大根役者にできること
ブックマークありがとうございます!
ベルンハルト様との外出は無事終わり、夕食後に少し雑談を楽しんだ後、私は部屋にもどった。
袖口を探ると丸めた紙が入っている。出掛けるときに持っていたものは奇術を見たあと確かになくなっていたのを確認したので、これは「フィーニおねえちゃん」が入れたものだ。
見られているはずのないことはわかっているが、少し周囲の様子をうかがってから、窓からも扉からも見えづらい位置でそれを開く。
内容は、やはり私の手紙に対するオイレさんからの返信だった。
-------------------------------------------------------
たくさんの情報と勇気ある申し出をありがとう。
時間がないから内容について書かないけど、しっかり受け取った。
とりあえず、僕から伝えたいことを3つだけ。
1. K様は君が相手にできるような人ではない。君が今日僕の芸を観に来ちゃった時点で、すでにいろいろ感づかれてるかも。それに実は、彼が欲しがっているものの中には君も含まれている。危ない橋はわたらず、B様にお仕えすることに専念してね。
2. 念のため仲間を一人紹介しよう。この手紙を持ってきた女性のことだ。暗号名を蜘蛛という。君がこの手紙を読んでいるということは、B様に彼女との友人関係を知らせることができたと思う。何か問題が起きたら、休みをもらって、今日僕が芸をした場所においで。
3. この手紙を他の人に見られると相当ヤバイ! 読み終わり次第、必ず燃やすこと!
じゃあ、くれぐれも気持ちを穏やかに。無事を祈ってる。
-------------------------------------------------------
文面は非常に簡潔で、いつものような冗談は一つも含まれていなかった。それだけに、この手紙の重要さを強く訴えかけている。私は何度か読んで内容を頭に入れると、言われた通りすぐ蝋燭で灰にした。
その場では勝手にフィーニおねえちゃんと名付けて呼んでいたが、彼女の名はシュピネさんだという。たしかこの名前は、以前ご領主様の命でヨハン様が政治工作のお仕事を受けられた時、ケーターさんやラッテさんとともに派遣された隠密のひとりだ。隠密に女性がいるとは思っていなかった……しかもあれほどの美女だとは。おそらく、私が接触しやすいように同性の方を選んでくださったのだと思うが、ヨハン様の隠密はいったい何人いて、うち何人女性がいるのだろう?
いや、今はそんなことはどうでもいい。
手紙にあった「彼が欲しがっているものの中には君も含まれている」という文言、これが一番気になることだ。
もちろん、クラウス様が私を近くに置きたがっていることは感じていた。私のヨハン様・ベルンハルト様・クラウス様それぞれへの印象を操作し、クラウス様を一番信頼するように仕向けていらっしゃるようだったからだ。
しかし、理由がわからない。
先ほどクラウス様とお話したときは、使用人皆がクラウス様についていくような未来を描いていらっしゃり、その最初の布石が私なのだという程度に考えていたが、オイレさんの文面では私だけを指しているように思える。
私個人がもつクラウス様にとっての利点とはなんだろうか。ヨハン様とベルンハルト様のご関係を考えると橋渡し役として価値があるのは事実だが、それだとクラウス様にとってではなく、イェーガー方伯の家にとっての話なので、クラウス様が欲しがるという言い方にはならないだろう。
とはいえ、オイレさんがベルンハルト様にお仕えすることに専念しろというからには、少なくとも今は、ベルンハルト様のお側にいれば安全だということ。
クラウス様に対する疑念についてはすべてオイレさんへの手紙に記した。私にはこれ以上できることなど何もないのだ。オイレさんを信じて、クラウス様については頭の中から追い出すしかない。
ふと、机の上を見る。そこには小箱に入った首飾りがある。街歩きだけでは贈り物にならないと、ベルンハルト様がくださったものだ。七宝製の玉が暖かく煌めき、上品な色合いはさすがだと思う。こんなものが市場で手に入るはずもないから、きっと予め職人に作らせておいてくださったのだろう。たかが遊び相手にそんなところまで気をまわしてくださる貴族のお方などそうはいまい。
……私は、ベルンハルト様に恋をしなくてはいけないだろうか。
ベルンハルト様はお優しい。初めてお会いしたときおっしゃった通り、きっとこれからも大切に扱ってくださる。ご兄弟の関係性に難はあれど、人として十分尊敬できるお方だ。
だから、きちんと向き合えば、自分はこの方を愛しているのだと錯覚するのはたやすいと思う。そう、クラウス様だけでなく、ヨハン様のことも、きちんとこの頭から追い出すことができさえすれば。
しかし、それは果たして誠実と言えるのだろうか? 偽物の感情で愛を囁いて、ベルンハルト様に失礼なのではないか?
……一瞬そう思うも、私は頭を振ってその考えを追い払った。言い訳でしかない。都合の良い言葉で、自分の気持ちを曲げることを拒んでいるだけだ。
以前、家政婦長のズザンナ様は、私のことを「実態は娼婦だ」と言った。そう、あの時はズザンナ様の勘違いにすぎなかったが、元来「愛人」という立場はそういうものだ。「恋人」とは異なり、軽々しく娼館になど出入りできない高貴な身分の方々のためにあてがわれる、一種の職業である。ベルンハルト様だって、そんなことは百も承知で側に置いているはずだ。別に私を本気で愛しているわけではない。
たとえ自ら望んでなったものでなくとも、その地位に就いた以上は、職務を全うしなくてはならない。私はベルンハルト様のメイドであり、愛人。メイドとして生活環境を過ごしやすく保ち、愛人として楽しい時間を提供するのが今の仕事だ。
手紙を燃やした灰の残りを掃除しながら、オイレさんのことを思い浮かべた。彼は常に優秀な俳優だ。芸人として人前に立つときは、どのような演目かによって自らの役柄を設定し、巧みな話芸で客を楽しませる。歯抜きなら面白おかしく、奇術なら妖しげに……それは舞台を降りても同じで、誰の前に立つかによって役柄を演じ分けていた。
きっと本当は愛人もそうあるべきなのだろう。理想的な恋人役を演じきり、主人の遊ぶ恋人ごっこに全力で付き合うが普通なのだと思う。
私に演技などできない。しかし、幸いにして人の感情には敏感だ。相手が何を言ってほしいかなら、ある程度察することができる。
だから、偽りない気持ちをもって接し、必要とされる言葉をかけて差し上げるのが、大根役者の私がベルンハルト様にできることだ。




