忠実な犬
引き続きケーター視点です。
ヤタロウさんはしばらく困ったような笑顔で俺を見ていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「汝、須く弱き者を尊び、かの者たちの守護者たるべし、か」
「え?」
「困っているものには手を差し伸べろということだ。要するに今君は、辛い境遇にあるということだろう? 舎弟というのはよくわからんが、弟子として稽古をつけてやろう。帰る場所がないならうちに来るといい」
「本当に!?」
「ああ。ただ、傭兵と騎士では戦い方が違う。君が思うより稽古は辛いかもしれないが、構わないか?」
「頑張る!」
そうして、俺は戦いが終わると、ヤタロウさんの家に厄介になることとなった。昼は使用人の手伝いや自主練習をして、夕方になったら稽古をつけてもらう、その繰り返し。
ヤタロウさんの指導はいつも全身が悲鳴を上げるほど厳しい。傭兵の戦いには決まった型というのがなかったので、まず覚えるのが大変だった。騎士の剣術には屋根の構え、雄牛の構え、鍬の構え、愚者の構え……構えだけでも基本の4つの構えと、副次的な10の構えがある。そしてさらに攻撃も3つの基本攻撃のほかに、5つの達人攻撃を習得しなくてはならなかった。
もちろん、こういった型を覚えるだけでは足りない。地上であれ馬上であれ、これらの組み合わせを状況に合わせて瞬時に判断し、連続で滑らかに繰り出し続けなければいけない。毎日、今日こそはもう動かないと思う身体を引きずって、一人の時は泣きながら練習をした。動きは覚えたはずなのに、実践しようとするとできない自分の力不足を呪う日々が続いた。
だが、最初は様子見をしている感じだったヤタロウさんも、音を上げることなく必死でついていく俺を見て、本気だということをわかってくれたようだ。
ともすれば動きが雑になり、型が乱れる俺に、ヤタロウさんは語った。
「ヴェルナー、剣術とは作法だ」
「作法? 俺、堅苦しいことは何も知らないんだけど……」
「別に堅苦しいものではない。剣術とは作法、作法とは礼節、礼節とはすなわち心だ。誇りを持ち、相手を尊べ。そして会話する際は、後で恥じる必要のない言葉を選ぶんだ。戦場において、剣術こそ自らの何たるかを語る言葉となる」
「剣で語るの?」
「そうだ。今の君はただ覚えた動きを再現しているだけだが、一人での鍛錬でも常に相手の存在を思え。その相手と誠実に向き合えば、おのずと動きも滑らかになるはずだ」
騎士の行動のすべてには理由がある。神を愛し、国を愛し、寛大であり、誠実であれ。動物のように、なんとなく衝動で動くわけではないのだといって、具体的な礼儀作法や言葉遣いを教える前に、俺に騎士道を説いた。
おかげで俺は、ただ喋るのではなく会話をすることを覚えた。
するとどんどん強くなった。剣が強くなるほどに、心も強くなる。俺は、自分よりも弱いものとは戦わないことを覚えた。盗まずに食べ、誇りを持って戦う。生きていることに感謝し、その礎となった死者を悼む。
そのうちきちんと礼儀作法や言葉遣いも教わった俺は、周囲にも騎士の息子だと誤解されるようになった。ヤタロウさんの弟に間違えられた時には、内心飛び上がるほど喜んだものだ。
ある時、気になって聞いてみたことがある。騎士道では国を愛せというが、あなたは外国人ではないのかと。俺の素朴な疑問に、ヤタロウさんは笑って答えた。
ヤタロウさんの生まれはギリシアだそうだ。子供の頃は親に連れられて、只管旅をする人生だったらしい。父親は遍歴商人だったが、やがて帝国に辿り着いて商売をするうち、その博学さをティッセン宮中伯に気に入られて下級騎士に取り立てられたのだという。
「つまり、私の父は称号をもらっただけで、鍛錬を積んだ騎士ではなく、私自身も生まれた時から騎士だったわけではない。後れを取っているからこそ、私は誰よりも騎士でありたいと思っている」
「それで、故郷よりもこの国を愛することにしたんですか?」
「いいや。『汝、その生まれし国家を愛すべし』……これは別に故郷以外を愛するなと言っているわけではない。生まれた村や領地という狭い範囲ではなく、国という規模で愛せよということだ。私は自分が生を受けたギリシアを愛しているし、同じく自分を自分たらしめてくれたこの国を愛しているんだよ」
「私には、国といわれても、大きすぎてよくわかりません……」
「すぐにわかる必要はないさ。自分の守るべきものが何かを理解できれば、いずれ大きな視野を持つことができる」
「そうですか……」
そういわれてもまだピンとこなかった俺は、あることを思いついた。
「あの、もしよかったら、私にギリシア語を教えていただけませんか?」
「それはかまわないが……なぜだ?」
「私は根無し草ですが、あくまで帝国の中で生きてきました。ヤタロウさんの大きな視野と心は、故郷を二つもっているからこそ生まれたもののような気がするんです。だから、その国の言葉がわかったら、何かわかるかなと思って」
「普通は自分の所属するところから意識を広げていくものだと思うが……たしかに、いきなり国境を超えてみるのも面白いかもしれないな」
そうして俺はギリシア語を教わったが、やはり国という概念を理解することはできなかった。そもそも俺は今まで自分の生まれ故郷すらおぼろげで、国以前に自分の国という感覚がない。国を愛するための心をそもそも持っていなかったのだ。
俺が心から忠義を尽くそうと思えるのは、村でも国でもなく、ヤタロウさんだけだった。騎士道が心だというなら、この誰よりも『騎士であること』を体現している人についていくことが、俺にとっての騎士道だ。
もしかすると、ヤタロウさん自身、俺の忠誠が領主でも国でもなく、ヤタロウさんに向いているということに気づいていたのかもしれない。半年ほどすると、何の称号も持たない俺を、宮中伯のもとに出向く際、一緒に連れて行ってくれるようになった。
だが、もしヤタロウさんが俺の忠誠を宮中伯に向けさせるためにそうしていたのだとしたら、正直それは逆効果だった。宮中伯に対しては何を思うこともなかったが、俺は夫人のことはどうしても好きになれなかったのだ。
ほとんどしゃべることもなく、無表情で立っているだけの人形のような人。今まで見た誰よりも美しい人だったが、それがかえって人間味の無さに拍車をかけている。それでいて、たまに口を開くときはいつも誰かを叱責するか、無理難題を押し付けるときだ。常に虚無と怒りの間を行き来しているような不気味さがあったのである。
まだ続きます!次で最後です!
(本文に書いた剣術の型が文献に出てくるのは13世紀以降なのですが、架空史ということでご容赦ください)




