塔でのお仕事
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「大変失礼いたしました。私はトリストラントという商人の娘です。ひと月ほど前、メイドとして雇っていただきました」
「なるほどな。まぁ、本当にそうなのかどうかはこれからゆっくり観察するとしよう」
「申し訳ございません、昨日から何か疑いをかけられているようですが、私にはそれがなぜなのか皆目見当がつきません。見当がつきませんが、気がつかずお気に障ることをしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
慌てて深々と頭を下げる私に、くくく、とかすかな笑い声が降ってきた。
「顔を上げろ。別にお前が何かしたわけではない。お前という存在が異質すぎるから言っているのだ。わからないか?」
恐る恐る顔を上げると、相変わらず意地悪そうな笑みを湛えたままのヨハン様。
「まず、その言葉遣いだ。下級の使用人で、しかも入ってきたばかりの小娘が、そんなに整った言葉遣いはしない。主人に対する敬語は教えられた定型文が精いっぱいだろう。自分の言葉で流暢に喋ることはない。べらべら喋って墓穴を掘ったな」
あまり意識したことはなかったが、どうやら失礼がないように気を付けていたことが裏目に出てしまったようだ。
「それから、お前は読み書きもできるようだな。俺が託した伝言を眺めるのではなく読んでいる様子だったし、居館で文字を書いている所を見た者もいる」
これも反論のしようがなかった。仕事内容の控えは不可抗力としても、伝言を勝手に読んでしまったのは少しまずいかもしれない。単に字の美しさに見とれてしまってのことだったが、本来私が読んでよいものではないのだから。
「つまりお前は相当な教養があり、それが商人の娘というのも信じがたい。もしそうならただの商人ではなく、有力な商家ということだ。娘を使用人として出す必要がない。しかしお前は異国の血が濃そうな顔をしている。俺もこのあたりの有力な商家は把握しているが、その中に異邦人を娶った者はいないはずだ。どうだ、矛盾だらけではないか」
「なるほど……」
そういわれると思わずうなってしまった。言われてみると、私の境遇はかなり特殊なのかもしれない。父は普通に読み書きができるし、礼儀作法も整っている。話し方や身のこなしも上品で、正直周囲から浮いている存在だ。私の言葉遣いはそんな父から教わったものなので、やはり浮いてしまうところがある。ここの先輩からははっきりと『気持ち悪い喋り方』と言われた。
しかし、別に有力でも裕福でもないただの一般商人だ。母は私が生まれてすぐ死んでしまい、祖父母にも会ったことはなく、父は男手一つで私を育ててくれた。当然、後ろ盾も何もない。
ここに使用人としてやってきたのも、安定した生活の保障と、将来的に良いところへお嫁に行けるようにという理由でしかない。
「納得してどうする」
少し自分の人生について思いを巡らせていると、呆れたような声で現実に引き戻された。
「いえ、言われてみるとそう思われるのも無理はないと思いまして。ただ、私の家は特別力のある商家ではございません。このレーレハウゼンの地に定住したのは父の代からで、それまでは各地を遍歴していたと聞いております」
「そうか、まぁよい。お前のことはこの塔で俺の監視下に置く。妙な動きがあれば命はないと思え」
悲しいことに、今のところ私の信頼度は地の底のようだ。何を言っても聞いていただけそうにない。おそらく、昨日ひと悶着あったせいで、私が危険な存在でないか確認し、領主様たちから離しておくためにご自分の専属にしたということなのだろう。濡れ衣もいいところだが、この方は単に自分の享楽のために生きているのではなく、意外と貴族としての自覚は強い方なのかもしれないと思った。
「もちろんでございます。ヨハン様への献身を仕事で証明し、その疑念を晴らすことができますよう、精進いたします」
「安心しろ、黒だと判断していれば既に昨日殺している。お前には危うさ以上に価値もありそうだと踏んだから側に置くのだ。ちょうど、もう少し優秀な手駒が欲しいと思っていた。お前がこの家を利用するように、俺もお前のことを利用させてもらおう」
「このお家を利用するなど、滅相もありません。雇っていただけるだけで光栄の極みにございます。しかし、この身はどうぞ使い倒してくださいませ」
「良い心がけだ。ではついでに、仕事についても少し話しておこうか」
ヨハン様は食事を中断し、先ほどお持ちしたベルを手に取った。カラン、と大きな音がする。
「まず、用があればこのベルを鳴らす。聞こえたらすぐ来い」
「かしこまりました」
「その代わり、メイドとしての仕事は食事運びと伝言程度で大丈夫だ。この部屋の掃除も任せるが、俺がいるときにしろ。毎日せずとも、散らかったら整える程度でよい」
「はい」
「ほかの部屋は勝手に入るな。基本的には自分の部屋で待機していろ」
「承知いたしました」
この塔には他に使用人がいないので身構えていたが、言いつけられた内容が自分にできそうな範囲内で少しほっとした。なにしろ、私は仕事は完璧にこなしたい。この方に疑われながらお側に仕える緊張感は半端なものではないのだ。