かくも塔の地階は
暴力的な表現があります。苦手な方はご注意ください。
大広間を出ると、私は引っ立てられるようにして、速やかに南の塔へと移動させられた。騎士の方々も、先導するクラウス様も、誰一人何も言わない。
本当に考えが甘かった。クラウス様のことを警戒はしていたが、その牙が直接自分に向くとは思っていなかったのだ。
何が「傷つけないように配慮されている」だろう。あの時はご領主様にお伺いを立てるまで処遇を決められなかっただけのこと。ひとたびご領主様が塔の地階に放り込めとおっしゃれば、それを避けることなどできないのに。
何より、クラウス様は隙を見せないお方、後からほころびが出やすいあからさまな嘘などつかないと思っていた。だからこそ、全力で守るという言葉も信じてしまっていた。
よく考えてみれば、クラウス様が嘘をつかないのは後で余計な問題を起こさないためでしかない。周囲の人が、長年勤めた執事と1年満たないメイドのどちらの言葉を信じるかなど明白。私と二人きりでした会話など、いくらでも嘘はつけるし、あとから撤回も可能なのだ。
ヨハン様のお付きだったころは、厳密にはクラウス様と二人きりでお話したことはなかった。きっとヨハン様へ報告が上がることを前提にお話をされていたはずだからだ。しかし、居館にきてからの私はクラウス様との会話を誰かに報告することなどない。オイレさんへの手紙にこそ書いていたが、仮に裁判に持ってきて貰ったとしても私の自筆なので証拠として扱ってもらえることはないだろう。
南の塔へ着くと、後ろ手にゆるく縛られていただけの拘束は、より厳しいものとなった。
「裁判前に自死を選ばないとも限りません。舌を噛まないよう、口にも縄を」
クラウス様の指示で、騎士たちが淡々と私を縛り上げ、喋ることもままならなくなった。両腕を固く拘束され、足首にも縄がかけられる。痛みこそないが、この固さではもうすぐ全身が痺れてしまうだろう。
いつの間にか涙が溢れていた。噛まされた縄で嗚咽は封じられ、噛み締め過ぎて破れた唇に零れ落ちた涙が沁みる。怒りと悲しみと悔しさがごちゃごちゃになって、自分で自分が何を感じているのかもわからない。気づけば目の前のクラウス様を睨みつけていた。
「そんな怖い顔をしたところで、今のあなたにできることなど何もありませんよ。私も心苦しいですが、ご領主様がおっしゃった以上、こうせざるを得ないのです」
クラウス様は優雅に、そしてさも心配そうに眉根を寄せる。
「大丈夫、裁判までの辛抱です。私はあなたが無罪だと信じていますからね」
無力とわかっていても、私は泣きながら睨むことをやめられなかった。無実だと信じている? そんなの当たり前だ、あなたがでっち上げたのだから。全て仕組んでおいて、こじつけで私を陥れて、何でそんなことが言えるのだろう。どうしてそんな顔をしていられるのだろう。
喋れない分必死に睨む私に一切ひるむことなく、クラウス様はふわりと騎士たちに向き直る。
「では、その娘を地階へ」
その言葉を聞くや否や、誰かがどん、と私の背を押した。私は縄でつられた状態で床の小さな穴に落ちる。するすると縄が下ろされるにしたがって、視界から光が消えていく……中ほどまで進んだと思ったとき、唐突に手が離され、つま先から床に叩きつけられた。ぐき、と足首が捻じれ、両膝を打ち、寝転がるようにして床に倒れる。あまりの痛みに気が遠のいた。
「必ずまた迎えに来ます。それまでどうか、強い意志で耐えてください。あなたならできるでしょう?」
ぼんやりとしたまま声のする方を見上げると、クラウス様が覗き込んでいた。私にしか見えない角度で、歯まで見せて嬉しそうに微笑んで。
「ーーーーーっ!!」
抗議の声を上げようとするが、縄にさえぎられて言葉にならない。そんな私をほんの数秒、満足げに眺めてから、クラウス様は天井の戸を閉めた。
……そして、月明りも、蝋燭の明かりも差さない、本物の闇が訪れる。
ああ、塔の地階とはこんなにも恐ろしい場所だったのか。
耳元を何度も往復する不快な羽音。
擦り傷に滲む血の臭いに誘われて、何かが這い上がってくる、チキチキと抓るような感覚。
苔と黴の臭いを含んだ埃っぽい冷えた空気。
視界を奪われた今、聴覚が、触覚が、嗅覚が、この場所の異常さを強く訴えかけてくる。
痛みが、恐怖が、絶望が、私の頭の中を真っ黒に塗り潰す。
ここには狼や熊のような大きな獣こそいないだろう。しかし今、私は完全なる被食者だった。蛇や毒虫、その他姿のわからない暗闇に潜む全てが、私の血肉を狙っている気配を感じる。いつもなら気にもかけないような小さな虫も、今の私の縛られた腕では払いのけることすらできない。
ふと、北の塔の地階に閉じ込められていたケーターさんのことを思った。あの人は縛られるだけでなく爪まで剥がされて、縄を切られてからも毎晩、こんな場所で一人耐え続けていたのだ。もう解放してもらえただろうか。それともまだ孤独に戦っているのだろうか。どうか今は解放されて、傷も癒えていてほしい。
先ほどのご領主様のお話では、裁判の準備に数日かかるという。数日はおろか一晩であっても、ここで正気を保ち続けることなど、私には到底できそうになかった。
今週は陰鬱な話ばかりとなってしまいました…もちろんこのままでは終わりませんので!




