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小さな労働者

すみません、昨夜投稿した38話「服につられて」がいつもに比べ分量が長すぎたので、加筆の上2話分に分割しました。

加筆した部分は今回の話の後半がほとんどなので、前話の筋は変わっていませんが、もしよろしければ前話からお楽しみください。


今夜(3/19 0時)も予定通り投稿予定です!

 どうかきちんと理解した受け答えをしてくれ、と祈るような気持ちでヤープを見ていると、彼は真っ青な顔でぶるぶると震えつつ……しかし、迷うことなくすぐに返事をした。



「決まっているお金はあるです。でも、ここで報酬をもらおうなんて考えないです」


「それはどうしてだ?」


「ここはご領主様のお城です。ここで仕事をもらうのは、ご領主様から命令されてるのと同じだって思うからです」



 たどたどしいながらもはっきりと答えたヤープを見て、ヨハン様は満足そうな笑顔を浮かべている。私もヤープが賢明な返答をしてくれたことにほっとした。あの返答なら合格のはずだ。


 ヨハン様はふいに後ろに向き直ると、部屋の奥に向かって声を掛けた。



「ラッテ、いるか?」


「は。ここに」



 いつの間にか、ヨハン様の斜め後ろに、男の人が跪いていた。部屋に入ってから全く気配がなかった。いま音もなく入ってきたのか、最初から潜んでいたのかの見当もつかない。そういえば、溝鼠(ラッテ)という酷い呼び名……たしかこの間、ケーターさんと一緒に任務にあたっていた隠密の中に、この名前の人がいた気がする。



「そこの少年の見極めを頼む」


「承知いたしました」



 ラッテさんは静かな声で返事をし、ヨハン様に一礼すると、ヤープに微笑みかけた。



「では、この件は以上だ。皆下がってよいぞ」



 そう一言いうと、ヨハン様は急に興味をなくしたように視線を下げ、手元の書類を読み始められる。普段のやり取りでは、格式張らない振る舞いが目立つ方だが、やはりこういったある種の公式の場において、ヨハン様の態度は主人たる風格があり、威厳に満ちていらっしゃる。


 私とラッテさんは通常の礼をし、ゆっくりと退室しようとするが、ヤープはほとんど土下座といった勢いで頭を振り下ろすと、大急ぎで床の麻袋を抱えて走り去るようにして部屋を出ていった。


 そんな様子を見たラッテさんが、部屋を出るとヤープを追いかけ、肩を軽くたたいて声をかける。



「久しぶりだな、坊主。服の合図は役に立ったか?」


「あ……あの時のおっちゃん……?」



 なるほど、ヤープに解剖後の動物を取りに行くように言った「頭巾のおっちゃん」とは、ヨハン様の変装ではなく、この人だったということか。

 思い込みで伝言の相手を間違えた上に、ヤープに大変な思いをさせてしまった。私は改めて、ヨハン様にお礼の件を話したことを後悔した。



「ヤープ、急にこんなことになってごめんね。緊張したでしょう?」


「当たり前だろ! 招かれるだけでびっくりなのに、貴族と直接会うなんてあり得ないよ。せめて二人のどっちかが最初に伝えてくれたらよかったのに」


「本当にごめんね。私も直接お会いになるとおっしゃるとは思ってなかったんだけど、たぶん私のせい……ヤープが言ってた『頭巾のおっちゃん』って人のこと、ヨハン様が変装した姿だと思っちゃって。ほら、以前お礼がしたいって言ってたでしょう? それをラッテさんじゃなくて、ヨハン様に伝えちゃったのよ」


「んあ? なんでねーちゃんがそれを謝んの?」



 正直に謝った私に対するヤープの反応は、予想外のものだった。



「あの人がねーちゃんとおっちゃんのご主人様で、おっちゃんはあの人の命令でおれに皮を譲ってくれてたんだろ? じゃあ、お礼する相手もあの人で合ってるじゃん」


「その通りだ。坊主、よくわかってんじゃねぇか」



 ヤープの言葉にラッテさんも賛同している。たしかに、使用人の行動は主人の意志。私が謝るのは筋違いだったかもしれない。



「ありがとう。あ、そういえばラッテさんは初めましてですよね? ヨハン様付きのメイドのヘカテーです」


「ああ、顔を合わせるのは初めてだったな。あんたのことは知ってるよ。俺は……まぁ自己紹介はまた今度にしようか」



 ラッテさんはヤープを見てニカーッと笑った。隠密は公式の存在ではない。部外者であるヤープに知らせるわけにはいかないのだろう。



「坊主、多分近いうちに会うことになるから、その時はまたよろしくな。あの方がおっしゃったこと、覚えてるよな?」


「うん!」


「おし、じゃあとりあえず、その死体の処理が終わったら、いつも皮を取りに来ている場所に目印をおいておいてくれ。石ころでも花でも、わかれば何でもいい。他は今まで通りだ。これからも、服がかけてあったら置いてある動物は持ってっていいぞ」


「わかった! おっちゃん、いろいろありがとう!」


「俺はまだ仕事があるからいったん戻るわ。ヤープもヘカテーも、元気でな!」



 そういって、ひらひらと後ろ向きに手を振りながら去っていったラッテさんは、絵にかいたような「近所にいる気の良いおっちゃん」で、隠密らしさは微塵も感じられない。しかし先ほど、いつから部屋にいたのかわからず、まるで突然出現したかのように思えたということは、かなりの手練れなのだろう。オイレさんやケーターさんもそうだが、隠密というのは見せかけの普通の顔をもつものなのかもしれない。



「ねーちゃんも大変だな」



 そんなことをぼんやり考えながらラッテさんを見送っていると、ヤープがボソッとつぶやいた。



「え? どういうこと?」


「だって、部屋にいた貴族ってただもんじゃないだろ? さっきのおっちゃんも多分傭兵か何かだし。それと一緒に働いてるって、ねーちゃんもすごい人だったんだな」


「私はただのメイドだよ。でもなんでわかるの?」


「そりゃわかるさ。おれは皮剥ぎ人。父ちゃんは刑吏だし、大人になったらおれもなる。おれたちみたいなのには、誰も上っ面なんて見せないからね。人間を観察するのは慣れてるよ?」



 ほんの子供、と思っていた子が、とんでもないことを言い出した。びっくりして固まっていると、ヤープはちょっと得意げな顔をする。



「ねーちゃん、おれが子供だからって舐めてただろ? おれは物心ついたころから父ちゃんと一緒に働いてんの。ねーちゃんは外国人だけど、割といいとこのお嬢様風だよな。いかにも世間知らずって感じだし、外で働き始めたのなんて結構最近だろ? 社会人としては、おれのが先輩なんだからな!」



 私を見上げてえへんと胸を張る小さな労働者は、ずいぶんと輝いて見えた。年や身分が下であっても、この子はすでに自分の足で立っているのだ。

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