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それぞれの悼み方

初掲載から1か月。いつも読んでくださる皆様に感謝です。

 そうこうするうちにかなり日も暮れてきた。蝋燭の明かりで作業をしてもよく見えないので、中断するほかない。



「内臓は一通り調べられたかと思いますが、明日は骨格や筋肉を見てもよろしいでしょうか。個人的には、頭部の皮下、特に口腔周辺を調べてみたいと思っております」



 オイレさんが明日も解剖を続けたい旨をお願いすると、ヨハン様はそれを許した。



「もちろん、俺からも頼みたい。ただ、内臓も配置や形状は一通り調べられたが、まだ各器官の内側は調べられていないんだ。明日は分担して切り分けることとしよう。保存についても試したい方法があるんだが、まだ必要な器具がそろっていないから次の機会にして、今回は塩漬けにするほかないな。ヘカテー、頼んでも大丈夫か?」


「かしこまりました」



 もちろん、人間の内臓を塩漬けにすることには抵抗がある。しかし、これから私たちの手でこの国の医療を発展させ、ヨハン様の望む未来を築いていくためには、こういったことにも慣れていかなくてはいけない。『人の身体を知らずして、人の身体を治せるわけなどない』のだから。


 そんな決意をこめてした返事だったが、聞く人すべてにその真意が伝わるものではない。



「腹の中身くりぬいて塩漬けにして、亡骸は放置していくのか。しかも明日には腹を切るだけで飽き足らず皮を剥ぐと……羊か豚でも扱うように……」



 静かにしていたケーターさんの口から、再び呪詛のような言葉が漏れる。その声はひどく小さく震えていて、先ほどのようにわざとヨハン様を激昂させようとしているのではなく、正直な言葉のように思えた。


 ヨハン様は声が聞こえているのかいないのか、淡々と作業を続けている。オイレさんは発言に気づいたようだが、少し困ったような顔をするだけだった。


 私も、彼に反論しようとは思わなかった。


 ケーターさんは、解剖の目的も、ヨハン様が何を目指されているのかも知らないのだろう。彼が解剖に関わることを都度責めるのは、ヨハン様に悪魔とあだ名をつけて塔に閉じ込め、あらぬ噂を流して楽しむ者たちと同じだ。


 しかしそれは仕方のないことでもある。皆、自分の知る情報の範囲で人の性質を測ろうとするものだし、その点においては私だって他の人のことを言える立場にない。


 そこで私は、少し思いついたことを言ってみることにした。



「あの、明日の解剖が終わったら、カールさんの皮膚を縫い合わさせていただけないでしょうか」



 偽名とは思うが、あえて「遺体」ではなく、生前告げられた名前で解剖の対象を呼ぶ。


 ヨハン様に話しかける形をとりつつ、その実ケーターさんに聞かせるための発言。はっきり言って不敬だと思う。今日の私はなぜこんなにも大胆になれるのだろう。


 自分でも驚いてしまうが、初めての人間の解剖を前にして、ここで自分の心をはっきりさせておかないと後悔するように思われたのだ。



「私、床屋の技術こそございませんが、繕い物は得意なのです。この方は今回の解剖に自らの身体を提供することで、我が国の医療の発展に少なくない貢献をしてくださったと思います。糸をたくさん消費してしまいますし、肌にも縫い跡も残ってはしまいますが……もしお許しいただけるなら、きちんときれいにしてから弔って差し上げたいです」


「ああ、頼む。糸は絹糸がいいだろう。足りなければ居館からとってくるといい」


「ありがとうございます」



 ヨハン様は快く、当然のように申し出を受け入れてくださった。私たちのやり取りをケーターさんは目を瞠って聞き、瞳は動揺に揺れている。


 その様子を見て、私は申し出てよかったと思った。この一連の流れで、ここにいる4人に誰一人として命を軽んじるものがいないことを証明しているとも言えたからだ。


 ケーターさんは、ヨハン様のことを裏切っているのかもしれない。また、手足には痛々しい拷問の痕があり、そのことでヨハン様やご領主様に恨みを持っていてもおかしくはない。それに父のことも何か知っていそうで、立場的に信用してよいかどうかはわからない……というか、おそらく信用できない側の人だ。


 それでも私は、彼が私たちを罵るときに『死者を軽んじる』という点にばかり言及するのを見ていると、この人のことを理解しえない敵だとは思いたくなかった。ただ攻撃したいだけなら、無意味な罵詈雑言を浴びせ、人格を否定すればいい。死者への敬意にこだわるのは信念ゆえだろう。


 片づけを終えると、私たちはそれぞれ場所に戻る。ヨハン様と私は自分の部屋へ、オイレさんは街へ。そしてケーターさんは再びあの地階へ。


 祖父の本にある薬を試すという話こそ出たが、彼の傷を治療することは許されていない。縄こそ解かれたたものの、真っ暗で不潔な牢獄に傷だらけの身体で戻っていくことを思うと心が痛む。



「そんな目で見るんじゃねぇよ」



 私の視線に気づいて、ケーターさんは機嫌が悪そうに言い放った。



「俺は自分の意志でここへ戻ってきた。こうなることは承知の上。まだ生きているのが予想外なくらいだ。何も知らないバカ女から上から目線で可哀想がられてたまるか」



 たしかに、無意識に憐憫の眼差しを向けてしまったのは失礼だったかもしれない。



「すみません。覚悟をもって来られた方に余計な心配をしてしまい、失礼いたしました」



 私がそうお詫びを言うと、ふいに彼の表情が和らいだ気がした。



「……これが血か」


「え?」


「いや、なんでもない」



 もう少しで微笑みといってもよさそうだった表情は、一瞬でさっきまでの仏頂面に戻り、ケーターさんは地階に姿を消した。

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