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知っていて尚

 医療班のもとに戻ると、何やらにぎやかな様子だった。小首をかしげて見つめていると、ラースさんが走り寄ってきた。



「ヘカトスさん! 羊が手に入ったんですよ、まるごと一匹!」


「羊ですか? 兵站に加えられるのではなく……?」


「そうなんですが、切り分けるのを自分たちがやりたいと言ったら貸してもらえました。解剖と、切り傷を縫い合わせる練習ができますよ!」



 明るい顔でそう答えるラースさんに、私は思わず笑い出してしまった。あれだけ傷を縫った後で、よくまだ練習しようという気持ちになれるものだ。ラースさんは本来、薬屋よりも床屋の方が向いているのかもしれない。


 羊はすでに締められており、大きさもほどほど。あとで軍の食糧とすることを考えると、丁寧に切り分けなくてはならない。細かな作業の練習にはもってこいだ。


 毛皮を剥ぐのはヤープの仕事だ。するすると、まるでマントルでも脱がせるかのように手際よく、毛皮が剝がされていく様子を、皆が興味深く覗き込む。巷では毛嫌いされる皮剝ぎ人の仕事だが、既に済ませている人間の解剖のおかげで、皆、否定的な常識に囚われることはなくなったらしい。ヤープは少し気恥ずかしそうに、それでいて得意げに刃物を奮った。


 毛皮を剥がし終えると、目で問いかけるヤープに応えてナイフを受け取り、私たちは順に刃を突き立て、滑らかになった羊の腹を切り開いた。以前やった解剖を思い出しながら、前足の下でY字、後ろ足の手前でY字を描いて両開きになるように。すると、押し返すようにして内臓が溢れ出て来た。



「腹部の傷を縫ったときも思いましたが、内臓というのはすぐ溢れ出てしまうものなのですね」


「ジブリールさんも、はみ出た腸を元の位置に押し戻すことが重要と言っていましたし、内側から外側へ圧がかかっているようです。理由はよくわかりませんが」


「それにしても、やはり人間とは似ているようで違いますね。ほら、胃袋がこんなに大きい」



 各々が見て気になったことを話しながら切り分けていく。血に汚れたままの手で臓器を絵に写し取り、書き込みを加える一同を見回して、ヤープがふと漏らした。



「おれ、ここに来られて本当によかったな……」


「みんなが嫌がらないから、驚いた?」


「それどころか、自分の仕事に誇りが持てる。おれはまだ知識もないからさ、治療の時も物を運ぶとか、使い走りみたいなことしか出来なかったから、ついてきた意味があったのか不安だったんだけど……ここの人たちは、こうやって休憩時間にも勉強をしてるでしょ? 皮剝ぎの技術がその役に立てるって嬉しいよ」


「ヤープの技術は、皆の役に立つだけじゃない、ヤープ自身が学ぶための礎になるのよ」


「うん。実は、みんなの会話を聞いてるだけでもかなり勉強になるんだ。話してる内容がある程度分かるのは、皮剝ぎをやってきたからだと思う」



 そんな折、ふと、大きな皮袋のような器官が目に入った。なんとなく指でつついてみる。膨らんでおり、弾力があった。



「それはきっと膀胱ですね。どうかしましたか?」



 ハンスさんが私の行動に疑問の声を上げ、皆の視線が集まる。



「あの……少しやってみたいことがあるんです」


「何でしょう?」


「実は、以前ジブリールさんから、人から人へ血を移すという治療について聞いていました。鋭くとがらせた鳥の羽根芯と羊の膀胱を組み合わせた器具を作り、羽根芯を血管に刺して、血を流し込むのだと」


「血を? ああそうか、血を流しすぎて血が足りなくなった者に、健康な者から分け与えるのですね!」



 ハンスさんはすぐさま治療の意図を理解してくれた。皆、その言葉に大きく頷く。やはり私と同じで、戦場で助けられなかった者たちの青褪めた顔が目に焼き付いているのだろう。もしも血を増やすことができたなら、という想いは皆の内にある。



「さっそくやってみましょうか。さっき肉のやり取りをしたとき、鳥もあったんです。補給部隊に行って羽根をもらってきましょう」



 そうと決まると、そこまでに切り分けられた肉を一旦塩漬けにし、ラースさんが補給部隊に持って行ってくれた。しばらくして帰ってきたラースさんの手には数枚の羽根。私はそのなかのひとつから芯を取り出し、針のように尖らせる。更に、よく洗ってから膀胱に結わえ付ける。出来上がった器具を毒消し用の酒に漬け、乾くまで待った。


 そして、心臓を切って溢れた血を吸い上げる。ある程度たまったところで、前足付近の血管が浮き出ているところに突き刺し、流し入れてみる。すると、血はするすると羊の体内へと戻っていった。



「うまくいったようですね! 羊はなかなか手に入るものでもありませんが、また動物が手に入ったら作るようにしましょう。貧血に悩む者もなくなりますね」


「それが、血が合わない(・・・・・・)こともあるようで、安易に行ってよい治療ではないそうなのです」


「血が合わないとはどういうことでしょう?」


「理屈はよくわかりません。ただ、血縁かどうかに関係なく、この治療の後に病で死んでしまう者がいるらしいのです。そのため、ジブリールさんも緊急の場合にのみこの治療を施すのだとか」


「そうはいっても、血が流れるまま放置しておけばどのみち死んでしまいます。助かる可能性が増えただけでもものすごいことですよ!」



 私たちはひとしきり喜びに湧きあがったのち、誰からともなく顔を伏せ、ため息をついた。血が合わない者がいると知っていて尚、考えてしまったのだ。もしも会戦の前に羊が手に入って、この器具を作れていたのなら、もっと多くの怪我人を救うことができていたのではないかと。

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