仮面に隠した白肌
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塔で私に与えられた部屋は、以前メイドとして働いていた時に与えられていた部屋と同じだった。家具の配置も、机の上の本も、何も変わっていない。ただ、埃が溜っていないところを見ると、私がいない間も時々使われていたのかもしれない。
仮面を外すと、顔が少しすーすーとして涼しく感じる。なんとなく、天気の良い日に草原でやるように、両腕を伸ばして深呼吸をしてみた。別に空気が澄んでいるわけでもない小さな部屋の中、しかも今は囚われの身だというのにおかしな話だが、やはり私にとってここは自由の象徴になっているところがある。少なくとも今は、今後の人生をここで過ごすことに後悔はない。
「あれ?」
仮面をしまおうとチェストを開けて、何かが入っていることに気が付いた。蝋燭で照らしてよく見てみると、それは大量の羊皮紙の束と、インクと、一目で高価なものだとわかる綺麗なペンだった。
『Καιρὸς δέ(久しぶり)』
羊皮紙はすべて白紙で、一番上の紙の隅には、小さく、しかし整った美しい文字でそう書かれていた。この字は忘れようもない、ヨハン様のものだ。
復帰祝いの贈り物? あるいは、これでまたギリシア語の勉強に励めという意味だろうか。どちらにしても、無言で置いておくあたりがヨハン様らしい。
「ありがとうございます、嬉しいです」
私はひとり小声でお礼を言うと、蝋燭を消して寝ることにした。安心感と身体の疲れで、すぐに眠りへと落ちていく。
……気づいたときには、もう明るい時間になっていた。窓の戸を閉めていたせいか、思いのほか長く寝てしまったようだ。一瞬焦って起きようとするが、そろそろ当番がヨハン様のお食事を持ってくるころかもしれないので、静かにして外の様子をうかがうことにした。
すると、ふいに扉がノックされる。
「ヘカテー、俺だ」
「よ、ヨハン様!? ただいま参ります!!」
ヨハン様がいらしたということは、当番がやってくる時間帯ではないのだろう。私はあわてて着替えて髪を整え、仮面をかぶって扉に走り寄る。
「お待たせいたしました!」
「どうした、寝坊か?」
「うっ……はい……」
「そうか、眠れたならよかった」
ヨハン様の観察力はいつも素晴らしいが、こんなところに使われなくてもよいのにと思う。
「あ、あの! 紙とペンをありがとうございます!」
「ああ、好きに使え。それより、呼んだのは昨日の薬と、お前の食事の件だ」
ヨハン様は私のお礼にそっけなく返事をすると、隣室の扉を開けられた。
「薬は昨日見せたとおりだ。あれを毎日、時間があるときに傷や痣のあるところに塗ればいい。それから、当番に運ばせる食事の量を増やすとお前の存在がばれるからな。食事は隠密が週に1度、まとめてこの部屋に運んでくる。煮炊きがままならないから粗末なもので悪いが、好きな時に適量とって食べろ」
生きている以上食事は必要だが、ヨハン様のお食事は居館から持ってきているため、ここで頻繁に調理場を使うと不審に思われる可能性がある。今週の分はもう誰かが運び込んでくださっていたようで、たくさんのパンと野菜、シードルなどが置いてあった。
「かしこまりました、ありがとうございます。それでは、掃除などは朝のうちに済ませ、できるだけ部屋で静かに過ごすようにいたします」
「いや、そこまでしなくとも、そもそもこの塔にほとんど人は寄り付かん。当番が出入りする時間帯だけ気を付ければそう簡単にばれることはない。お前の事情については父上も承知の上だからな」
「さようでございましたか」
「お前には研究を手伝ってもらうといったが、机の上の仕事だけでなく解剖や薬づくりにも参加してもらう。部屋にこもりきりになることはあまりないぞ」
「それは幸いです、頑張りますね! ……あ、失礼いたしました」
思わず声を張って返事をしてしまい、口を覆った私を見て、ヨハン様はふっと相好を崩した。
「まぁ、そのくらいの声なら問題あるまい。六時課と終課の間以外はそこまで気にするな。それより、研究がそんなに楽しみならさっそく手伝ってもらおうか」
「もちろんでございます。何でもお申し付けください」
「お前の祖父の本に載っていた薬は、材料を探すのが難しいものばかりだった。ケーターとお前の症状に合うものは作れなかったから、昨日の薬は二つとも、薬草単体で載っていたものを俺たちで組み合わせて作ってみたものだ。だが、載っている調合通りに作れそうなものもいくつかある」
そういいながら、ヨハン様はテーブルに置いてあった箱から植物の根のようなものを2種類取り出された。
「例えばもっとも簡単なのはこれだ。ピオニーとリコリスの根で、痙攣を鎮める薬ができる。関節痛や筋肉痛、さらには腹痛にも効く」
「それは便利ですね。痛み全般に効くということでしょうか?」
「全般というよりは、引き攣る筋肉を緩めることによって間接的に効くということだ。いずれは量産して、戦場で戦う者たちに携帯させたいものだな」
続いて別の箱から根をもうひとつと、土の塊のようなもの、壁にかかっていた薬草を2つ外された。
「これはアンゼリカの根で、薬草はラヴィッジとサジタリア。こっちは松の根にできる瘤で相当な貴重品だ。あともう一つ、ビャクジュツというものがあれば完成する薬があるんだが、これはどうも国内で手に入りそうにない」
「そちらは何の薬なのですか?」
「貧血や冷えに効く、体力回復の薬だ。ただ、材料が全部そろわないと効果が出ないのか、試してみたい気持ちもある」
そこまで言うと、ヨハン様はニイッと笑って私を見た。
「あの本の一番面白いところは、薬草ごとの薬効や、薬の調合の方法ではない。『診断』という概念だ。要するに、患者の体力や体型、顔色などによって、使える薬と使えない薬がある。最初の痙攣の薬は、珍しくそれらの指定が特にないものだったんだが、こっちの薬は指定があってな」
「えっと……どういう者に使う薬なのでしょうか?」
「体力が少なく、華奢で、色白の者。特に女に適応するそうだぞ。今は仮面で見えないが、お前は雪のように美しい白肌の持ち主だったな?」
せっかくヨハン様に美しいと褒められているというのに、全く喜びは沸き起こってこなかった。




