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追われる者たち

 一人の人間として必要とされている。その言葉に、思わずつう、と涙が流れた。仮面で隠せる程度の一筋の涙。咽ぶほどではない、ただじんわりと身体が暖かくなっていくのを感じる。たった半年間共に過ごしただけで、私という厄介な存在を受け入れてくれる人たちに、今私は囲まれているのだ。



「それから、お前は父親が嘘をついていたことを気にしているようだが、何も真実を告げることだけが誠実であるとは限らん。お前の父親がお前を愛しているということは明らかだ」


「それは……私も疑っているわけではございませんが……」


「嘘をつき通すということは驚くほど難しい。14年間、娘相手にそれをやり遂げたというのは、父親はさぞ優秀な男なのだろうな。そもそも、お前がここにやってきたこと自体が、彼によって仕組まれていたと俺は考えているぞ」


「父が、仕組んでいたのですか?」


「ああ。方伯であれば宮中伯と地位も同格、更に政治的立場を鑑みると城を捜索させろと要求することはとてもできない相手だからな。そして、ティッセン宮中伯の追手が付いたのはおそらく1年ほど前だ。お前がここに雇われた時期と合致する」


「父からは、ただの嫁入り修行だと聞いておりました……」


「知っている情報は少ない方が安全なこともあるのさ。おそらくはお前が兄上の愛人になることも見越していただろう。そうすれば、宮中伯も益々その娘を差し出せとは言えなくなる。そして、娘の安全を確保できれば、自分も身軽になって安心して逃げることができる……非常に賢い選択だ。イェーガーの家も、実にうまく利用されたものだな。お前の異質さ自体は最初から気になっていたが、俺もここまで出し抜かれたのは初めてだ。まったく、お前の父親はとんでもない奴だぞ」



 ヨハン様は悪態をつきつつも、どことなく嬉しそうな表情をしている。貶しているように感じないため、私も嫌ではない。



「さて、ここからなんだが、実は今回のことが分かったのはケーターの働きだ。といっても最初捜査を妨害していたのもこいつなんだが……ケーター、続きを頼む」


「承知いたしました」



 ケーターさんは改めて背筋を正し、少し私のほうに向きなおった。



「ヤタロウ……トリストラントと名乗っていたヘカテーの父親は、私の師です。優秀な下級騎士(ミニステリアーレ)であり、誰よりも騎士であろうとした人でした」



 ケーターさんは真剣なまなざしで語り始める。



「出会ったのは私が傭兵だったころです。ティッセン宮中伯に雇われ、共に戦地に出たのがきっかけです。私は戦地での彼のふるまいに心酔し、どうか弟子にしてくれと頼み込みました。その時彼と夫人がすでに恋仲であったかどうかはわかりかねます。記憶の限りでは、夫人は傲慢で苛烈な性格であり、よく騎士たちを振り回していました。ヤタロウさんが槍に女性ものの袖飾りをつけているのを目にしたことがあったので、恋人がいるのだろうとは思っていましたが、私が二人の関係を知ったのは夫人がヘカテーの命を宿してからでした」



 父のふるまいに心酔するのはわかる。身内ながら、父よりも丁寧で気配りのできる人を見たことがないし、どんなことにも真摯に取り組む人だからだ。


 しかし、宮中伯夫人……つまり私の母が傲慢で苛烈というのは意外だった。母の話はほとんど聞いたことはないが、父は「聡明で、高潔で、誰よりも美しい人」と言っていた。私が生まれると同時に亡くなったと聞かされていたからかもしれないが、どちらかというとか弱く淑やかな人だと思っていたのだ。



「ヤタロウさんは、それから少し時期をずらして宮中伯との契約を打ち切り、娘が生まれたら状況を見て共に逃げるといっていました。新天地としてイェーガー方伯領を選んだのは夫人の提案だそうです。私もすぐについていこうとしたのですが、それは断られてしまいました。それが14年前のこと。私がヤタロウさんを探しまわることで宮中伯に気取られてしまっては問題なので、各地を流浪しながらゆっくりと訪ね歩き、レーレハウゼンに着いたのは5年程前のことです」


「そんな……10年も父を探してくださっていたんですか!」



 ケーターさんが父を慕っていることは知っていたが、父に迷惑が掛からないよう最大限の注意をはらいつつ、人生の三分の一も探し続けるなんて尋常なことではない。


 驚愕の目を向ける私に、ケーターさんは口調を変えて、照れくさそうに答えた。



「別にそこまで本気で探していたわけじゃねぇよ。イェーガー方伯領は広いし、そこを探せと言われても情報が曖昧過ぎてほぼ無理だからな。ただ、傭兵はどこにだって行ける。俺はただ、自分の師が暮らす地で残りの人生を生きてみたいと思っただけだ。ヤタロウさんに会えたのは、ほとんど奇跡だったんだ」


「それでも……そこまで父のことを思ってくださって、ありがとうございます」



 礼をする私を無視してわざとらしく咳ばらいをすると、ケーターさんは話を続ける。



「私は隠密活動の中で、ティッセン宮中伯が婚外子の可能性に気づき、相手をヤタロウさんだとあたりをつけて追っ手を放ったという話を耳にしました。宮中伯の抱える隠密の優秀さは、雇われていた身として誰よりも知っています。いずれこの地にも手が伸びるだろうと思いました。そこで私はヤタロウさんを国外に逃がすことにしたのです」


「国外!? 父は今国外にいるのですか!?」


「そうだ。……そして、私は半年前の隠密活動中に、昔馴染みである宮中伯陣営と何度も接触し、ヤタロウさんが南方に行ったという噂を流しました。また、あのヤタロウさんが逃げる先として、理由なくイェーガー方伯領を選ぶわけがない。つまり、方伯は彼らの存在に気づけば味方になってくれるのだと思いました。だから私はヘカテーの部屋へと紙を投げ込み、ヨハン様がヘカテーの正体を探るように仕向けたのです」


「ケーターさん、なぜ素直にそのことをヨハン様に報告しなかったのですか。拷問まで受けて、ケーターさんが死んでしまうところだったじゃないですか……」



 詰め寄る私に、ケーターさんは見たことがないほど優しい笑顔を向けた。まるで自分の娘を慈しむような笑顔を。



「俺は宮中伯陣営に接触する際、またそちらに戻りたいということも合わせて告げていたんだ。だから、イェーガーに大きな被害がない程度の情報も一緒に流していた。結果的に俺が処罰されれば、ヤタロウさんの行方の話も信憑性が増すだろう?」



 ああ、なんということだろう。こんなにも真摯な人を、私は知らない。塔で出会うまで顔すら知らなかったこの人に、私たち親子は命懸けで守られていたのだ。



「私は説明が不得手です。あの人について語るなら少し思い出話をさせてください」



 ケーターさんは、徐に口を開いた。

> イェーガー方伯領は広いし、そこを探せと言われても情報が曖昧過ぎてほぼ無理

イェーガー方伯領は『領邦』(ほぼ国)なので、「イギリスのどこかにいる人を探してください。尚、イギリスに知人はいないしインターネットも使えません」くらいの無理ゲーです。

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