白銀
いつもお読みくださりありがとうございます!
今回はオイレ視点のお話です。
特別な朝だ。城は物々しい雰囲気に包まれ、荒くれた男たちで溢れかえっている。鎖帷子の擦れる音や、武器が乱雑に運ばれる音を少し遠くに聞きながら、僕はその中には混じらずに、塔の上からその様子を望む。槍を携えた歩兵、無骨な斧を主張させた傭兵、馬に乗った騎士……そこまでの秩序があるわけではない。ただ好き勝手にしゃべりながら漫然と列をなし、質の悪い兵は手持ち無沙汰に喧嘩を始めようとすらしている。それでも、皆一様に覚悟を決めた気配だけは身にまとっていた。
やがて、喧騒はすうっとその波を静め、代わりに蹄の音とともにひとつの影が軍勢の前に進み出る。他の兵に比べると、少年のように華奢な姿。白い肌と銀糸のような髪の淡い色彩が、余計に儚げな印象を醸し出している。高貴な身分がなかったら、戦場ではいかにも役に立たなさそうだと馬鹿にされてもおかしくない。それが、僕の主の姿だ。しかし、堂々とした佇まいが、その体躯の不利を覆い隠して余りある。
「皆、よく集まった。わが軍はこれからこの地を離れ、遠くエルサレムを目指す」
おお、意外なほど良く響く声だ。激昂して僕を叱りつけるときくらいしか大声を出しているのを見たことがないけれど、ちゃんと演説向きの声も作れるんじゃないか。表舞台にはずっと出ずにいらしたというのに、頼もしいものだ。
「我々は、聖地奪還の戦争……長きにわたり断続的に続いてきたこの聖なる戦争に、今こそ終止符をうちに行く。エルサレムを教皇の手に取り戻すのは帝国の悲願だ。私は、諸君の中に天の軍勢を見る。諸君はキリスト教の守護者であり、地上に降り立った戦いの天使だ。皆、キリスト者としての誇りをもって、異教徒と戦え。悪を殲滅せよ!」
剣を抜いてそう檄を飛ばすヨハン様のお声に、うおおお、と声が上がる。その声の大きさと裏腹に、皆表情に乏しい。それも無理はないか。出兵前のこうした演説はただの形式的な儀礼に過ぎない。軍を率いる貴族はその威光を示し、軍はその結束を示すだけの場だ。
すると、その声が止むころ。
「……と、言ってやれればどんなにか良かっただろうな。お前たちは運が悪い」
ヨハン様は、睨みつけるようにぐるりと一周、軍勢を見回される。そして、戸惑いが伝播する中、静かに言い切られた。
「この戦いに正義などない」
これはさすがに予想外だ。ひねくれ者であることは知っているけれど、こんな不用意な発言をするお方だったかな? ……いや、そんな訳はない。必要とあれば上っ面の演技もなさるお方だ。いったい、何を企んでいらっしゃるんだろう?
「お前たちが、自分たちが何代前からこの地に住みついているのかを気にしないように、かの地に住みついている者たちも、今生きている自分たちがエルサレムを故郷としているという以上の事実を見てはいない。連中にとっては我らこそが侵略者。突然やってきて殺戮と略奪に明け暮れる悪魔だ」
急に何を言い出すんだ、という不満げな声がそこかしこで漏れる。
「もちろん、お前たちがそんなことを気にしていないこともわかっている。お前たちはただ連れてこられただけの野蛮人だ。自分の所業の善悪も、そこにかかわる国の事情も、どんな理由で戦うのかも知ったこっちゃないだろう。誇りを持って戦えと言われたところで、そもそも戦いと誇りに関係があるのかすら疑問だろう」
おっと、それは貴族のだれもが触れたがらない真実だ。イェーガーのお家に忠誠を誓う上位の騎士たちを除き、一般の兵や傭兵はただ仕事として戦いに来ているだけ。こうした演説が聞き流されるのが常なのも、大義名分に興味がないからだしね。
「先ほど、俺はお前たちを野蛮人だといった。実のところ、俺もそうだ。12の時から閉じこもりきりで、宮廷に出ることもなく、ただ謀略ばかりに没頭して過ごした。まともな常識も他人への慈愛も持ち合わせてはおらん。お前たち以上に野蛮人といって差支えないだろう」
息をのむ気配。
「だがな、俺は思う。誇りとは覚悟だ。そして、身分ではなく個人に宿るものだ」
雑音が不意に止む。
「この戦いが正義であろうが悪であろうが、俺が戦いに出ることを拒否すれば身を危険にさらす者たちがいる。だから、彼らを守るという実利のために戦う。俺は、愛する者のためならば、悪魔になることも厭わん」
何千もの瞳が熱を帯び、馬上の華奢な青年を見つめている。
「お前たちもそうだろう。お前たちが戦わなければ飢える者がいる。戦わなければ糾弾される者がいる。そのために戦うのだろう? ならば、お前たちは間違いなく守護者だ。信仰などと言う漠然とした概念ではない、実在するその者たちの守護者だ。皆、守護者たるために悪魔になり下がる覚悟はあるか? 俺はある。野蛮人ども、俺についてこい! 仮初の大義名分などではない、人としての誇りをくれてやる!」
いよいよ本物の鬨の声が上がった。地鳴りのするような轟音……そして、その中に言葉が混じり始める。
「白銀だ」
「黄金のベルンハルト様の弟君」
「白銀のヨハン!」
「我らの導き手、白銀のヨハン様だ!」
ああ、そうか。僕は今、伝説を見ているんだ。初めてお会いした時は塔に閉じ込められた少年だった、敬愛する僕の主。遠くに見える姿に、僕は祈る。どうかいつまでもお傍でお仕えさせてください、と。




