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私の言葉一つで

 大々的に対策をできたおかげで、病の騒ぎは3日でおさまった。医療班の皆にも笑顔が戻る。ヨハン様とジブリールさんの医学は、異邦の地で百人の患者に効力を発揮した。私たちは正しいことを学んでいたのだ。これほど嬉しいことがあるだろうか。


 余った薬を片付けているとき、ラースさんの眼が急に驚きに見開かれた。



「オイゲンさん! いらしてたんですか!」


「ご無沙汰しております。皆さんが軍医として加わったというお話は聞いて言いたのですが、いろいろ忙しくて、ご挨拶もできずにすみません」



 オイレさんは勉強会の時の慇懃な調子でそう言うと、私を見て少し微笑んだ。そういえば、隠密としてオイレさん(・・・・・)が従軍していることを私は知っていたが、他の皆は侍従のオイゲンさん(・・・・・・)がここにいるとは思っていない。それに、私もオイレさんがこうして公の場に姿を現すとは思っていなかった。しかし、わざわざ医療班に顔を見せたということは、今後はここでも何かしらの形で関わることになるということなのだろう。



「さきほど、ハンスさんから病がほとんど鎮火したとの報告がありました。それを受けて、ヨハン様から皆さんにお言葉があるそうです。全員、いらしてください」



 オイレさんについていくと、中央の天幕ではヨハン様が威厳を失うことなく……しかしお傍で仕えてきた者にはすぐにそれとわかる喜色を浮かべて待っていらした。



「此度の病、お前たちがいなければ、サラセンにつく前に多くの兵を失うところだった。実際、今までの派兵では病の相手にてこずったと伝え聞いている。しかし、わが軍は力をそがれることなく異教徒のもとまでたどり着くことができよう。病の原因を突き止め、治療を行うだけではなく、予防にまで手を回せたことは非常に大きい。皆、ご苦労だった」


「お褒めにあずかり光栄でございますが、それが我々の務めです」


「無論だ。故に、今後もお前たちの働きには大いに期待しているぞ。わが軍はまもなく行軍を再開する。いよいよサラセンが近い。サラセンではいつどこで戦いが勃発してもおかしくはない。自身の体調管理にもしっかりと気を配り、いつでも対応できるようにしておけ」


「は!」


「さて、建前は以上だ。病の原因を見破ったのはヘカトスだったと言ったな? 話を詳しく聞きたい。とはいえ、まだ患者も全員が手を離れたわけでもあるまい。他の者は皆、下がってよいぞ」



 医療班の皆が持ち場に戻ると、ヨハン様はふう、と溜息を吐かれた。



「恐れながら……私を残されたのは、本当に病のお話ででしょうか?」


「察しが良いな。無論、個人的興味として気にはなるが、既に対策も立てられている以上ここで話すことは特にない。他の者たちにオイレの存在を知らせることもできたところで、今後の戦略について少し話をしようと思ったのさ」


「戦略、でございますか……」



 ヨハン様の瞳に輝きはなく、重そうな瞼で地面を見つめていらした。



「今になって、ティッセン宮中伯軍から、聖堂騎士団との合流の提案が来た」



 聖堂騎士団はエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護する騎士修道会である。最初の聖地奪還戦争で設立され、信仰心に裏付けされた確固たる信念と無類の強さを誇る。それを味方にできるとなれば、この上なく心強い策ではある。


 しかし、問題は……



「そのお話を受ければ、エルサレムを目指さざるを得なくなるがどうすべきか、ということですね」


「ああ」



 私たちは当初の予定では、エルサレムは目指さず(・・・・・・・・・・)、どこかの都市を異教徒から解放する予定だったのだ。都市の奪還ののち、体勢の立て直しを名目に一旦帰還(・・・・)するが、イェーガーのお家がそれ以上の名声を持つことを恐れた皇帝によりそのまま2回目は見送りとなる……というのが、戦争による被害を最小限に抑えるため、考えていた筋書きだった。



「異教徒から奪還する都市として目星をつけていたのはイコニウムだ。イコニウムはエルサレムより近く、パウロがバルナバを伴って伝道に訪れた、キリスト教にとって所縁のある地だからな。しかし、この戦争はあくまで聖地奪還を掲げた戦争。イコニウムに立ち寄って奪還できずに敗走したとなれば、イェーガーの悪名に繋がる諸刃の剣だ。さて、どうしたものか……」



 エルサレムを目指すにしろイコニウムを選ぶにしろ、現時点では、どの程度の激しい戦闘となるかの予想はまだ立てられない。連合軍の力をもってすればエルサレムを落とせるかもしれないし、予想外の反撃でイコニウムにも手が出ないかもしれない。どちらを選んでも、大博打の要素は拭えない……足が、竦む。


 しかし、それでも私たちは選ばねばならない。そして、私たちの判断の上に、数千の兵士たちの命運がある。血を流さない私の言葉一つで、両手で受けきれない量の血が流れるのだ。選び取るべき道は、左か右か……

ここまでお読みくださりありがとうございます。また、ご感想やブックマークなど、大変励みになっております。

次回から新章です。引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。


> イコニウム

現在で言うトルコのコンヤです。

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