病床の騎士
なぜ笑うのか、変なことを言っただろうかと思って驚いていると、彼は弱弱しく震える手を前に出して、私の不安を打ち消すように横に振った。
「ああ、すまない。君のことを笑ったわけではないんだ……念のため聞こう。軍医がたくさん来ているという話は聞いていたが、ほかの者たちも君のような少年なのか?」
「いいえ、私が一番年少で、皆私とは大きく年が離れています」
「やはりそうか。いや、さっき笑ったのは、君のような少年がもう自分の仕事に哲学を持っているということに驚いたのさ。いつも、軍医といえば床屋がひとりついてくるくらいでね……彼らは私たち騎士に対してはかしこまるばかりで、およそ自分の考えなど口に出そうとはしない。しかし、君は違った。わかりやすいたとえ話で私を諭してくれた。君はきっと年齢に関係なく優秀さを買われて抜擢されたのだろうね。つまり、どうやらご子息はずいぶんと我々の治療に心を砕いてくださっているらしい。私は安心して君に身を預けよう」
私はジブリールさんが言っていたことを思い出しながら、病床の騎士を見つめる。相手の病状を見極めるには、どんな微細な変化も見逃さないように注意して観察すること……そして、それ以上に本人としっかり会話をすることが重要だ。
「まずはいくつか質問をさせていただきます。食事は他の皆様と同じものを摂られていましたか?」
「ああ。私だけ違うものを食べたりはしていないはずだ。むしろ今後のことを考えて節制していた。食べたものもいたんではいなかったと思う」
「咳や咳に伴う啖はございますか?」
「いいや。息苦しいが、咳込みはしないな」
「お通じはいかがでしょう?」
「食べていないので止まっているが、その前も特に下したりはしていない」
「失礼ながら、お小水の色に異常はありませんでしたか? 赤っぽかったり、白っぽかったりしなかったでしょうか」
「言われてみれば、いつもより少し赤っぽかったかな」
「ありがとうございます……続いて、お身体の様子を診させていただけますか?」
まずはそっと手首を握り、脈を診る。速さは間隔の短い鋭脈、そして打撃は指に押し返してくるような強脈に分類された。手を離すと、握った手が濡れるほどの大量の汗。私はそのまま、彼の頭、首、手先、足先などに触れて様子を見た。どこも均一に熱を持っていて、汗に濡れている。
これらの状態と、先ほどの問診からわかること……それは、彼の身体は今、極端に熱性に傾いているということだ。
「何かわかったかい? 今罹っている者たちまでで蔓延を食い止められれば良いのだが……」
騎士の質問に、私は空を見上げた。北方のイェーガー方伯領では見られなかった、煌々と照り付ける太陽。
「騎士様、ご安心くださいませ。おそらくこれは疫病ではございません」
「疫病ではないだと? 同じ症状の者がたくさんいるのにか?」
「はい。これは、夏という季節と、ハドリアノポリスの日差しがもたらしたものです」
「しかし、日差しならば全員に降り注ぐ。罹っていない者も多いのはなぜだ?」
「おそらくですが、地の体力と、飲み物の量でしょう。歩兵は体力が少なく、用意された飲み物も少ないため、最も多くの患者を出しました。騎士様が倒れられたのは、おそらく飲み物の量を控えていらしたためです。節制と我慢強さがかえって仇になったということですね」
「そうか……ではどうしたら良い?」
「騎士様のお身体は今、熱を持ちすぎてしまっている状態です。これを元の状態に戻すには、身体を冷やすことと、水を摂取することが重要です。患者も多いので、行軍はいったん止めていただきましょう。適切な薬や食事は後ほど担当の者に指示します。騎士様はここで誰かに扇いでもらいながら休んでいらしてください。とにかくまずは何か飲み物を飲みましょう」
本当は、最も適しているのはスベリヒュの汁や水で割ったヴェルジュのシロップなのだが、兵站にある飲み物と言えばワインやエールなどの酒類で、すぐに手に入るものではない。これらに代わり身体の熱を冷ましつつ水分補給ができるものとして、私は麦を煮出して冷ましたものを作って飲ませることにした。麦は寒性なので熱を中和することができる。
一通り天幕の中にいる患者に飲ませ終えると、私は医療班に戻った。件の症状は疫病ではなかったが、気候という誰もが影響を受けるものによるため、軍全体で対策をとらなくてはいけないということを報告する必要があったためだ。
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> ヴェルジュ
未熟な葡萄の果汁のことです。通常はソースなどに使います。
尚、問診の内容や対処法はイブン・スィーナーの「医学典範」及び「医学の歌」にある情報から構成しているもので、現在の熱中症や脱水症の診断とは必ずしも一致しません。




