撒かれた種
ブックマークありがとうございます!更新途絶えそうになる度に、増えたブックマークや評価で励まされて続けられています(笑)
それからしばらく私は平穏な日々を過ごしていた。日中はメイドとして働き、早めの夕食をとって夜はベルンハルト様とお話をする。仕事は代わり映えしないし、ベルンハルト様が涙を見せるということもなかった。
……だからこそ、慢心していたのかもしれない。
その日、手が足りないという他のメイドたちの手伝いを終え、自分の部屋に戻ってくると、妙な違和感があった。当然城の居館、ご領主様方のお部屋ならまだしも応接室だった場所に泥棒など入るわけはなく、見回してみても特に目立った変化は見つからないが、いつもの私の部屋と何かが違うと直感が告げていた。
こういった違和感は無視しないほうが良いと思い、部屋の中を調べてみることにした。
調べるといっても、探るべき場所はさほどない。机の上や窓際には物を置いていないので、せいぜいチェストの中を見る程度だ。
チェストの中を調べてみたものの、これと言って気になる点はない。入れている私物が少ないため、誰かが荒らしたとしても元に戻すのは簡単かもしれないが、何か持ち物が減っているということもなかった。
よく考えたら、私は部屋に入った瞬間に違和感を感じた。チェストの中のような外から見えない部分に異常があっても、私に気づけるはずがないので、探るべきはそこではなかった。
では何がおかしかったのだろう?
入った瞬間に目につく部分がどこかを考えるために、一旦外に出て、部屋に入りなおしてみる。扉を開けた瞬間の位置で立ち止まり、あたりを見回してみた。
目に入るのは、正面の窓、ベッド、机ぐらいのものだ。どれも特に汚されたり壊れたりしているということもない。そもそも、そのような大きなものに変化があれば、なんとなくの違和感では済まないはずだ。
気を落ち着けて、よく考えてみる。入った瞬間に気が付くが、どこに起きたかまではわからない程度の小さな変化。部屋全体から感じる、いつもの私の部屋ではないという嫌な雰囲気。
……部屋全体から感じる?
はっとして壁に目をやる。そこに違和感の根源があった。壁にはめ込まれた石の隙間に、何か白っぽいものが詰まっている。それも1か所ではない。何個所にも、もしかしたら10箇所ほど、壁のあらゆる隙間にその変化は生じていた。
恐る恐る近づいてみると、どうやら折りたたまれた羊皮紙のようだ。普段は存在すら気にかけない狭さしかない壁の隙間に押し込むには、小さくたたんで無理に押し込むしかない。
もしかして、シュピネさんだろうか? 連絡のため、気づかれないように私の部屋にメッセージを隠した?
いや、部屋に入ることができるなら、私がいるときに直接手渡したほうが早い。しかも、壁の隙間に押し込むなど、私が気が付かない可能性も高いので、連絡手段としては下策だ。
誰からかわからないメッセージ。私は一度深呼吸すると、勇気を奮い立たせて、押し込まれたそれを引き出し、開いてみた。
ー これによって、聖堂参事会が同盟を結び、皇帝に反抗する勢力を組まんとしていることは明らかである。便宜的にこれを聖堂参事会同盟と名付けるが、エアハルト大司教により教区内の馬の補充が進められており……
そこまで読んで慌てて閉じる。違う、これは私宛ではない。明らかに何か公的な、政治的な意味を持った文書だ。心臓がバクバクと音を立てている。紙の小ささからメモ程度のものと思われたが、壁に挟み込むために意図的に切ったのかもしれない。いずれにしても、私が読んでよいものではなかった。
なぜこんなものが仕込まれているのかはわからないが、私の手に負える問題ではない。内容的に、ご相談する先はヴォルフ様だろう。私は紙切れを袖口に入れると、急いで部屋を飛び出した。
「おや、どうしたのですか? そんなに慌てて」
すると、そこにはクラウス様が立っていた。
「少しご相談がありまして、ヴォルフ様に……」
そういってお返事をしようとクラウス様のお顔を見上げ、視線がかち合うと、背筋がぞわりと粟立った。
これは最近見せていた笑顔ではない。久しぶりに見た、あの煮詰めたような暗さを湛える濁った瞳。口元の優雅な微笑では隠し切れない冷酷な無表情さ。
「ヴォルフ様ですか? 使用人の統括は私です。何か困ったことがあるなら、まずは私に相談して良いのですよ? ヴォルフ様に言うべき案件かどうかは、私の方で判断しますから」
ああ、そうだ。クラウス様は使用人の行動を把握している。使用人がいつどこにいるか把握し、女性使用人の部屋に入っているところを見られたとしても怪しまれることのない立場のお方だ。
最初から仕組まれていたのか。私なら気づいてすぐにヴォルフ様に相談しに行くだろうと、ここで待ち構えていらしたのだ。
「青ざめた顔をして、可哀そうに、何か困っているのですね。袖口に何か隠しているようですが、それが原因ですか? また窓から変なメモでも舞い込んだのでしょうか?」
「あ、クラウス様っ!」
私が抵抗する間もなく、クラウス様は突然私の手首をつかむと、袖口から先ほどの紙切れを取り上げた。
「ん? これは……」
紙を広げ、文字を追うクラウス様の目が吊り上がる。そして、今まで見たことのないほどの形相で私を睨みつけた。
「ヴィオラ、こちらに来なさい。現行犯ですね」
普段より数段低い冷ややかな声でそういうと、クラウス様はさっき離したばかりの私の手首を再び、今度は握りつぶされそうなほどの力で掴み、無理に引っ張る。
「何をおっしゃるのですか、私がやったわけでは……」
「私は愚かでした。あなたのことを何も知らず信頼していたとは」
「違うんです、その紙切れがいつの間にか私の部屋に……」
「黙れ! さっさとこい!」
クラウス様の珍しい怒号に、周囲の使用人たちが驚いて一斉にこちらを見る。皆の前で私は引きずられるようにしてベルンハルト様のお部屋へ連れていかれた。
「ベルンハルト様、クラウスです。お話が」
「ど、どうした、そんな激昂して。お前らしくないぞ? ヴィオラが怯えているではないか……」
クラウス様は、私の手首を掴んだままで、戸惑うベルンハルト様をまっすぐ見つめると、深々と礼をして仰った。
「大変申し訳ありません。雇い入れた時に気づけなかった私の失態でございます。ベルンハルト様に付けたこの娘、どうやら隠密の類でした」
聖堂参事会とは、在俗の修道士による組織です。参事会員は、修道院生活を送る通常の修道士と異なり、教会外での活動を行いました。




