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暗闇の接吻

 どれくらい時間がたっただろうか。


 固い縄で痺れているというのに、痛覚が鈍化しているわけではないらしい。時折何かに噛まれたり刺されたりするたび、朦朧とした意識を痛みが引き戻す。


 発熱でもしているのか、熱さと寒さを交互に感じる。頭がくらくらとして倒れそうになるが、地面に横たわると余計虫にたかられそうな気がして、私は地面や壁との接触をできるだけ避けるため、膝を屈めて縮こまるようにして座り、ただ只管時が過ぎるのを待っていた。吐き気もあるが、吐けばまた臭いで何かを呼び寄せてしまうだろう。お腹の中が空っぽであることが、今は逆に幸いであった。


 ここから出してもらえたとして、裁判で無実を証明することなどできるのだろうか。


 大広間で感じたのは、今回私を有罪に陥れたのはクラウス様だけではなさそうだということだった。ご領主様の理知的なお話の仕方と、むりやり結論に結びつけるような内容とのそぐわなさは、ベルンハルト様のお部屋でのクラウス様とのやりとりとよく似ていた。お二人が何かの目的で私を有罪にしようと共謀されているのなら、裁判に出たところで、私の生き残る道などない。


 そんなことを考えながら、口に巻かれた縄を少し強く噛んでみた。縄は太いが、唾液をすって少し柔らかくなっている気がする。


 どうせ生き残ることができないなら、苦しむ時間は短い方がよい。それに、裁判を経て縛り首になるより、ここで死ねば、遺された身体をヨハン様が解剖に役立ててくださるかもしれない。無実の罪に恥を晒して命を無駄にするより、その方がずっといい。


 ぎりぎり、ぎりぎりと、精一杯の力で縄を噛み解す。どのくらい時間がかかるかわからないが、これが外れたら舌を噛み切って……



 ……ふいに天井の戸が開き、淡い光が差し込んできた。



 ゆっくり顔を上げると、ぼんやりと人の姿が浮かび上がってくる。(ウィンプル)で覆われていて、顔はよくわからない。



「お待たせしちゃってごめんね」



 聞こえてきたのは女性の声だった。彼女は梯子を下して私の元へと降りてくる。私は呆然としながらその様子を眺めていた。



「すぐにでも助けたかったんだけど、このぐらいの時間が一番見つからないのよ」



 助ける? 私を?



「今縄を切るからね。騒いじゃだめよ」



 小さなナイフでゆっくりと足の縄が切られ、助け起こされる。彼女に寄り掛かるようにして何とか立つと、今度は手首と腕の縄が外された。蝋燭を上に置いてきているため、彼女の姿はまだわからない。



「大丈夫? 登れそう?」



 自由になった両手と、目の前に掛けられた梯子を見て、私はようやく自分がここを出られるのだという自覚を得た。



「あ、こら、そんなに急いだら危ないったら」



 もたつく手足を必死に動かして梯子に飛びつくと、彼女は落ちないように下から支えてくれた。無我夢中で梯子を上がりながら、じぶんにこんな体力が残されていたことに驚いた。


 上がり切ると、そのまま前のめりに倒れこむ。掌に伝わる冷たい床の感覚……ああ、本当に助かったのか。私は助け出されたのだ。


 振り向くと、その人は(ウィンプル)を取って私に笑いかけ、静かに、と人差し指を口元に立ててから再びナイフを取り出した。


 濡れているかのように輝く長い金髪、美しすぎる卵型の顔。



「ああ! シュピネさ……んむぅっ!?」



 縄を切られるなり声を上げそうになったが、瞬時に抱きすくめられ、なにか柔らかいもので口を塞がれる。



「騒いじゃだめって言ったでしょ、ここは結構声が響くの。でも、本当によく頑張ったね」



 いい子いい子、と優しく笑いかける彼女の顔のあまりの近さに、口づけをされたのだと気づいたのは数秒遅れてからだった。



「とりあえず、早くここを出るわよ。おんぶした方がいい?」


「いえ、大丈夫です……助けてくださってありがとうございました」


「まだお礼を言うには早いって」



 塔を出て地上に降りると、シュピネさんは蝋燭を消し、私に(ウィンプル)をかぶせて、塔のすぐそばに座らせた。



「いきなりだけど、私が戻るまでここで待っててね」


「どうかしたんですか?」


「まだどうもしてないわ。これからちょっと、悪いことしてくるの」



 シュピネさんは、にひひ、と変な笑い方をすると、縄梯子を取り出し、城壁かけてするすると降りて行った。



「え……?」



 城壁はかなりの高さがある。まだ日も登らない時間に月明りだけで縄梯子を降りていくなんてただ事ではない。私なら最初の一歩で足がすくんでしまうだろう。


 また一人になってみると、なんだか妖精の悪戯に遇ったような気分だった。あの恐ろしい空間に、私はどのくらいいたのだろうか。大広間でご領主様とお話したことも、クラウス様の数々の恐ろしい所業も、酷い悪夢を見ていたようで、いざこうして解放されてみるとまるで現実感がない。シュピネさんの度を越えた美しさや、唇にほんのり残る柔らかな感触の余韻も、それに拍車をかけている。


 しかし、彼女は意外なほど早く戻ってきた。先ほどの縄梯子ではなく、城門から。



「お待たせ! 無事準備できたわ。さ、行くわよん!」



 随分と嬉しそうに近づいて来るシュピネさんの姿は、華奢でいかにもか弱そうだが、今の私にはどんな大男よりも頼もしく見えていた。

あら^~


というわけで、やっと受難の時を終えました。

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