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【コミック発売中】塔の医学録 ~悪魔に仕えたメイドの記~  作者: 澁澤まこと
第3章 解剖学の夜明け

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知らない父

 今までの話の流れと全く関係ない発言に、私は目を瞠った。

 彼の言葉は、わざわざ私の父のことを知っていると告白してくれているようなものだ。



「父と、お知り合いだったんですか」


「一緒に仕事をしていたことがあった。俺が隠密としてこの家に雇われるよりも、ずっと昔の話だが」


「父は、今どこに? 何か知っていることはありませんかっ!?」


「まぁ待て。俺がちゃんとあの人のことを知っていたら、今こんなことになっていない」


「そう……ですか……」



 私が落ち着いたのを確認すると、ケーターさんはふぅ、と息をついて椅子に腰かけた。



「結論から言おう。お前の父親、トリストラントさんは死んだんだ。お前を城へ奉公に出し、店をたたみ、家を引き払ってからな」


「そんな、どうして!」


「自分が長くないことを察していたからだ。それに、お前を誰よりも愛していたし、逆にお前が自分に依存して生きているのも知っていた。だからこそ、自分の最期を娘に看取らせるのも、葬儀をあげさせるのも、あの人は望まなかった」



 淡々と語るケーターさんは、嘘をついているとは思えなかったが、本当のことを全て語っているとも思えなかった。



「父は、なぜ死んだのですか?」


「病だ」


「そんなわけがありません! 最後に会ったのは、私がここのメイドになるために家を出るのを見送ってくれた時でした。あの時の父は、とても元気そうだった!」


「そうか? 病は俺があの人と一緒にいたころ……要はお前が生まれる前からだ。それでも、人前で苦しそうな顔を見せたことは一度もなかった。娘の前ならなおさら虚勢も張るだろうよ。お前は、自分が見てきた姿が父親のすべてだと言えるのか?」



 そういわれると、言葉に詰まってしまう。私は父の過去についてほとんど知らない。

 父がなぜレーレハウゼンにやってきたのか、そもそも父は最初から帝国にいたのか、母はどんな人で、どこでであったのか……そういった過去のことは、全て聞かなくていいことだと思っていた。



「俺にとって恩人であり、目標であり、誰よりも尊敬する人だったんだ。そのまた父親も傑物だったが、あの人は暴力と盗みしか知らなかったクソガキに、『人』として生きるすべを教えてくれた。そうでなければ俺は10代でその辺に野垂れ死んでいただろう。今でこそ、またこんな有様になっちまったが、礼儀作法も読み書きも、あの人から教わった。ギリシア語すらもな」



 さらに何も言えなくなってしまう。父はきっと、私が学びたいといえば教えてくれただろう。私が父の読んでいる本に興味を示した時、戯れに文字と発音を少し教えてくれたが、私はきちんと学ぼうとしなかったし、それを察した父も無理強いはしなかった。

 だから、私にギリシア語を学ぶ機会をくれたのは、父ではなくヨハン様になった。



「俺だけじゃない、周囲に困ったやつがいたら一番に見つけるのはいつもあの人だった。ひとりひとりにじっくり笑顔で向き合って……そのうえ仕事も完璧だった。あれじゃ、休む間もなかったはずだ」


「そのせいで、病を抱えて……」


「そのせいかと言われると返答に困るが、ある意味そうかもな。とにかく、お前がどこまで理解してるか知らねぇが、お前の父親はそれだけ立派な人だったってことだ。その人が、娘に弱った最期を見られたくない、笑顔の自分だけを遺したい……そういう気持ちは尊重すべきと思わないか?」


「そうかもしれませんね……」


「だから無暗に父親のことを探ろうとするな。お前が一緒に過ごした、頼りになるかっこいい父親のことだけ覚えておいてやれ。言いたかったことはそれだけだ」



 ケーターさんはそう言うと、傷だらけの足でよろよろと立ち上がった。



「あの、ケーターさん」


「なんだ?」


「ありがとうございました。私と二人で話すなんて、また怪しまれてしまうでしょうに、わざわざ時間を設けてくださって。父のことは正直まだ受け入れられませんが、生死がわからずずっと気がかりだったので……どこかでつらい思いをしているのではなくて良かったです」



 私の言葉を聞いて、ケーターさんは悲しむような嫌がるような、なんとも微妙な表情をした。



「お前が生きていて本当に良かった。父親の魂をほんの少しでも受け継いでいそうなこともわかって嬉しい。だから、生き急ぐんじゃねぇぞ。こんな環境だからって周りにつられるな。雇い主との距離を保って、安全な場所で幸せに生きてろ」



 すぐそっぽを向いてオイレさんを呼んだケーターさんの背中が震えていたのは、きっと怪我のためだけではないだろう。

 父が私の知らないところで、こんなにも慕われていたのだと思うと、私にはその震える背中が嬉しくてたまらなかった。



「お疲れ様ぁ。ヘカテーちゃん、大丈夫だった? 今にも泣きそうな顔してるけど」



 空気を読まずに入ってきたオイレさんは、ケーターさんの手をほどきながら訊いてきた。



「大丈夫です……解剖のことで、出過ぎた真似をするなって怒られました……」



 私は自分の主を信じている。ヨハン様とケーターさんのどちらに付くかと問われれば、迷わずヨハン様を選ぶ。

 しかし、ケーターさんが今私にしてくれた話はほとんど命がけといってよいはずだ。裏でどんな大きなことが動いているかわからない以上、ケーターさんが父と知り合いだということや、父の死を知っているということをオイレさんに話してしまうと、彼の身を危うくする危険がある。


 今日ばかりは嘘をついても許されるだろう。それが私が彼にできる唯一のお礼だと思った。

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