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女はみな仮面を被る

 しばらくすると、誰かの話し声で目が覚めた。

 ぼんやりとした頭で考える。私は南の塔で一晩過ごしたのち、シュピネさんに助けられて、今は彼女の働く娼館に匿われているはずだ。この部屋にお客は来ないといっていたけれど、会話が聞こえるということは誰か来ているのだろうか。


 うつらうつらとしながら上体を起こすと、会話の主が私に気づいた。



「あら、起こしちゃったかしら。ごめんなさい、ちゃんと眠れた?」


「おはよぉ」



 目を開けると、シュピネさんとオイレさんだった。そうか、シュピネさんが言っていた、ここに通い詰めている赤毛のアホ(・・・・・)とはオイレさんのことか。怪しまれないよう、お客としてこの部屋を抑えておいてくれたのだ。前回お会いしたときは太った魔術師の姿だったので、素顔のオイレさんはとても久しぶりに見る。



「おはようございます。すみません、すっかり眠ってしまって」


「眠れたなら良かった。今、ちょうどあなたの復帰についてこれ(・・)と話していたところなの」



 シュピネさんは美貌に似合わぬ乱暴なしぐさで、オイレさんを親指で指差した。酷い言い方だが、笑顔を崩さないところを見ると、むしろ雑な扱いができるほど仲が良いのかもしれない。



「こ、これ……えっと、オイレさんはいつ頃からいらしてたんですか?」


「ついさっきだよぉ。お店が開く時間までは来られないからねぇ」



 窓の外を見ると、空はほんのりと朱くなり始めていた。お昼寝どころではなくしっかりと眠ってしまっていたようだ。


 そして、先に言わなければいけなかったことを思い出す。



「オイレさん、この度はご迷惑をおかけしました。身勝手な行動にもかかわらず、手紙を受け取ってくださって、本当にありがとうございました」



 オイレさんが私の手紙に気づいて受け取ってくれなければ、私はクラウス様に無駄に疑われるだけ疑われて、ヨハン様にメッセージを届けることもできず、今頃まだ南の塔で絶望の時を過ごしていただろう。裁判に持ち込まれるにしろ、その前にクラウス様に誘拐されるにしろ、待っていた未来が恐ろしいものであることに変わりはない。


 改めて最敬礼をする私を、オイレさんは笑って許してくれた。



「堅苦しいのはやめてよぉ。君がベルンハルト様と一緒に僕の芸を見に来るなんてよっぽどのことだもの、そこでちゃんと動けなかったら隠密失格だからねぇ。でもホント、助かってよかったよかった!」


「ありがとうございます。私が今こうして無事でいられるのは、オイレさんとシュピネさんのおかげです」


「いやいや。っていうかとても無事(・・)には見えないよ? 相談先に僕を選んでくれたのは賢明だったけど、隠密の真似事はたいがいにしなねぇ」



 そして、オイレさんは私の袖からのぞく手首を見て、少し悲しげな顔をする。痣になった手首は、まだ血が滲んだままだ。



「君の行動力を甘く見てたよ。こんなことになるんなら、そもそもヨハン様から引き剥がすべきじゃなかった。僕こそごめんね」


「そんなこと言わないでください。こんな迂闊で無鉄砲な娘が主人のそばにいたら、離そうとするのは当然のことです」



 オイレさんと私は互いに謝りあって、少し気まずい沈黙が流れた。



「はいはい、二人ともしみったれた話は終わり! とりあえず、さっき話したことだけど、ヘカテーちゃんのことは1週間程度ここで匿うことにするわ。その後様子を見て、北の塔に戻りましょ。戻ることについてのご報告は先にオイレ(これ)が済ませておく。これで大丈夫?」


「はい、承知いたしました!」


「はぁい、任せといてぇ」



 あと一週間で、また塔での生活が始まる。またヨハン様のお世話をして、ギリシア語を学んだり、解剖のお手伝いをしたりできるのだ。そう思うと少しずつ元気がわいてきた。


 半面、ちょっとした不安もあった。私は傷だらけになった自分の手をじっと見つめたのち、掌で顔に触れて感触を確かめてみる。



「ヘカテーちゃん、どうかした?」


「いえ……1週間で傷は治るのかなと思いまして……」



 正直に言うと、この墓場から出てきた化け物のような状態で、ヨハン様にお会いしたくないという気持ちがある。人間のはらわたを平気で覗けるヨハン様のことだから、きっと気にはされないとは思いつつ、醜い姿を晒すのは嫌だった。



「ああ、そういうことね……ヘカテーちゃん、お化粧でもしてみよっか」


「えぇ? シュピネ、この子に客でも取らせる気?」


「ボンクラは黙ってて。この子の気持ちには最初に気付いた癖に、何でこういうとこわかんないのよ。ねぇヘカテーちゃん?」


「あ……いえ、そんな……」



 口ごもり赤面する私を見て、オイレさんはようやく合点がいったようだった。



「ああ……なるほどぉ」



 シュピネさんはチェストの上に置いてあった大きな箱を持ってきて、私を椅子に座らせた。箱の中には見たことのない細々とした綺麗なものがたくさん入っている。


 彼女はまず、一番大きな容器から白っぽい粉をいくらか取り出すと、お皿にのせる。次いでその中に薔薇水が加えられた。丁寧な手つきでそれを練ると、肌よりも少し明るい色の、柔らかい粘土のようなものが出来上がる。



「うふふ、気になる?」


「はい、とても。お化粧品を見るのは初めてで……」


「そうよね。本来はこんなものいらないくらい白くてきれいな肌だもの。これはユリの根を粉に挽いたものよ。小麦粉を使う人もいるけど、あたしはこれが好きなの」



 しかし、布に含ませたそれが私の頬に押し当てられると、状況は一変した。



「い、痛たたたっ!!」


「あらら、だめそうね。ごめんなさい、顔を洗ってきて!」



 慌てて渡された布を受取り、浴場に顔を洗いに行く。よく考えれば、お湯が沁みるような状態だったのだ。水で練ったものが痛くないはずがなかった。



「すみません、せっかくやっていただいたのに……」


「いいえ、いいのよ。しかし困ったわね。お化粧で隠せればと思ったんだけど……」


「あー、君たち、もしよかったらこれ使う?」



 シュピネさんと一緒にあたふたとしていると、オイレさんが声を掛けてきた。見ると、派手に飾られた仮面を手にしている。



「ヨハン様の前に出るときは、治るまでこれつけてたらいいよぉ」



 戸惑う私を見て、シュピネさんが代わりに受け取った。



「そうね、いいんじゃない? 女はみんな、いくつもの顔をもっているもの。物理的に違う顔(・・・・・・・)っていうのも面白いと思うわ」



 シュピネさんは仮面を私の顔にあてがい、にひひ、とまた変な笑い声を立てる。



「ヨハン様はこれが外されるまでもどかしいでしょうね。謎が多いっていうのも、女の魅力の一つよ、かわいい小悪魔ちゃん」

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