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存在しない者

「さて、上へ戻ろう。お前について、皆を交えて話したいことがある」


「かしこまりました」



 そう、私は今北の塔に来てはいるものの、表向きは南の塔で死んだことになっているはずだ。以前のようにメイドとしてここで働くとしても、行動範囲やお仕事内容などはがらりと変わってくる。


 ヨハン様の私室に戻ると、シュピネさんとケーターさんだけでなく、いつの間にかオイレさんとラッテさんまで勢揃いしていた。階段を上る足音で気づいたのか、皆すでに一列に並んで跪いている。私もそれに加わろうとしたが、ヨハン様に片手を上げて制された。



「今日、こうしてヘカテーが戻ってきた。皆の働きに感謝する。本人への報告もかねて、現状の確認と、ヘカテーが一体何者か(・・・・・・・・・・)について話そう」



 その言葉に私は息を呑む。私は何者か。それは、お城でメイドになるまでは気づかないようにふたをし続けていた疑問。そして、ヨハン様のお側でお仕えするうちに、解こうとしても深まるばかりだった謎だ。父の行方も未だわからず、あの紙が何だったのかさえ分からないままだった。



「まずは前者から話そう。ヴィオラというメイドについては、クラウスには教会への引き渡しが先になったと告げ、誘拐を未然に防いだ。実際に裁判の手続きをすると大事になるので、手続きはしていない。ヴォルフには数日前、南の塔で女の死体を発見させている」


「大変なお手数をおかけいたしました。救出してくださり、ありがとうございました」



 私は改めてヨハン様に最敬礼をした。ここまでのお話は、シュピネさんに聞いた通りだ。



「ヘカテー、何か質問はあるか?」


「クラウス様とヴォルフ様に渡された情報の食い違いに、お二人が気付いてしまうことはないでしょうか?」


「問題ない。クラウスはそもそも裁判の件は管轄外だ。下手に情報を確認しようとすれば、何か関係しているのかと疑問を持たれることになる。奴はそんなヘマはしない」


「ということは、クラウス様には、ご領主様からお話をされたのではないのですか?」


「ああ。俺の配下はこの塔に出入りする隠密だけではないのさ。クラウスは侍従の噂話をまた聞き(・・・・)したに過ぎん。実際に塔に確認に行くぐらいはしただろうが、もちろん誰もいないからな。話を信じてがっくりしたことだろうよ」


「そうだったのですね。ヴォルフ様の方は、教会からのお迎えご一行や、私の死体はどうしたのでしょうか……」


「それも同じことだ。ヤープを引き入れたことで、父親のウリも仲間に加わっている。同じくらいの背格好の女の死体を融通してくれた。修道士の役はオイレの知り合いの役者だが、『修道士のふりをして塔まで行き、帰れ』と命じたのみで、何の情報も渡してはいない」


「沢山の方が、動いてくださっていたのですね」


「お前をクラウスの手に渡すわけにはいかなかったからな」



 ヨハン様は一旦目を伏せて溜息をつく。



「その理由はお前の正体にある。わかった時は正直、よく本人にもわからせぬまま隠し通したものだと呆れた」


「私の正体、でございますか」



 いよいよ人生最大の疑問の答えが近づいてきた。急に部屋中に緊張が走るのを肌で感じ、私は思わず顔を伏せる。


 正直に言えば、聞くのが怖い。崩壊していく自己同一性(アイデンティティ)と、こんな唐突に正面から向き合うだけの勇気を私は持っていない。


 だが、私が何者なのかが分かったということは、ヨハン様やオイレさんが、私が塔を去った後も父について調べ続けてくださっていたということの証明でもある。ここで私が物怖じして目を背けるわけにはいかない。


 そして何より、怖かろうが重かろうが、私は知りたいと思った。何故私の容貌は他の皆と違うのか。父は何故ギリシア語ができて、祖父は何故ドイツ語ができなかったのか。最愛の父はどうして、自分の過去や私の出自を教えてくれず、知らない間に失踪してしまったのか。


 意を決して、ヨハン様の目を見つめた。



「お聞かせいただけますでしょうか」



 ヨハン様は私の覚悟ができたのを見届けて軽くうなずくと、その先の言葉を継がれた。



「ヘカテー、お前は商人の子ではない。ティッセン宮中伯夫人の婚外子だ。父親は宮中伯に仕えていたヤタロウという下級騎士(ミニステリアーレ)、トリストラントというのも本名ではなかったようだな」


「父が……下級騎士(ミニステリアーレ)……しかも私にまで偽名を……」



 覚悟していてなお、想定を超える衝撃だった。


 私に優しく微笑みかける父の顔が脳裏に浮かぶ。14年間、いつでも私を優先し、私を支え、慈しんでくれた。疲れた日や大変な日もなかったわけはないのに、私にそんなそぶりを見せたことは一度もない。誰よりも頼れる人。私のたった一人の家族。


 でもそれは、嘘で塗り固められたものだったというのか。名前も、身分も、死んだと言っていた母親のことも、全部全部嘘だったというのか。


 私は主の御前であることも忘れて膝から崩れ落ち、床にへたり込む。自分が半分上流貴族の血を引いていたことなどどうでもいい。表向き死んだ私と、虚像にすぎなかった父……私は、私たちは、存在しない人間だったのだという事実が、何よりも心を抉った。

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