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孤高の姫君

「宮中伯の息子は、愚鈍というほどではないが、家の先行きを任せるには少々不安が残るようなお人よしでな……信頼できる優秀な側近を求めて、宮中伯は奔走していた」


「そんなまさか! 政治的には目立たなかったかもしれませんが、領地の経済的発展など、その手腕は確かなはず……」


「まぁ、聞け」



 私の驚きの声は静かに遮られた。



「まずは姫君の話をしよう。彼女は別の宮中伯……紛らわしいので、下級騎士(ミニスレリアーレ)のつかえた方をT、姫君の家をHとしよう……の娘として生まれた。真っ白な肌に神秘的な紫の瞳を持った美しき姫君。幼い時分から誰しもが魅了されたよ。だが、その最大の武器は美貌ではなかった。主なる神は、彼女に美だけでなく、恐ろしいほどの知恵を与えたもうたのだ」


「恐ろしいほどの知恵、ですか」


「ああ。たしなみとしての勉学を修めるだけではない。深い洞察力、観察力、そして機知に富んだ会話こそは彼女の強さだ。例えばこんなことがあった。H宮中伯が、頻繁に本をなくしては意外なところから見つけるということが続いた。訝しんで執事を問いただすと、息子がたびたび持ち出していたということが明らかになった。ここまでは普通の話だが、実はその息子というのは自分で本を読んでいたわけではなく、妹に貸し与えていたのさ。幼い姫君は、自らの兄を篭絡して手足として動かしていたというわけだ」


「篭絡は言い過ぎでは……子供のいたずらと貸し借りでしょう?」


「そうかね? 女である自分が父親の本を読むのは感心されないが、息子が無断で持ち出すことも兄が妹に貸し与えることも不自然ではないということを、幼い少女がわかっていたということなのだぞ? ……まぁ、そんなわけで、姫君のほとんど狡猾さといってよい利発さを、H宮中伯は早くから知ることとなった。彼は娘が男子でないことを大いに嘆いたが、やがて彼女であれば社交界を思うままに動かしていけるだろうことに思い至る。貴族の女性は家と家をつなぐ存在だからな」



 それはその通りだ。実際、以前オイレさんたちが現ティッセン宮中伯の動きを調べた時、夫人の交友関係から結婚に発展したと思われる事例があった。



「そこに、T宮中伯が出会う。T宮中伯は変わった御仁だ、宮廷で議会に出るわけではない女であろうと、城の中で夫と会話をして政治に参加することはできると判断した。結果、H家はT家の力を利用して社交界をH家に有利な方向へ導くために、T家は政治に向かない次の当主の優秀な補佐役を手に入れるために、利害が一致して結婚が決まったのさ。姫君が14の時の話だ」



 今まで、私もヨハン様も誤解していた。宮中伯夫人の才覚もさることながら、自らの妻を隠密として動かすことを思いつく宮中伯の知恵が恐ろしいのだと。しかし、夫人は隠密などではなかった……夫人こそが、夫を動かす側だったのだ。



「それから3年後、T宮中伯が病により急逝して、息子が後を継いだ。宮中伯夫人となった姫君はその才能をいかんなく発揮したよ。彼女は人間というものをよくわかっている。自らがしゃしゃり出ることは一切しなかった。自らの知恵によって夫の尊厳を一切傷つけることがないよう、あくまで夫の影としてふるまった。夫は彼女の発言からあらゆることを自発的に思いつく(・・・・)。妻と会話していると頭がさえるといって、喜んで政界でのすべてを話した。彼女はそれにうまいこと相槌を打ちながら、それと気づかれないよう助言をする。対外的には苛烈な性格なふりをして、夫の重用する人物の本質を見極める。彼女はそうして、T家とH家の双方にかかる火の粉をすべて払いのけてきたのだよ」



 そこまで話したとき、祖父の瞳はふいに輝きをひそめ、地面を見つめた。



「だが、思い出してくれ。たった14歳だ。小さな肩の上に、二つの大きな諸侯の家が寄りかかる状況を考えてみてくれ。常に考え、常に微笑み、常に守り……それでも夫の名誉のために、自分の立場のつらさを誰かに吐露することもできない。そんな日々を送り続けて、10年もすれば当然限界も来るというもの。ついにある時、姫君は自らの命を絶とうとしたのだ」

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