民の声
軍議が終わり、ふと思ったことを口にする。
「イコニウムには病が蔓延しているのでしたよね? 火をかけたとはいえ、こちらに影響はないのでしょうか?」
すると、ヨハン様はなんとも微妙な表情で返される。
「ああ、それなんだが……結局、病は広まらなかったらしいのだ。もちろん、ジークフリート殿には事前に最重要項目として伝えてあったのだが、斥候からの情報でもまったくそういった情報は入ってこず、乗り込んでみても何ら問題はなかったとのことだ」
「でも、都市はもぬけの殻だったのですよね?」
「それは、犬の死骸を本格的な宣戦布告と受け取って、戦いに注力するために民を追い出したというだけだろう。もぬけの殻といっても、敵軍はいたし、戦闘も行われた。まぁ、戦闘はあっけなく終わったようだがな……」
「犬の病は人に伝染しないということでしょうか」
「病の蔓延を目論んで動物の死骸を敵陣に投げ込むこと自体は、俺が独力で考えたのではなく、たまに行われる戦略だ。ジブリールのような異才を見出す国のこと、帝国では考えもつかぬような病に対する対策があるのかもしれん」
それは偶然のことだっただろうし、おかげで敵の指揮命令系統を乱すことはできなかった。それでも、私は病を流行らせられなかったことにほっとした。ヨハン様は、医学というものに対して負い目を感じられるべきではない。それは、ヨハン様のお心を曇らせるだけでなく、きっと、帝国の未来にとっても良くないことだ。
「ようやく、終わったのだな。俺は、イェーガーの名を上げることができた」
ふっ、とヨハン様のお顔に微笑みが浮かぶ。
「いよいよ本格的に、父上が皇帝の座に就く日も近くなったというものだな」
「それは一体どういうことでしょう?」
「考えてもみろ、息子がイコニウムの地を教皇のもとに奪還したのだ。キリスト教の守護者の名は、机上で画策するものよりも、サラセンに赴いて異教徒を打ち払った者にこそ相応しい。ジークフリート殿は勝利すればイェーガーのお家の方が手にする名声も大きいと言った。これはつまり戦功の大部分を俺に譲るということだ。実際、都市の攻囲よりも会戦の方が激しい戦いになったわけだしな。俺はしばらく英雄の役でも買ってやるさ」
「英雄……異論はございませんが、そんな評判が立ったらヨハン様はまた戦争に駆り出されてしまうのではありませんか?」
「いや、これ以上の功績をあげることはあの皇帝が許すまいよ。それに、息子の栄光はイェーガー方伯のものといって差し支えない。うなぎのぼりになるのは父上の評価だ……それにしても、オイレを連れてきて正解だったな。帰り道は戦功を吹聴しながら帰れる」
「吹聴でございますか? オイレさんが吹聴というと、戦功が耳に届くのは貴族ではなく民衆になってしまう気がいたしますが」
私の疑問に、ヨハン様はいよいよ笑みを深められた。
「それでいいのさ。民衆の力を味方につけるつもりでいる」
それはなんとも不思議なご計画に思えた。民衆は無力だ。皇帝を選ぶ権利があるわけでもない。
「いつだって時代を作るのは伝説であり叙事詩だ。そしてそれらは民衆の声の中から生まれる。俺は、父上を一種の偶像として仕立て上げようと考えているのさ。父上を帝位に着けるにあたっては、父上と皇帝の対比が必要になるからな」
「そういうことでございましたか。ご領主様を称える声が国中で沸き起こり、反対に皇帝を糾弾する声が大きくなれば、帝位にも影響するということですね」
「ああ。その下準備は、とうの昔に済んでいるしな」
「下準備……?」
再び疑問の声を上げる私に、ヨハン様はこの上なく優しく……そして寂しい瞳を返された。
「とうの昔に、ウリがやってくれたのさ」
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