余話:談笑
ティッセン宮中伯夫人アーデルハイト視点です。
今日も私は貴婦人たちに囲まれて、香り立つような細く高い笑い声に包まれる。その一人ひとりと均等に言葉を交わしたのち、私は今日本当に会話すべき相手を見つけ、そっと近づいた。
「クラウディア様、ここにいらしたのね」
「まぁ、アーデルハイト様! 今日もお美しいですわ。その服は新型ですの?」
「ええ、そうですのよ。ここの切り替えが気に入っておりますの」
「素敵ですわ! 形もですけど、やっぱりアーデルハイト様の服は色の鮮やかさが違いますわね。青紫色が瞳の色と調和して本当に素敵ですわ」
「そうかしら? クラウディア様こそ、緑色が深くて、艷やかで明るい髪の色との対比が素敵ですわよ」
「そんな、ありがとうございます!」
二十年も続けているのだから当然だが、我ながら中身のないやり取りも手慣れたものだ。口数は多くとも何の情報も付帯していない空っぽの言葉の数々は、ただ相手と仲良しでいるためだけに紡がれる。私たちは、話題がなくとも、いくらでも話を続けることができるのだ。
そして、頃合いを見て、話の方向を誘導する。言葉を飾り合うだけの薄っぺらな時間が、会話へと変化するように。
「それにしても、また主人が忙しくなってしまうかと思うと少し憂鬱ですわ」
「ご主人が? 何かありましたの?」
「あら、ご存じでなくて? 新しい税が導入されるそうですのよ」
「帝国税、でしたっけ。でも、まだ決まったわけではないんですのよね?」
「ええ。ただ、帝国全体に掛けられるものですけど、徴収するのは諸侯でしょう? 台帳の整備やら何やら、整備するのにきっと忙しくなりますわ。集めよと命じられた額と、実際に集められた額に、あんまり差が出てはいけませんもの」
私の話を聞く子猫のような瞳は、言葉の意味を理解してはいないだろう。しかし、それで良いのだ。私が話しかけている相手は、目の前の貴婦人ではなく、その向こうにいる宮中伯様なのだから。
「クラウディア様も、ご主人に確かめられた方がよろしいですわ。必要があれば、諸侯同士で協力した方が良いかもしれませんし」
「言われてみればそうですわね」
「主人は、常日頃、もっと皆が協力し合うべきだといっておりますの。協力というと、男の方は戦争のことばかりお考えになるけれど、新しい税の導入では、頭を悩ませることも多いと思いますわ。そういう時こそ、結束して、より良いやり方を考えていくべきだと思いますの」
「あたくしもそう思いますわ。政治のことはわからないけど、結束が必要になるのは戦争だけじゃありませんものね」
こうして根回しは済まされていく。同じことを、他の貴婦人相手に何度も繰り返すだけ。妻の持ち帰った私の言葉を聞いて、優秀な夫たちは何を言わんとしているかを知る。
私の夫、ゴットフリート様は、今回もまたこの働きを喜び、褒めてくれることだろう。MEA VIOLA ODORATA(私のニオイスミレ)、と囁く甘い声が耳元をかすめた気がした。
ゴットフリート様のことは別に嫌いではない。優しく、誇り高く……なにより、かわいらしい人だと思う。そして、あの方がいてこそ、私の役割がある。役割を全うすることにこそ、私の生きる意味があるのだから。
しかし、未だにふとした時思ってしまうのだ……もしも、彼が傍にいてくれたならと。
もしまだこの手の中にあの騎士がいたのなら、薄汚れた工作ですり減った心を癒してくれたのだろうか。いつかのように、あなたはお家のために最善の行動をとっているだけだ、罪深い女などではないのだと説得してくれただろうか。
「アーデルハイト様、どうなさったの? 浮かない顔をしていらっしゃるわ」
「ああ、ごめんなさい、あたくしとしたことが。急に考え事をしてしまって」
「いいんですのよ。アーデルハイト様はいつもお忙しいもの。お疲れの時には、だれにだってそんなことはありますわ」
目に浮かぶ美しい長い黒髪を、必死でかき消す。どんなに思い悩もうが、二度と帰ってくることはない。彼を追いやったのは私なのだ。私はつい縋りついてしまう望みを、自分の手で断ち切ったのだ。未練がましく振り返ることなど許されはしない。
軽く深呼吸をして、婉然と微笑む。私は一輪の花、猛毒の花。ここが私の植えられた場所。まだ私は枯れはしない。周囲のいたいけな白い花々を食らいつくし、紫色に染め上げる。
「もう大丈夫ですわ」
「ねぇ、もっとおしゃべりしていましょう?」
「もちろん! ここだけの話、あたくし、クラウディア様と過ごす時間が一番の楽しみですの」
「まぁ、嬉しい! アーデルハイト様にそう言っていただけるなんて光栄ですわ!」
紫の毒花が支配する花園で、談笑は続く。三月もすれば、種をまき終える。その後は男たちが実りを手にするだろう。




