邂逅
それから2週間あまり行軍を続けた。やがて、今までの街と比べて段違いに華やかな都市が見えてくる。小高い丘に建つ城を中心に赤茶けた街並みが広がり、牧草地を流れる大きな川がきらきらと水面を輝かせている。そこに至る街道はよく踏みならされていて人通りもあり、左右に広がる森の深さもそれほどではない。
「そろそろ帝都ですね!」
ラースさんの嬉しそうな声に、疲れが少し和らいだ。補給と休息を兼ね、帝都には数日逗留するらしい。別段自由行動が許されるわけではないが、帝都にしばらく滞在するという珍しい機会に皆の気分が上がる。
レーレハウゼンという栄えた街に生まれついては、そうそう帝都まで赴くこともないのだ。都市の全景が大きくなるほどに、兵士たちの間には明るい声が広がった。
いよいよ帝都に入る。城の門へとつながる表通りは露店や屋台が立ち並び、水車小屋と併設する粉ひき屋が見える。大きな街だけあって珍しい肉屋もあった。あたりは地元民だけでなく、遍歴商人や遍歴職人といった旅人たちでにぎわっている。居酒屋からあふれる笑い声や、鍛冶屋の威勢のいい金属音。当然芸人もいるのだろう、どこか遠くからは音楽も聞こえてきた。
「ああ、あれは薬屋ですね。こんな時じゃなけりゃ、品揃えを見てみたかったものです」
「やはり帝都では、珍しい薬も手に入るものなのでしょうか」
「さぁ、それはわかりませんが、あらゆるものが流入する地ですからね。外国の薬なんかもあるかもしれませんよ?」
外国の薬。そういえば、私の祖父も遍歴商人だった。不思議な紙に不思議な文字で書かれたあの本から察するに、薬も商品として扱っていたことだろう。いや、むしろ薬屋だったと考えるほうが自然である。あの本に載っていたが手に入らなくて抜かしたりしていた材料も、帝都でなら揃えられていたのだろうか。ティッセン宮中伯のもとに落ち着くまで、祖父がどこでどう過ごしていたかは知る由もないが……
何事もなく初日が過ぎていく。男たちに交じっての行軍生活もだいぶ慣れたものだ。
事件が起きたのは翌々日のことだった。ティッセン宮中伯の軍と合流したのち、ケーターさんが前方からやってきた。
「ヨハン様がお呼びだ。来い。来るのはお前ひとりだ」
「え、どうしてでしょう? 班長はハンスさんですが……」
「いいから来い。行けばわかる」
他の皆が呼ばれないということは、お怪我などではないということ。その点では安心だが、班長のハンスさんではなく、急に私だけが呼び出されることに思い当たる理由はない。
しかし、よく考えれば、塔にいた時から、私に求められる役割は医学だけではなかった。政治的な局面において情報を扱い、判断し、時には自分なりの意見を述べてヨハン様の参考にしていただくことも、私の役割の一つだったのだ。
つまり、私が呼ばれるということは、医療班としての仕事ではない。もしかして、宮中伯との政治的な取引の場に出されるのか。あるいは、なにがしかの意見を求められるのかもしれない。政治的な判断は、医学と異なり直接的に人命にはかかわらないが、時としてその何百、何千倍もの人々の命運を左右する。私は深呼吸すると、背筋を正してケーターさんについていった。
「来たか」
ヨハン様のもとにたどり着くと、小さく鋭いお声が響いた。緊張の面持ち。
「初めに言っておこう。これは私的な会談だ」
ケーターさんが跪くと、春だというのに指先がかじかむかと思うほどの冷たい空気があたりを包んだ気がした。これは今……ヨハン様は、何か危ない橋を渡ろうとしていらっしゃるのではないか? 嫌な予感にごくりと唾を呑む。どうかそうではありませんように。
「お前に会わせたいと思っていた人物が、来ているとのことだったのでな。宮中伯には表向き別の理由をつけて借りてきたのだ。年齢的に考えて、まさか従軍しているとは思わなかったのだが」
そう言われて初めて、ヨハン様と相対している人物を見やる。深いしわのいくつも刻まれた顔。小柄だが肩幅があり、ただならぬ風格を醸し出している。切れ長すぎる両目には恐ろしいほどの眼光を湛えており……その色は、闇を思わせる深い黒。そう、私と同じ、黒い瞳と黒い髪の持ち主だった。
「……まさか、本当に顔を合わせる機会が来るとは思わなんだ」
彼は私を睨み付け……低くしゃがれた声で吐き捨てるように言った。
「いくら身分を偽り、性別を隠したところで俺の目はごまかせん。倅の恥よ、イェーガーのもとに身を寄せてのうのうと生きていたか」
倅の恥……その言葉が、目の前にいる老人が誰であるかを明確に表していた。遍歴商人から下級騎士に成り上がり、奇妙にして知恵に満ちた薬の本を残し、紙切れひとつでイェーガーのお家とティッセンのお家を繋いだ男……私の祖父、ソウスケであるということを。




