不運な共犯者
今まで毎日21時更新としていたのですが、アクセス解析を確認したところ深夜に見てくださっている方がほとんどでしたので、次回から0時更新に変更させていただきます。途中からの変更でご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
ヨハン様は階段に血を点々と垂らしながら、2階のお部屋に私を案内してくださった。どうやらこの部屋は書庫として使われているようだ。
そして、本棚から4冊の本を選ぶと机の上に置き、そのうちの1冊を私に見せおっしゃつた。
「ヘカテー、これは何と書いてあるかわかるか?」
「申し訳ありません、わかりません」
「では聞き方を変えよう。これが何語かはわかるか?」
「ラテン語だと思います」
「何故そう思った?」
「我が国の言葉と同じ文字で書かれており、ところどころ似た単語があります。教会で見るものもそうですし、こういった文字の書かれた本を修道士様が持っていらっしゃるのを見たことがありますので」
ヨハン様は、ふん、と鼻を鳴らすと、別の本を手にとられた。釘で粘土に掘ったような文字が並んでいる。
「ではこちらはどうだ?」
「こちらも読めませんが、文字の形が独特ですね。金貸したちの一部が似たような文字を使っていたような気がいたします。ユダヤ人の言葉でしょうか」
これは何かを試されているのだろうか。ヨハン様は私に問うたびに、かなり近い距離で私の顔を覗き込んで来られる。オリーブの瞳は瞳孔が開き、一瞬の表情の変化も逃さない真剣な眼差しだ。返り血を浴びたままの姿でそれをやられると正直恐ろしいどころの騒ぎではない。
「なるほど、わかった。次はこれだ」
文字というより模様のような流麗な書体が踊る本を掲げ、またじっと私を見るその眼。心なしか鋭さを増しているように感じられた。
「申し訳ありません、こちらは初めて見る文字です。読めないだけでなく、何語なのかの見当もつきません」
「………嘘ではなさそうだな。ではこれが最後だ」
ヨハン様が手にした本……その本の文字を私は知っていた。
「その本はヒポクラテスの『箴言』です。同じものを父が持っておりました。ギリシア語自体は、私はほとんど読めませんが」
私の答えを聞いて、ヨハン様は一瞬眼を瞠ると、嬉しそうに微笑まれた。
「お前のことがだいたいわかった。どうやらお前をここに越させたのは大正解だったようだな」
どうやら私はヨハン様のご期待に沿うことができたようである。見せられた本の文字のほとんどが読めなかったので不安だったが、満足していただける回答ができたならば良かった。これで少しは私の評価も上がるかもしれない。
「さぁ、ヘカテー。お前には今後俺の共犯になってもらおう。邪魔だてすれば命はないこと、ゆめ忘れるなよ」
……前言撤回、状況はむしろ悪化したようだ。何をやらされるかはわからないが、嫌な予感のする言葉でしかない。私は貧血でよろけないようにするのが精一杯だった。やはり私はとことん運が悪い。
「決してお邪魔立てするようなことは致しません。ただ、共犯とは何かわかりませんが、秘密のお話を伺いするようなことは、一介のメイドにすぎぬ私の身に余ります」
「そんなことはない。お前のほうから突っ込んでくるならともかく、俺がお前を引き込もうというのだ。何も問題なかろう」
「どうかそのまま私にもお隠しになっていてくださいませ。今日見聞きしたことは口外せず、すべて忘れるようにいたしますので」
「たしかに最初はお前のことを刺客の類だと思っていた。しかし、さすがに今はそうではないと判断している。何故ここへ来たどんな人間かはまだつかめていないが、少なくとも今は無害な俺のメイドだろう?」
「ですが……」
「だから断るな。一人で成しえることには限度があるのだ。俺はお前に頼んでいるのではない、命じているのだぞ」
ヨハン様がそう言いながら頬をかくと、乾いた血がかさぶたが剥がれるようにパラパラと机に落ちた。そのうちいくつかは本の上にかかってしまう。
「とりあえず、湯で濡らした布と着替えを持ってきてくれないか。このままではさすがに気持ちが悪い」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたしま……」
言いかけて思わず口を噤んでしまった。というのも、布をお湯で濡らすにはまずお湯を沸かさなくてはいない。そのためには調理場に入る必要がある。
「おう、気づいたか。思ったより頭が回るな。やはりお前は使えそうだ」
共犯とやらになるしか、私に道は残されていないようだった。