貴族に仕える貴族
区切りがないと読みにくいのでは?ということに今更気づき、章を設定してみました。本文には影響ありません。
とんでもないお話を聞いてしまった。緊張で膝が震える。私は、目の前で穏やかに微笑むクラウス様が、こういう残酷な世界を生き抜いてきた、一人の貴族なのだということを実感していた。
「さて、お話は以上です。疑問は晴れましたか?」
「はい……そんな重要な機密をお話しくださったこと、感謝いたします」
「先ほど言ったように、今のお話はご領主様とヴォルフ様しか知りません。そして、もしあなたがこの話をどこかに漏らせば、私の首は簡単に飛んでいくでしょう」
「そんな……っ!」
「気にする必要はありません。私はあなたになら、この命を預けてもいいと思ってお話したのですから」
クラウス様はにっこりと笑みを深め、私の頭を軽くなでた。
「私たちはこれで運命共同体ですね。重大なことに巻き込んでしまって心苦しいですが、私は幸いにしていつもベルンハルト様のそばにおります。あなたのことも全力で守りますから、安心してついてきてください」
「はい……」
「さすがに少し時間を取りすぎました。お互いそろそろ持ち場に戻りましょう」
クラウス様に促されて、私は退室した。部屋を出た瞬間に、開放感からどっと疲れが押し寄せてくる。
さきほどのお話は、私が抱えるにはあまりにも重く、そして複雑なお話だった。
話の筋は通っていると思う。確かに、ベルンハルト様はいつもの会話のご様子からして、ヨハン様に良い感情を持っていないのは明らかだったし、普段は自信に満ち溢れた雰囲気だが、二人でお話しするときにはやや自虐的な発言が散見される。
ベルンハルト様がヨハン様に協力する可能性が薄いとすれば、ベルンハルト様にご領主様の後を継いでいただき、ヨハン様にその補佐を仰ぐ。これでヨハン様のほうがお兄様だと厄介だが、幸いにして長男はベルンハルト様だ。
また、これらの話は以前ヨハン様がおっしゃっていたこととも合致する。すなわち、ベルンハルト様を推す勢力とヨハン様を推す勢力が割れていることや、クラウス様がベルンハルト様側であり、ヨハン様が力をつけすぎないように調整しているということ。
ヨハン様の気持ちを弄び、利用しようとするやり口には腹が立つが、ベルンハルト様を推すうえでは至極当然の、いたって自然な流れだと言えた。
……しかし、何故だろう、なんとなく胸騒ぎがする。クラウス様のお話に妙な違和感を感じるのだ。
もちろんそれは、私がクラウス様を苦手に思っているからというのもある。今の私はベルンハルト様お付きのメイドだが、未だに心はヨハン様にお仕えしている頃から抜け切れていない。そして、ヨハン様への思いが強すぎるせいか、塔を出る前に「今後のクラウスはお前にとって無害だ」と言われてるにもかかわらず、ヨハン様の味方ではないというクラウス様に、懐疑心や警戒心は解けないままでいる。
この違和感は、私がクラウス様に対して疑心暗鬼になりすぎているからだと、切り捨てるべきものなのだろうか?
先ほどの会話を思い出しながら、私は考える。きちんと自分の中で納得させないと、切り捨てるべき疑念も切り捨てることができないだろう。私は貴族ではない。腹芸などほとんどできない小娘が、今後クラウス様と「運命共同体」と言われる状況に耐えるには、違和感の正体を探り、それを打ち消す合理的な理由を見つけなければいけない。
―― お二人の結束のためには、ヨハン様はベルンハルト様に、常に何かを譲っている必要があるのです。
―― あなたはヨハン様にとって生涯ただ一人の女性です。
―― あなたがベルンハルト様のもとにいれば、ヨハン様にとってベルンハルト様を補佐する最大の理由となる
しばらく考えて、私は気づいた。いや、気づいてしまった。クラウス様のお話は、ヨハン様の私に対する思いしか考慮されていない、ということに。
ヨハン様は確かに、今後愛人を持つことは難しいだろう。塔の中に閉じこもっていては、好みの女性を見つけることなど、物理的にできないのだから。
だが、ベルンハルト様は違う。頻繁にお出かけになり、宮廷へもお出ましになる。奥方様は政治的な理由で選ばれるとしても、愛人など選び放題のはずだ。
さらに言うと、流行に敏感で、女性慣れしているお方でもある。クラウス様も「ベルンハルト様は際立って見目の麗しい、年下の女性を好まれる」とおっしゃっていた。「年下が好き」がもし年若い娘が好きという意味だとすると、私が成長するにつれベルンハルト様にとっての魅力は下がっていくかもしれない。
そのため、一口に側にいるといっても、私の価値はベルンハルト様に取って高くない。あえて言えば「ヨハン様が欲しているものを自分が持っている」という価値はあるかもしれないが、ベルンハルト様は基本的に非常に紳士的でお優しい方だ。そのことは日常的な会話からも、あの日以来指一本触れてこないことからも感じられる。そこまでヨハン様への当てつけに執着するとは考えにくかった。
つまり、ベルンハルト様は、飽きたら私を傷つけないような形で上手く別れを切り出せる方だということ。すると、クラウス様がおっしゃっていた「ヨハン様が愛する女性をベルンハルト様の側に置くことで、間接的にヨハン様がベルンハルト様を助けるように仕向ける」という作戦は、長期的にみるとあまりにも脆いのだ。
……困った。違和感の正体を探ってそれを切り捨てるつもりが、見つけたものは切り捨て難い整合性を持っている。かえって疑念を深める結果となってしまった。しかも、この話はこのお家の将来にかかわる重要できわどいお話。少しでも身の振り方を誤れば、すぐに足を踏み外してしまうだろう。
今までもそうだった。都合の悪いことを隠そうとするとつい嘘をついてしまう私と違い、クラウス様は決して嘘はつかない。嘘をつくのではなく、重要な事実を隠し、無関係の事実を関係ありげに強調することで、相手の思考を誘導するようにお話になる。
だからこそ踊らされてしまうのだ。貴族に仕える貴族とは、こんなにも優雅な足取りで、複雑な道を簡単に進まれるものなのか。
自分の手に余る疑問を相手取り、私はするべき仕事も手につきそうになかった。




