン様の医学に貢献したいという気持ちがことさらに強く、わざわざそれ故に隠密になったようなものです。別途ご命令された仕事と重ならない限りは、どんな事情があろうと喜んで参加するでしょう。次回以降は是非、オイレもできるだけ傍に置いてやってください」
「そうか……わかった、そうしよう」
「ありがとうございます。差し出がましい発言を失礼いたしました」
「構わん。気になったことがあればいつでも言え。今日はもう、下がってよいぞ」
「は」
特に引き留められもしなかったので、私も二人と一緒に部屋を出た。出るなりヤープは上機嫌で話しかけてくる。
「メイドの……じゃなくて、えっと、貴族のねーちゃん! 俺、隠密になったんだ!」
「何言ってんだ、お前はまだ見習いだよ!」
私が『貴族のねーちゃん』を訂正する前に、すかさずラッテさんの拳骨が飛ぶ。でも、常日頃殴られなれているヤープはさして意に介さない様子だ。
「確かに今は見習いだけどさぁ……まさかご領主様のご子息にお仕えするなんて夢にも思わなかったんだ! 父ちゃんと一緒に大出世だよ! だから、紹介してくれたねーちゃんには、ずっと会いたかったんだ!」
「そんな、紹介したのはラッテさんでしょう? 『頭巾のおっちゃん』に声かけられたって言ってたじゃない。私はヨハン様のもとに案内しただけだよ」
「それでも、ねーちゃんがいなきゃ今も死体を受け取るだけだったって、みんな言ってるもん」
「みんなが?」
「うん。ラッテさんも、他の隠密のみんなもそういってた。あと、父ちゃんも!」
「そ、そっかぁ……」
ヨハン様に言われて、半分騙すように塔の中へ案内しただけなので、あんまり感謝されると居心地が悪い。
「しっかしなぁ、隠密になるのを『出世』と考える奴がいるたぁ、夢にも思わなかったぜ。俺にとっちゃ、世間からはみ出した奴らの最後の砦ってとこだったんだがなぁ……」
ラッテさんも困惑気味にこぼす。隠密の方々の過去はあまり知らないが、基本的に表に出せないような仕事を請け負う方々だ。あの陽気で穏やかなオイレさんでさえ、躊躇なくカールさんを殺害し、ケーターさんを拷問にかけていたのを私は知っている。脛に傷を持つような方々が集まるのは必然だろう。
「そういえば、ヤープは親子で隠密になったのよね?」
「うん。俺は見習いだし、父ちゃんは隠密っていうよりただの協力者だけど」
「じゃあ二人とも、もう皮剥ぎ人や刑吏の仕事はやらないの?」
私がそういうと、ヤープは幼い顔に少し翳りのある微笑を浮かべた。
「いや、さすがにそっちの仕事は無くなんないよ。でも、生活に困らなくなったのと、未来のご領主様のお役に立ててるっていう、ホコリ?が持てたってこと」
ヤープの少し危なっかしい発言に、思わずラッテさんの様子をうかがったが、黙認しているようだった。
「ヘカテー、塔の中でくらい、夢を見させてやろうや。ヨハン様だって、家督は継がれなくても、どっかのご領主様にはなるんだろうしな」
「そ、そうですよね」
「俺は昔から学問の方はからっきしだからよ、明日の解剖には付き合わねぇが……ヤープのこと、頼むよ」
「ええ、もちろん。解剖は久しぶりなので、友人が傍にいるのは私も心強いです」




