祈りを形に
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ジブリールさんは戦争にあたってひとつの懸念を口にした。
「Ελπίζω ότι η καλοσύνη του δεν θα είναι σε μειονεκτική θέση.（あの方のお優しさが不利にならなければよいのですが）」
ヨハン様は戦争に赴かれるのは今回が初めてだ。しかも、小さな戦いで経験を積む間もなく、いきなり巨大な戦争に挑むことになる。
今回の薬の件も、ヨハン様としてはより良い結果を得るための改善案として出されたものだろう。しかし、知識として戦術を知り、頭で考えて様々な局面を切り抜けてこられたヨハン様だが、実際の戦争とはそれで足りるものではない。特に、遠い旅路を行く場合は、途中で兵が疲弊するため、最小限の武器と装備を残して余計な荷物はどんどん手放される。目の前のことに精一杯で薬の価値もわからない者たちにとっては、私たちの用意した薬も「余計な荷物」に見えるだろう。有効活用される保証はないのだ。
また、薬をいくらたくさん用意したところで、軍全体を賄いきれるものではない。歩兵や傭兵はおろか、騎士も名のある旗騎士以上にしか対応できないはずだ。それが戦況をどれだけ左右することなのか、私たちにはわからない。
もちろん、ヨハン様のことだ。そんなことは承知の上で、それでも救えるものがいれば一人でも救いたいと薬を発注なさったのだろう。だが、その行動の尊さは貴族社会で通用するとは限らないのだ。無駄な予算をかけすぎたと非難されて終わってしまう可能性もある。
「Ας πιστέψουμε ότι ο Θεός είναι ικανοποιημένος με την απόφαση του κ. Ιωάννη.（ヨハン様の判断はきっと神が良しとされると信じましょう）」
ジブリールさんの信じる神は私たちの信じる神と同じものであるとヨハン様から聞いていたので、私はそれに頷いた。ヨハン様がこれから戦いに行くのは、ジブリールさんと同じ信仰を持つ異教徒たちであることを考えると、いたたまれない気持ちになった。
翌日、ビョルンさんに出来上がった材料の一覧を渡した。薬の材料は勉強会に参加している薬屋の二人、ラースさんとオリヴァーさんから優先的に仕入れ、手に入らなければ他からかき集めるとのことだった。ヨハン様のためならば、ふたりとも喜んでいくらでも提供してくれるだろう。私は、まだロベルト修道士様がドゥルカマーラだと信じていたラースさんが、初めて塔にやってきた時の興奮具合を思い出して少し笑った。せっかく薬を作るのであれば、ふたりも作業に参加してもらった方が喜ばれるだろうか。ジブリールさんとふたりで作るより、4人の方が格段に効率も良い。次の勉強会の時に掛け合ってみよう。もしできれば、兵站としての薬だけでなく、ヨハン様のために専用のものも用意しておきたい。おひとり用ならば、薬だけでなく、薬草から抽出した香りもあって良いだろう。ただでさえ日ごろから不眠に悩まされているヨハン様なので、戦地にはラベンダーが必須だ。
……ラベンダーのことを考えたとき、私の中で不意に、ヨハン様が戦争にいかれるのだという事実が急激に膨張して、重く心を圧し潰した。
ヨハン様が聖地奪還戦争に赴くベルンハルト様に贈られた香り。読ませていただいたベルンハルト様からのお手紙には、ラベンダーの香りが天幕を包み込んで心が安らいだと書かれていた。そして、そのお手紙が最後になってしまったのだ。
嫌な予感を必死で頭から追い出し、私は薬を作ることにした。ビョルンさんに材料の購入を頼んだが、書庫の薬草はまだ在庫がある。今まで城内で過ごされる分には問題はなかったが、サラセンまで長旅を続けることを考えると、ヨハン様には予めもっと体力をつけておいていただきたい。祖父の本に体質を改善するための薬が載っていたので、それを作るのだ。
材料は、ピオニーの根、シナモン、リコリス、ガランガー。そして、水で溶いた小麦粉に麦芽を混ぜて一晩放置し、絞った水を煮詰めたものが必要になる。強い甘みを持つこの不思議な材料のおかげで、材料を粉にして混ぜるだけというわけにはいかない薬だが、作業に要する工程が多いほど、かえって思いや祈りを込められるような気がする。
真心の分だけ、ヨハン様に力が湧きますように。遠い地でも、病むことなく、怪我をすることもなく、無事健やかに過ごされますように。遠征に耐えうるだけの力をヨハン様にお与えください。
何度も心の中で繰り返しながら、私は薬を作る。ご出発までの間に、できうる限りの数を作っておきたい。それは、ヨハン様のためであると同時に、無事を祈る私の心の平安のためでもあるのだ。夜が更け、手元を蝋燭で照らすようになっても作業は続いた。
申し訳ありません、体調不良のため12/21 0時の更新はお休みいたします。次回は12/22 0時の更新予定です。
