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共にいる資格

「やっぱり、自覚してなかったんだね。それとも気づかないように頑張ってたのかな。君は賢いから」



 オイレさんが追い打ちをかける。さっきの言葉で貫かれた胸の傷が無理やり広げられる、ぎりぎりという嫌な音が聞こえてくるようだ。


 だって仕方ないじゃない。領邦の君主たる方伯のご子息。いずれはご自身も方伯となられるお方。使用人が感情のままに恋をしてよい相手ではない。決して叶わない夢を見るよりも、叶うかもしれない夢の手伝いをする方が良いに決まっているでしょう?



「だったら、どうだって言うんですか」



 唇を噛みしめるようにして、私は声を絞りだした。



「私がヨハン様のことを好きだから、感情を制御できない使用人はお仕えする資格がないということですか?」


「……ごめんね」



 オイレさんは何に対して謝っているのだろう。素直に肯定してくれた方が楽なのに。



「僕は恋というものを信用していないんだ。君がもっと自分勝手な、打算的な子だったらよかった。恋をしている間は妾としての立場を楽しんで、恋が終わったら離れるときの駆け引きも簡単だから」



 どこまでも優しく、まるで小さい子に言い聞かせるように話す声が、ひどく私の不安を煽る。



「でも君はまじめで誠実で、まっすぐすぎる。正面から恋をして、恋が終わった時は自分を叩いて無理に律するだろう。だからといって人間の感情は抑えられるものではない。そして、暴走した愛ほど恐ろしいものはないんだよ」


「私は、ヨハン様に振り向いていただこうなんて不敬なことは考えていません。それどころか、今日オイレさんに言われなければ、自分の好きだという気持ちさえ知らずに済んだんです」


「そうだね。知らないほうが安全でいられることもたくさんあるって、僕は前に君に言ったのにね。にもかかわらず僕は今、君が頑張って知らないようにしていたことをわざわざ知らせてしまった。それは、いつまでも知らずにいつづけることはできない事実だったからさ。いつ決壊するかわからないよりは、わかったほうが対処できる。そのためにはあえて決壊させてしまうのがいい。今日の君の行動を聞いて、それに対するヨハン様の反応を見て、僕はそれが今だと判断したんだ」



 オイレさんの言葉は誠実で残酷だ。いつもの間延びした調子で、冗談を交えながらのらりくらりとはぐらかしてくれたらいいのに。こうして真摯に語りかけられるほどに、自分の気持ちが浮き彫りになり、想定される未来は決まっていってしまう。さっきはまだ公式な話じゃないと言っていたが、オイレさんの中ではすでに答えが出ているのだ。



「君はいままで、誰かに恋をしたことがあるかい? 自分の心を知った今、これまでと全く同じに、気持ちを封印していられると証明できる?」


「それは……」



 答えられるわけがない。このやりとりは、私が納得してヨハン様のもとを去るためだけに行われているもの。



「この後で、君と一緒にヨハン様のお部屋に向かう。僕はそこで、君を居館に戻すようヨハン様に進言するつもりだ。いいね?」



 はい、とはどうしても言えなかった。涙がこぼれないようにぎゅっと目を瞑って、わたしは微かに頷くことしかできない。



「うん、いい子」



 オイレさんが俯いたままの私の頭をそっとなでる。それはあまりに不躾で、振り払いたいほど不快に感じられた。別にオイレさんのことは嫌いではないし、単なる親しみという意味ではむしろ好きといってよい。でも、私の心を打ち砕き、夢を破ったそのあとで、そんな風に優しく接してほしくなかった。


 なによりその手は、私が触れられることを望む人の手ではない。別の人に撫でられるまでそのことに気づかないほどに、私の思い込みの力は強かったようだ。


 それでも、今ここで感情をむき出しにすることをわずかばかりの自尊心が許さなかったためだけに、私はただ黙ってなでられながら、床を見つめていた。



「そうそう、君のこと……君のお父さんのことも、あれからずっと調べてるよ。申し訳ないことにまだ言えないんだけど、わかってきたことも結構ある」



 オイレさんの手が頭から離れた。



「本当は君の気持ちを思えば、お暇を出してどこか良い嫁ぎ先を紹介するのが一番いいんだろうけど、もし僕らの推測が正しければ、君を城から出すわけにいかないんだ。中途半端な距離は一番つらいよね。本当に、本当にごめんね」



 話題が変わったことで、私は少しずつ冷静さを取り戻していった。



「いえ、いいんです。この状態で急に結婚しろと言われても、夫とうまくやれる自信がありませんから。居館のお仕事はここより忙しいので、頭を冷やすのにはちょうど良いです」


「お父さんのことを教えてほしいとは言わないんだね」


「ええ……言っても仕方ないので……」


「お父さんに会いたい?」


「それはもちろんですが、難しいかと……」



 すると、オイレさんは少しかがんで私に目線を合わせ、しっかりとこういった。



「こんなに傷つけてしまったお詫びに、ひとつだけ約束する。あとどのくらいかかるかわからないけど、僕は絶対、お父さんを見つけてあげる」


「でも……」



 私は言いよどんだ。ケーターさんから、父は病死したと聞いているからだ。しかし、それはケーターさんとの密談で聞いたお話。ケーターさんの命にもかかわる可能性がある情報かもしれない以上、口にすることはできない。



「ケーターが言ったことを気にしてる? あれは全部が本当じゃない。お父さんはきっと生きてるよ」



 そうか、この人は隠密だ。あの日オイレさんは外で待ってる(・・・・・・)とは言ったが、話を聞かない(・・・・・・)とは言っていなかった。



「少しは落ち着いたかな。じゃあ、ヨハン様のところへ行こうか。いつもこのくらいの時間までは普通に起きていらっしゃるからね」

> いずれはご自身も方伯となられるお方。


神聖ローマ帝国では、嫡出の男子全員が爵位を受け継ぎます。跡継ぎは兄のベルンハルトですが、順当にいけばヨハンも方伯の称号を得るということです。

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