人のかたち
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解剖の描写があるので、苦手な方はご注意ください。
翌日。私たちは再び塔の調理場に集まっていた。
虫よけを兼ねてセージを焚いているので臭いはつらくなるほどではないが、やはり亡骸と同じ空間にいるのだということを意識させられる空間だ。
ちなみに、昨日に引き続きケーターさんも参加させられている。居てもらったところですることはないし、むしろ邪魔なのだが、ヨハン様の命だ。ちょっとした反応から情報を引き出す手段なのかもしれない。
内臓は昨日のうちに全て取り除き、塩漬けにしてある。とはいえ、きちんと水が抜けるのには1週間ほどかかるのは人間も同様のようで、現時点ではまだ生肉に近い状態だ。そんな内臓の器官の一つ一つを、ヨハン様は手に取ってナイフを入れ、構造を細かく調べている。この作業は、ひとつの器官だけで一日仕事になりそうなので、生肉に近い状態で調べるものと、完全に塩漬けになった状態で調べるものに分かれてくるだろう。単純に上の方から順に調べているわけではなさそうなので、ヨハン様はどちらの状態のほうが調べやすいかによって、切り分ける順番を選定しているようだ。
臓器には様々な形がある。一対の翼のような形、管のような形、岩のような形など。中にはグズグズに崩れたような形をしているものもあり、私にはそれがもとからその形なのか、早くもそこから腐ってしまっているのかは判別がつかない。
ヨハン様は最初の一つとして、柘榴のような形の臓器を手に取り、慎重に細かく切れ目を入れては何かを調べ、懸命に書き留めていた。
オイレさんの方はというと、やはり心が咎めるのだろうか、しばらく黙祷を捧げていた。
そののち、顔の側面を一周、そして中央へ縦にナイフを走らせると、ゆっくりとその肌をそいでいく。
私は思わず顔をそむけてしまった。現実感のあまりない内臓の解剖よりも、人の顔のはがされていく様は生理的に受け入れがたいものがあったからだ。
オイレさんは私に命令する権限はないので、私はヨハン様のお手伝いのみしていればそちらは見なくても問題ない。
しかし一方で……これらの光景に神秘的な高揚感を感じもした。
お二人がナイフを走らせるほどに露わにされる人のかたちは、人はどこまでが同じなのだろうという疑問を想起させるのだ。
あの奇妙な形をした臓器が、すべての人間に備わっているのだろうか。ヨハン様は、ガレノスは人間の代わりに羊や豚などの動物を解剖し参考にしていたとおっしゃっていた。種が違っても参考になるなら、同じ人間ならば全てが共通するのだろうか。
肌だってそうだ。白かろうが褐色だろうが、剥いでしまえばそこには赤い肉があるだけ。更に、最終的に骨になってしまえば、一切見分けなどつかないことだろう。
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
聖書は淡々とそう語っている。もしそうならば、人のかたちは一種類しかないということになる。なら、なぜ私たちはそれぞれ違う姿を持っている? ヨハン様やオイレさんの髪の明るさに比べて、私の髪はなぜこんなにも黒く暗い?
聖書はさらに「男と女に創造された」と続く。
ご自分にかたどったにもかかわらず男女の違いがあるということは……神はその姿が1つではないとでもいうのだろうか。
ヨハン様の指示に従って作業を進めつつも、私はこの神秘的な疑問に酔いしれることで、恐怖と背徳感を退けていた。
きっとこの疑問は毒だ。人間の死体というのはそう簡単に手に入るものではないが、この体験を何度も繰り返すうちに、わたしはどんどんズレていき、今まで見てきた世界は崩れていくだろう。私には、ヨハン様のような頭脳と強靭な精神もなければ、オイレさんのように飄々とはみ出し者として生きていく決意もない。この先私が今までの私……普通の商人の娘の精神でいられるという自信は到底持てなかった。楽しそうに人を切り裂く悪魔、というケーターさんの声が脳裏をよぎる。
だが、だからといって手放す気になれないほどに、この毒は甘い。
そして、毒を飲み干した先でこそ、ヨハン様の見る世界が見られるのではないかという、確信めいた何かが私を突き動かしていた。
「ヨハン様、頭部の筋組織、口腔内の構造の確認が終了いたしました」
オイレさんの声でふと我に返る。気づけばまた、窓から差し込む日は赤くなっていた。
「こちらが詳細を写したものとなります。あまり絵が得意ではなく恐縮ですが、説明を付しておりますのでご容赦ください。他、頭部では何かご覧になりたいものはありますでしょうか」
「そうだな、脳を見てみたいところだが、それは後頭部から取り出したほうが早そうだから顔はもういいだろう。ひとりでよくやってくれた」
「もったいなきお言葉にございます。もとより歯抜き師として、これ以上なく魅力的な機会でした。ありがとうございました」
「今日はもう終わりにしよう。ヘカテー、傷を縫いたいといっていたな。ここまでに切り開いた部分は、すべて閉じて大丈夫だ」
「かしこまりました。では、お食事の準備と片づけが終わりましたら作業に入ります」
「いや、何も夜に針仕事をすることはない。明日にしろ」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。そうさせていただきます」
ヨハン様は、やはりお優しい。他の方にお仕えしたことはないが、方伯のご子息という地位にありながら、こんなにも当たり前のように使用人を気遣ってくださる方は稀だろう。
片づけが完了し、ヨハン様が退室されると、ケーターさんがふいに話しかけてきた。
「お前、本当に傷を全部縫うつもりか?」
「はい、もちろんです。できるだけ生前の姿に復元して差し上げたいと思っています」
「この城から身元不明の他殺死体を大っぴらに出すわけにはいかない。隠密の誰かが自殺者として刑吏に届けるだろう。きっと、自殺者に見せかけるために、高所から落として顔を潰す。根詰めて作業したところで、無駄になると思うぞ?」
「仮にそうだとしても関係ありません。これは私がこの人に敬意を払いたくてやっていることです」
私がはっきりとそういうと彼はしばらく押し黙り、躊躇するようにオイレさんをちらちらと見ている。
オイレさんはその様子を見て察したように立ち上がった。
「二人で話してていいよ。僕は外で待ってるから、終わったら声かけてねぇ。ヘカテーちゃん、念のためこうしとくけど、何かされそうになったら大声出すんだよ?」
オイレさんはさっとケーターさんを後ろ手に縛ると、私に護身用のダガーを渡して部屋を出ていく。
扉が閉まるのを見届けると、ケーターさんはおもむろに口を開いた。
「お前はやはり……父親にそっくりなんだな」
> 隠密の誰かが自殺者として刑吏に届けるだろう。
中世ヨーロッパでは自殺者の埋葬を刑吏が行っていました。通常の死者は親族葬儀を行い教会の敷地内に埋葬されますが、自殺者は「罪を犯した」と見做されるため教会内に墓地を持てず、刑吏が管理する無縁墓地に葬られるためです。
登場人物が結構増えてきたので(まだ増えますが)、次回は人物紹介と本文で2話分更新予定です。




