守るべき命
次の勉強会は、新たに参加するヤープの紹介もそこそこに、開幕から騒然となった。
「ご子息様が戦地に!?」
「それだけならまだしも、遠くエルサレムまで!?」
「残虐な異教徒どもを相手に……大丈夫なのでしょうか……」
皆、ジブリールさんが異教徒であることは知らないし、言うわけにもいかない。ヨハン様がエルサレムにはいかないご計画であることも同様だ。しかし、単に自分たちの庇護者が不在になることへの懸念ではなく、尊敬する師が危険な地へ旅立つことに対する心配を露にしている彼らと私の間には、魂の深い共鳴がある。私はそのことを嬉しく思った。
「オイゲンさんは忙しくなるので、この勉強会は以後私の方で取り仕切ります。皆でヨハン様のご武運をお祈りしましょう。それから、ラースさんとオリヴァーさんは、戦地にもっていく薬を作るのを手伝っていただけますか?」
「それはもちろんですが、わざわざ新たに作るような珍しい薬を戦地に持っていくのですか?」
「ええ。普通の薬ももちろん持っていきますが、東方の薬について書いた本があるので、それを参考にいくつか独特の薬を作ります。また、量もたくさん必要なのです。ヨハン様がそう望まれました。戦争では多くの怪我人や病人が出ます。少しでも役立てていただきましょう」
「はい!」
ふたりの声には今までにないほどの熱がこもっていた。オイレさんもその姿を嬉しそうに眺めている。やはり、ここにいらっしゃらなくとも、この会の中心はヨハン様だ。
後からやってきたジブリールさんは、戦いでできる傷について語った。
『当然、武器によって傷の種類は異なります。まず槍によるものなら刺し傷。これは本当に深く、前面から突きを食らったら傷が脇腹まで達します。内臓の損傷がないかを確かめる必要があるでしょう。傷ついていた場合は、以前解剖で行ったように、内臓の壁や覆う膜を縫い合わせる必要があります。それから、斧や剣による裂傷と打撲』
『刃物の傷なのに、切り傷ではなく裂傷なのですか?』
『もちろん切り傷を作ることもありますが、叩きつけによる裂傷が主です。そして、特に気を付けるべきは頭への打撃ですね。これは簡単に致命傷となります。命を取り留めたとしても、長くはもたない場合がほとんどです。なぜなら頭に剣を受けると頭蓋骨に裂傷ができ、その下の髄膜が傷つくことがあるためです』
『やはり近接武器による傷が致命傷になりやすいのでしょうか』
『いいえ、矢や投石による被害も大きなものです。矢は深く突き刺さり、内臓や脳を傷つけて死に至らしめます。投石も同様で、割れた石の破片により身体に丸い穴が開いたような傷を作ります。落下地点のすぐ近くにいれば、無数の破片に嬲られるようにして死ぬことになります。アイユーブ帝国との戦争では、特に投石に苦しめられることになると私は思います。城を攻め落とそうとする攻囲戦において、防衛側の最大の攻撃手段が投石ですから』
淡々とした説明から、戦場というものの凄惨さが伝わってきた。このような傷が、戦場のいたるところで発生する。
『そんな状況ですから、軍医に多くのことは期待されていません。多くの戦争では、軍医などいていないようなものでしょう。この国では、止血ができる程度の床屋がひとり連れていかれる程度になることも多いとか』
無理もない話だった。何しろ戦いは命の奪い合いだ。数えきれないほどの人が、武器により傷を受けて死んでいく。それを救うことなど、そもそも想定されていないのだ。
『これらの傷の残酷さは、死なずとも、戦地から帰った者たちの人生はその後も続くことにあります。私たちは、戦地から帰ってきた者たちの苦しみを取り除いてやることを考えなくてはなりません。真っ青になった打撲の痕、放置され膿んだ傷、外れたままの関節……そうしたものを正常な状態に戻さなくてはなりません。医術を学ぶ者にとって、戦争は戦いが終わったら終わりというわけではないのです』
「そのためには、多くの人を受け入れられる、民衆に開かれた治療院が必要ですね」
私が思わず呟くと、皆黙って頷いた。傷を負って戦地から帰ってきた者たちは通常捨て置かれる。しかし、ヨハン様ならきっといつか、彼らを救う手立てを考えてくださることだろう。
「それを実現するためには、やっぱりヨハン様がいなくっちゃ」
ヤープが続いた。ヨハン様によって出会い、その手によって守られている私たちは、ついていくことはかなわなくとも、皆で異国への旅路をお守りしなければならない。私たちが作り、戦地にもっていっていただく薬には、そんな大きな意味があるのだ。




